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​表紙+裏表紙

ジェレミーはボールプールが嫌い

 

篠崎間綴

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 ジェレミーはボールプールが嫌いだ。
 マーロンズ・ヤム・ヤミー・レストランは店の奥に子供のための遊具がいくつかある。簡単なアスレチックやバスケットゲーム、動いているのが不思議なくらい古いシューティングゲーム機と、そして、カラフルなボールプール。
 プールの横に立って、ジェレミーはじっとボールプールを眺めていた。否、睨んでいたと言った方が正しい。微かにザラつき、光沢のないプラスチックでできたボールの表面、その大群を、憎しみのこもった瞳で凝視している。そうしていると、ボールとボールの僅かな隙間に本来あるはずのない闇を見る事が出来た。見ているだけで吸い込まれそうな、密やかな囁きを放つ闇。色とりどりのボールの奥底で息を潜めている闇。
「遊ばないの?」
 不意に一人の少女がジェレミーに声をかけた。ジェレミーはちらりと少女を見たが、返事はしない。優しい彼女はジェレミーの無礼な振る舞いに怒ったりせず、大人びた仕草で肩を竦めるとボールプールに飛び込んでいった。
 ガラガラと固い物が触れあう音が雷のようにこだまする。辺りで遊びまわる子供達の叫び声より、よっぽど心臓に悪い音だ。少女は楽しそうにジェレミーの前でボールの海原に潜りこみ、そして。
 二度と浮かんでくることは無かった。
 静かになったボールプールをジェレミーは再び睨みつける。周りは誰も気づかない。そういうものだ。騒ぎになるのは、帰りが遅い事に気づいた親が様子を見に来た時なのだ。
「おい」
 プールの中から低い男の声がした。
「もっと楽しそうに遊べよ」
 ボールの隙間に、あの闇の中に、男の目がギョロリと現れる。男はピエロだ。少なくとも見てくれは。
 ジェレミーは泣きそうな顔でかぶりを振った。
 男は一瞬ジェレミーを鋭く睨んだ後、急に引っ込んだ。
 入れ替わりで、ジェレミーの母親が隙間に現れた。
 泣いている。見ているのが辛くなるほど苦し気な表情で、汗ばみ、目は血走り、顔色は乾いた土のようで、唇はカサカサであった。
「ジェレミー」愛しい母の声は苦痛で出来ていた。「お願い、言う事を聞いて。ママを助けて、私の坊や。お願い……」
 母親が消えた。最後に一瞬、不敵に笑うピエロが見えた気がするが、最早確認する事は叶わない。
 ジェレミーは涙をこらえてボールプールの中に飛び込むと、ボールを抱えて空にぱっと放り、プールの中を泳いだ。
 ガラガラと音を立て子供達を誘う。
 後何人必要か分からないが、一心不乱に餌となる。

 ジェレミーはボールプールが嫌いだ。
 

映り込み

 

山田円狸

 

 あの日も普段と変わらない朝でした。いつものように支度を済ませて、朝食をとりながらニュース番組を見ていたんです。たしか、週末のおすすめレジャースポットの特集だったと思います。レポーターが紹介するアクティビティやそこでしか食べられないグルメに、ワイプ越しにアナウンサーやタレントが盛り上がってて。私も、ぼんやり見ていて。でも途中で妙だなと感じたんです。明るい空気に似つかわしくない異物が紛れている、そんな違和感がありまして。

 まちがいさがし、に近いですかね。とにかく気持ち悪さの原因が知りたくて画面に釘付けになっていました。全体を見回していると、すぐに答えは見つかりました。

 目が合ったんですよ。ワイプの小窓の女性と。やたらと肌の白い、目だけ大きく見開いた無表情の女性が、私を見つめているんです。明らかにその番組内の出演者ではないんですよね。ワイプの中だけの存在。それが、テレビの外にいる私をじっと眺めている。

