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不運な死神がやってきた

 


 どうやって死ぬべきか、それが問題だ。

 

 

 


 青色の瞳が、前方から走ってくる巨大なトラックを何とはなしに眺めていた。

 

「ああ、この車なら」

 

 大きいし、重そうだし、今はスピードも出ているし。

 

 そう考えた末、青の瞳は僅かに期待の篭った色を浮かべて細まった。まっすぐに歩いていた足を慎重に左に傾けてく。少しずつ、少しずつ。

 

 トラックがぐんぐん近づいてくる。もう少し、あと少し……。

 

 目と鼻の先にトラックが走りこんできた瞬間、両足でアスファルトを蹴り上げ車道へと飛び出した。禍々しいまでに巨大なトラックが一メートル手前にあるのを、運転手が驚愕の顔をしていたのを、しっかり見つめ、恐れもなくスローモーションで近づいてくるトラックの前で仁王立ちした。

 

 周りの景色がゆったりと流れ、走馬灯の欠片が覗いた。三歳のバースデイの時だ。

 ここまで条件が揃っている。完璧だ。自然とほくそ笑んだ瞬間、トラックは既に三十センチの間も無かった。

「危ない!」
「なに?」

 しかし、突然聞こえた叫び声。体が突き飛ばされ、痛みと衝撃と共に歩道へと転がった。全く以って理解が出来なかった。目の前にあったはずのトラックは消え、変わりに飛び込んできたのは澄んだ青空だ。

 すぐ脇で断末魔の悲鳴があがり、恐ろしい破裂音が響いて道行く人々が叫んだ。
 ゆっくり脇を見やると、自分がそうなっていたはずの光景・・・トラックに轢かれ、四肢の吹っ飛んだ肉塊が血だまりに転がっている、そんな光景が広がっていた。

 トラックが十メートルほど向こうでようやく停止し、血の轍を残している。自分を助けてくれた青年はべちゃりと音を立ててようやく吹き飛んだ頭が、上半身ともつかないものの上に落ちてきた。

「大丈夫かい?」

 にかっと人のよさそうな笑みで頭が言う。笑みを返すなんて事は到底できず、苦虫を百匹噛み潰したってできないような般若の形相で、足音荒く人波から立ち去った。

「ほらね、また失敗だわ」

 予想はしていたけれど、それでも今度こそは大丈夫だと思ったのに。

「あれ、俺の体は? 俺の脚・・・わあ、あんな遠くに! 俺、俺、死んだのか!? 誰か、救急車ー!」

 青年の首が仰天して叫びまくっているのを後ろに、角を曲がって騒ぎから姿を消した。

 

「おかえりなさあい、アニタ、今日の学校どうだった?」
「フツー」

 扉を開けた瞬間、キッチンから聞こえてくる母親の声に、アニタは低い声で返した。キッチンから漂うホットケーキの甘い匂いも、今のアニタの気分を盛り上げてはくれない。

「ホットケーキ焼きあがるわよ、鞄置いていらっしゃいな」

 先程の光景を思い返しながら、アニタは生返事を母親にかえすと二階の自分の部屋に引っ込んだ。質素な部屋のポールハンガーに鞄を引っ掛けると、ため息一つ机に座り、引き出しから一冊のノートを取り出した。

 ずらりと字が並ぶそのノートのページを開き、一番最近の項目の下に鉛筆で新たに書き加える。

『交通事故(大型トラックとの正面衝突):人に助けられて失敗』

 再びため息をついて、アニタはぱらぱらとページを捲った。どのページにも物騒なことが並んでいる。

『首吊り:ロープが切れて失敗』
『手首を切る:窓から突っ込んできたボールが頭に当たり失神して失敗』
『飛び降り:トラックの荷物(トランポリン)の上に落ちて失敗』
『焼身:突然のスコールにより鎮火して失敗』
『溺れる:イルカに助けられ失敗』
『毒薬:中身が腐り毒性が消えていたので失敗』

 などなど、上げたらキリが無い失敗の文字が、分厚いノートの三分の二を埋め尽くしている。一度たりとも成功の文字を書けたためしがなく、まあ成功していたのなら書くことは出来ないのだが。

 今日のを含めてかっきり999個の自分の戦歴と、ノートの表紙に書かれた『死に挑む者』という文字を眺め、静かにノートを引き出しに戻した。

「もう大台の四桁になるっていうのに、まだ一度も死ねないなんて」

 苦い顔に、憔悴しきった声で呟く。

「どうしたら死ねるのかしら、嗚呼」

 この台詞で皆さんお分かりのように、そう、アニタは自殺願望者だった。
 しかし、ただの一度も成功した事がなく、999回の自殺未遂を繰り返しても、実際は傷一つ負わずに現在ピンピンしている。病院に担ぎ込まれた事も、擦り傷一つついた事もない。最早世界一の自殺マニアとなったアニタは来る日も来る日も自殺を試みては、全く無傷の生還を繰り返す日々なのであった。

 今となっては、既に諦めの色も濃厚になってきており、今日のように自殺に失敗したとしても「やっぱりね」という感情ばかりで、落胆すら感じるのも億劫になるほどだった。

 なんて可愛そうなんだろう。死にたいのに死ねないなんて、こんなの狂ってる。アニタは胸中で嘆きながら静かに部屋から出て行った。階段を降り、キッチンに入れば自分と同じふわふわのブロンドを腰まで垂らした母親が上機嫌に歌っている。

「シロップは自分で用意して」

 今まさに出来上がったホットケーキを皿に移しながら、母親はアニタに言いつける。アニタは黙って調味料の入った棚からシロップを取り出した。無表情ではあるものの、アニタは大の甘党でホットケーキが大好きだったりする。

 娘のそんな性格を母親は良く知っていて、だから物を食べて美味いと言われなくても、空になった皿を眺めるだけで満足だった。同じように、特に何も言わなくても何となく食べたいものを判ってくれる超能力者のような母親がとても大好きだった。つまり、二人は素晴らしい親子関係なのだ。

「何か面白い事あった?」
「別に」
「そうなの」

 無表情で淡々と切り替えすアニタとは真逆で、母親はニコニコと楽しそうにしている。こればっかりは我が母ながらアニタは不思議でしょうがなかった。人が良すぎるのだ。

 一体どうして、こんなに愛想の良い素敵な女性から、こんなに愛想の悪い捻くれた娘が生まれたのだろう。自分が拾われ子なのではと疑った回数は星の数で、けれどもやはり母親譲りの自分の顔には、血縁の証がまざまざと現れている。

 それに、拾われ子だろうがそれでも良いと思っていた。本人に言ったり、態度で表したりはしないが、アニタはこの母親が好きだし、ハンサムより少し劣ってしまうけれど優しい父親も好きだった。

「今からね、パパとおでかけしてくるの。今日って結婚記念日じゃない? だからね」
「夕飯、ピザとっていい?」
「だめよ。