 流石に気のせいだろうと思いましたよ? でも画面の隅で他の演者たちが映像を眺める姿が切り替わる中、彼女はまっすぐに視線を画面の外に向けている。感覚的に、私を見ているのだと思いました。目を逸らしたくても何故かできなくて。

 しばらくして我に返り、慌てて電源を切りました。プツンと映像と音が途絶え暗くなった液晶に私が写り込んでいます。これで彼女を見なくて済むとほっとしたのも束の間、背筋が凍りました。

 画面に映り込んだ私の背後に、彼女がいるんです。ワイプの中にいた時と同じように、感情のない目でじっと私を見つめていて。

 咄嗟に振り向くと、誰もいない。え、と信じられない気持ちで画面に向き直ると、彼女の姿はどこにもありませんでした。

 居ても立ってもいられなくて、食器の後片付けもそこそこに、荷物を掴んで部屋から逃げ出しました。慌てて外に出て、不安に駆られて自分の部屋を見上げると彼女がいました。部屋の窓枠に切り取られ、ワイプ画面のような形で。変わらず、私に向けて無表情に視線を投げかけていました。

 それからというもの、ふとした瞬間に彼女を見かけるようになったんです。

 例えば顔を洗っている最中の鏡の中に、通勤電車のガラス窓に、何気なく撮った写真の風景に。気がつくと、私をじっと見つめる彼女が映り込むんです。

 ただ、見られている。それだけで、彼女が私に何を訴えたいのか、どうして私なのかの理由は知りません。

 だから、今でもテレビのワイプ画面が怖いんです。いつか、第二、第三の彼女が現れてしまいそうで……。

 ああ、彼女の方ですか? もう、あまり気にはなりませんね。慣れでしょうか。

 だってワイプ画面にどう見られていようが、番組は関係なく進むじゃないですか。

「監死」

 

​サジッタ


 繁華街の監視カメラ。
 時刻は深夜3時。人通りはほぼ無く、閑散としている。白黒の映像の中、一匹の犬が路地裏を見つめ、立っている。画面外から二人の成人男性が現れる。一人はアルコールを多量に摂取したのか足取りが覚束ない。もう一人が、その人物を支えるように歩いている。その人物は足取りが不確かながらも、犬の存在に気付き、よろよろと近付いていく。そのまま犬を撫でるが、犬は微動だにしない。もう一人はその様子を少し離れながら眺めている。
 眺めている人物へ声をかけようとしたのか、犬を撫でていた人物は振り返ろうとするが、その瞬間、路地裏から白い人間の腕状のものが何本も現れ、目の前の人物を掴み取り、そのまま路地裏へと引き込む。眺めていた人物は尻餅をつきながらもその場所からの避難を試みるが、それよりも早く、何本もの腕状のものが伸び、それぞれにいくつもある節を折りたたみ、蛇のように男を包むと、同じように路地裏へと引き込んでしまう。
 画面上には再び犬だけが残される。犬は一吠え路地裏へ向かって吠えると、そのまま画面外へと消えて行ってしまう。

​

 衛星写真。
 大海原を航行するタンカーの姿が映されている。画像内に他の物体は存在しない。一枚、二枚、三枚と画像が差し変わっていくが変化はない。タンカーが常に中心にあることから、タンカーを捉え続けるように残された記録ということが分かる。
 40枚目で変化が起こる。タンカーの南。海原の中に黒い影が現れる。それは巨大な円であり、大きさはタンカーの三倍をもっても余るほどである。画像が切り替わるたびに、その影はタンカーへと近付いていく。そして、黒い影が完全にタンカーの直下へ移動する。
 10枚後、タンカーを囲むように巨大な乱杭歯を備えた口のようなものが現れる。それはハエトリソウのように、画像が進むごとにゆっくりと閉じていく。ちょうど半分ほど閉じたとき、タンカー上にパトランプの点灯であろう赤色を見受けることが出来る。そのまま口のようなものは閉じ切ってしまう。緑とも青とも表現できない体色を持ったそれは、ゆっくりと海の中へ消えていく。歯が見えなくなり、黒い影となり、最後には何もない海原だ毛が残される。

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 ボディカメラ。
 赤と青のランプに照らされた家が映し出される。平屋建てと思しき、特に異常は見受けられない家だ。画面端には、警察官と思わしき人物が映っており、その人物は身振り手振りで撮影者へと何かしらの合図を送っている。その人物は拳銃を構えると、家の玄関扉に触れ、ゆっくりと開ける。鍵は掛かっていない。
 内部は真っ暗であったが、ライトにより部屋の中の様子が映し出される。内部は荒れていたが、それよりも目を惹くものが残されていた。赤い、まるで血のような蛇行した痕跡が壁、床、天井、全てに残されており、それが一つの部屋へと這うように伸びている。先を進む警察官は、撮影者を一瞥し、トランシーバーで何かしらの通信をし、その先へと進んでいく。撮影者もそれに続く。
 痕跡の中心部へと向かうと、そこには一人の半裸の男性が膝をつき、祈るように、こちらに背を向け座っていた。赤い痕跡は男の足元へと集うように伸び、男の体自身にも同じ痕跡が見て取れる。先行した警察官が声をかけるような動作をするが、男は反応しない。
 警察官が男の肩に手をかける。男が両手を挙げ、痙攣する。先行した警察官も撮影者も男と距離を取る。男の背が徐々に伸びていく。伸長に耐えられなかった皮膚が裂ける。それでもなお伸びていく。内臓が床に散らばる。背骨が露わになる。男の手も同じように伸びていく。天井近くまでの大きさへと達する。
 次の瞬間、大きく振るわれた腕が警察官を薙ぎ、警察官はそのまま壁へと打ち付けられる。映像が大きくぶれ、撮影者が発砲したのか閃光が画面を覆い尽くす。閃光の中、男の体が撮影者へ接近する。撮影者の体を掴み振り回しているのか、何度も壁や床、天井へと画面がぶつかる。画面にひびが入る。そして、遂には何も映らなくなる。

『怪談師R』

 

金柑

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 私は職業柄、色んな方から怪談話を収集いたしますけれどね。これはポリシーというかなんというか、人から聞いた話はなるべく手を加えるようにしているんですよ。

 事実百パーセントの話を広めたりすると祟り障りがありそうだ、ってのはそうなんですけど、単に「その方が面白いから」というのが一番の理由なんですね。

 怖い話の展開というのは、大抵、いくつかのパターンに集約されてしまうわけです。髪の長い白い服の女性が出てくるだとか、友人だけが何かを見ていて後でゾ~ッとするだとか、実は死者が生者のように振舞っていたのでした……。だとか。

 私のお客さんも耳の肥えた方が多いから、パターンが見えちゃうともう、その瞬間に興が醒めていく。だったらもう少し捻りを加えてやったほうがいい。

 だからこの間のライブでもそうしたんですよ。以前から私のライブに来てくださっている、女性ファンの方の体験談で。

「よければライブで話してください」

と言っていただきましたので、お言葉に甘えて怪談のベースにさせてもらったわけですね。

 もともとのお話は、こうでした。

 

①夜中、決まって誰かが部屋の玄関を叩く。

②カメラを設置するが、何も映らない。

③録音はされていたので、音を注意深く聞いてみる。

④叩く音の前後に人の咳き込むような声を確認。

⑤実はこの部屋は以前、火災で人が亡くなっていた。

 

 私はこのお話をいただいたとき、なんというか、失礼ですが「つまんないなぁ」と感じましたよ。似たような話がいくらでもネットに転がっている、胃もたれするような派生形の一部です。

 この話の中で唯一と言えるオリジナリティは、③と④のくだりではないでしょうか。カメラで姿を捉えようとして失敗し、しかし結果として普段聞こえない小さな音を拾ったという部分。この部分はもう一捻りすれば面白くなると思います。

 場所に関しても、変えるべきです。玄関というのは実質的に居住スペースではないので、寝室や居間といったプライベートのもっと内側の空間のほうが、より逃げ場がなく恐ろしいはずです。夜の決まった時間に玄関のドアを叩くだけなんて、図太い人ならノイキャン付イヤホンをしてそのまま寝ちゃうんじゃないですかね?

 どうです? 内側であるべきですよね。

 ではそれに併せて、死の種類をプライベートの内側で発生させるに相応しいものに変更しましょう。例えば、家庭内の殺人や自死が当て嵌まるでしょうかね。自死はあえて人目のつくところでやる人もいますが……。家でするなら内側が自然ですよ。

 それから、死の種類が変われば、当然、お話のキッカケである異音も変更せざるをえません。また、音はあくまで自分で原因を探りたくなる程度のものに留めたほうがいい。そうです。爆発とか大声とかよりも。自然と誰も呼べないほうが、安心感が弱いでしょう? みなさん。

 ……話があれこれと散らかってきました。でも、結局重要なポイントは2つだけで、あとはこれに対し辻褄を合わせればいいだけなんです。

 

 ・音の発生場所はもっと内側に

 ・音をもっと聞いてもらう

 

 もとの話からだいぶ変わっちゃったんですけどね笑

 よかったら聴いてってください。

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『わく音に近い』

Romの怪談部屋  

 

 これは、以前のライブ終わりに女性ファンの方が寄せてくださったお話です。仮に、ⅰさんとします。

ⅰさんは去年、仕事の都合で東京からとある地方へ移住しました。幸運なことにその地方は全体的に地価が安く、ⅰさんも新築のきれいなマンションを借りることができて満足だったようです。

 それで、最初の頃はよかったのですが。住み続けていくうちに、ある「音」が気になるようになりました。

 毎朝、天井から聞こえる音。

 ⅰさんが目を覚ます6時ちょうどに、まさに今自分が過ごしている寝室の天井から何やら音がするのです。

 ピシッ、パシッ、といった短い家鳴りのような音であれば気にもならなかったのでしょうが、現実それは、木材がゆったりと撓んで軋んでいるような、誰かが一定間隔に隙間をあけて床を踏みしめているような。そんな「負荷」を感じさせるもので、ベッドで聞いていると、どこか落ち着かなくなるものでした。

 ⅰさんは普通の会社員なので、特別建築業界に明るいわけではありません。ですが木造でもない、ましてや新築のマンションから頻繁に軋み音がするのは初めての経験で、何か異常事態なのではないかと考えていました。

 すぐにメールで管理会社に相談をしてみましたが、

 

「ご入居の物件は鉄筋コンクリート造ではありますが、お部屋を区切っているのは木材料となっております。そのため、温度・湿度変化により多少家鳴りのすることがございます。万が一、シロアリなどの害虫が発生していれば大きな音のすることもありますが、ご入居者様の物件は新築ですのでその可能性は低いものと考えられ、また、本格的な検査と点検には別途費用が発生し……」

 

 その回答はとても親身風であり、非常に事務的で、わかりきった事をあえて説明させてしまっただけの、徒労と呼べるものでした。メールにあるようにシロアリだとはⅰさん自身も考えていませんでしたし、お金を払ってまで点検をしてもらうようなつもりもありません。

 ですが、だからといって、あの音が許容していいような種類のものであるとも思えませんでした。

 ここで「いやいや、そんな音じゃないんだよ」と文面で食い下がっても、厄介なクレーマーのようになってしまうのは明らかです。

 そこで、ⅰさんは録音をすることにしました。聴いてもらうのが、一番手っ取り早いと思ったのです。

 

 明朝。

 いつもより早く起きていたⅰさんは、椅子の上に立っていました。スマホをできる限り天井に近づけ、なるべく鮮明に音が録れるような体勢で。

 既に録音は開始しています。あと数十秒で、あの音が流れてくる時刻だから。今日に限って鳴らないなどという考えは、ⅰさんの頭にありませんでした。

 それほどまでに、あの音は毎日正確だったからです。

 ⅰさんは、息を殺します。

 

 ――そして、6時。

 

 ……

 ……ギィ、ィィ、ィ……

 …………ギィ、ィッィッィ……

 ……

 

 何かがひしゃげていくような、一日の始まりの音。

 ⅰさんは1分ほどそれを録音し、部屋を出ました。

 寝室を出てリビングスペースに来ると、先ほどの音はドアに隔てられて聞こえなくなりました。これもいつものことでした。音自体はそれほど大きなものではありません。呼吸のようなペースで、ゆったりと何かが歪むだけなのです。

 ⅰさんはスマホの保存データを開きました。煌々としたディスプレイの光は、朝の開いた瞳孔にぼんやりと痛みを差します。録音の状態を確認するために、音声ファイルを探すと、音声ファイルは、最新の位置にありました。日付も時刻も先ほどのものです。

 スマホを一度テーブルに置きました。ⅰさんは、自分になぜかひそやかな緊張があることに気が付きました。そして、誰に悟られるわけでもないそれを、自覚すらしていないかのように、あくまでテーブルの椅子を引く流れのなかで、再生マークをタップしたのです。

 照明を点けていない早朝の部屋は、水が取り替えられていない水槽の中のようでした。意識と景色とがまだぴったりと合っていないこの時間は、まるで自分という生き物が被膜とは別にあるように錯覚させます。

 

 現実として、ⅰさんの身体は動きませんでした。

 いえ、動かせませんでした。

 椅子とテーブルの間に立ち、背後の椅子のひじ掛けに両手をかけ、バランスのため頭を前傾させて屈み、あとはまさに重力で座面に腰を下ろすだけの状態で、ⅰさんの身体は落下も転倒もなく硬直しました。

 この空気椅子のような状態を維持できる力は、平均的な成人女性であるⅰさんにはありません。さながら水の中で姿勢をとったような、重力的体感のなさでした。

 不可思議な現象に対する気の動転か、胴のあたりが微塵も動かないからか、ⅰさんは息苦しく浅い呼吸をしています。酸素が思うように廻らない苦しさのなかで、それに抗って目を動かしました。

 テーブルと床。屈んでいるため視界はほとんどそれでした。ですが、目の端には画面が映っています。すでに再生マークをタップしてから、1分ほど経過したスマホの画面が。

 

  • 1:06 \ 2:12 

 

 ――記憶が正しければ、あの音の来る頃でした。

 ⅰさんは本能的に目を背けようとしましたが、身体の硬直はいつの間にか更に強くなっており、スマホの画面から目を離せませんでした。視線を動かすことも、焦点をぼかすことも、瞬きも、かろうじてできていた呼吸でさえ奪われ、ⅰさんには何もできなくなってしまいました。

 できるのは、カウントされる数字を、ただ凝視することだけ。

 

▽ 1:06 \ 2:12 

 

 あの音が。

 

▽ 1:06 \ 2:12 

 

 来る。

 

▽ 1:06 \ 2:12 

 

 音が。

 

 ▽ 1:06 \ 2:12 

 

 来る。

 

▽ 1:06 \ 2:12

 

 音が。

 

▽ 1:06 \ 2:12 

 

 音が。

 

▽ 1:06 \ 2:12 

 

 来る。

 

▽ 1:06 \ 2:12 

 

 音が。

 

 ▽ 1:06 \ 2:12 

 

 音が。

 

▽ 1:06 \ 2:12

 

 音が。

 

 しかし待てども、再生時間は進みません。体感ですが、すでに1分は経過しているはずでした。息のできない苦しみが、願うような凝視が、意味もなく注がれていきます。

 混乱していましたが、一つ、理解しました。

 呼吸ができず、抵抗もできず、失神もできず、落下もせず、崩れることもなく、ただ引き延ばされるこの時間が、何者かの悪意であるということに。

 ⅰさんは気付くことができました。鈍く錆びた鋏で、皮膚をなぞって弄ぶようなわざとらしい悪意の、滞留と反復が、自分の部屋で起こっているのだとわかりました。

 だから、悪意は目を合わせようとしているのでしょう。

 寝室からリビングに入ってきた男性は、さっきまでⅰさんの後ろにいました。

 今は、回り込むように左側を経由して、正面に立ち、ずっと顔を覗き込もうとしています。

 いつの間にかはわかりません。立っていたのです。

 まるで、男がずっとそこにいたという事実が、後から生えてきたかのようでした。

 男はテーブルに上体を預け、這うようにして、不定形の頭部を焦点にすべりこませようと何度も身体を揺らしています。

 男が口をゆっくりと開きました。人の顎の正常な動作ではない開きをした穴には、辛うじて口腔のようなものが認識され、その腐った歯茎から、黒ずんだ固形物がテーブル上に糸を引いて散らばります。「カツ、カツ」と跳ねた硬い音を聞いて、歯だ。と直感しました。

 ⅰさんは動くことができません。変わらず、されるがまま、悪意に晒され続けます。酸素を求めて痙攣を続ける肺の焼けるような痛みや、バラバラになっていく血や組織の苦しみから早く逃れたいがために、元凶である悪意に心から懇願し続けます。

 男は、そんなⅰさんを嬲るように、あえてつとめてゆっくりとした動作で、口腔……、穴の輪郭を膨張させ、震わせます。

 そして、男の穴から発せられる音を聞きながら、ⅰさんは天井の音を思い出していました。何かが軋むような、歪んでいくような不安のあるあの音を。毎朝耳にした、長い長いあの音を。

 あの音が、今聞いているこの音と、関係があるのだとしたら。

 あれは果たして単一の音だったのでしょうか。

 

 

 

 ――はい。以上です。おつかれさまでした。

 怖かった? みんなどうだったかな?

 音? あー最後の音ですよね。

 ここでしょ。男の発した音、気になりますよね。

 えーっとね。例えるならそうだなぁ。

 擬音だとわかりにくいから、じゃあライブに来てくれてるみんな、次のことを想像してみてください。

 ビニール袋あるじゃないですか。スーパーやコンビニでもらえるようなの。あるよね。あれをね、両手で小さくまとめて、それをボールみたいに掌で挟んで転がすの。

 そうそう「わしわし」みたいな「くしゅくしゅ」みたいな音が細かくたくさん鳴るでしょ? みんなも聞いたことあるよね?

 そういう音が鳴ったんだ。小さく。たくさんね。

 想像できたでしょ? ね。

 あ、例え上手い? はは、ありがとうございます。

 

 私は……。これは前々から思ってたことなんですけどね。

 よくユーチューブとか怖い系のサイトとかでさ、「聴くと呪われる音声」とか「不幸が訪れる歌」って、あるでしょう?

 あれ、ああいうのさ

 音量をゼロにして、ずっと流してたらどうなるのかなぁ。

 怖い? うん、ですよね。なんかそんな感じがします。なるべくならやりたくない感じ。

 それでね、みんなは本とか読むとき、言葉を処理するとき、頭のなかには、音が流れてる?

 脳内再生っていえばいいんですかね。無意識に、誰かの声で、何かの形をとって、あなたの脳は音を発していますか?

 なんでもいいんです。例えば、誰かが刺し殺される間際の音を、例えば、車が幼児を引きずり回すときの親の声を、例えば、膨らんだ水死体が波打ち際に漂っているときの音を。

 あなたの脳は、どんな風に再生してるんでしょうか。聞いたことがない音でも、それに近い音を過去の経験から引っ張りだして、「それそのもの」として、扱っているのでしょうか。

 なら、起源がまったく別の音であったとしても、仮になんとなく近い音の想像であったとしても、脳の内側では成立してしまうということになりますよね?

 そんな風に成立した生の音を、何人もの人が、何度も何十回も何百回も、身体の一番内側で、ミュートで再生し続けていたら、いったいどうなってしまうんでしょうね?

 

 ビニール袋。

 

 思い出してあげてくださいね。

 彼女はまだ聞いているので。

 身体から。

 

 

(このライブ動画は終了しました)

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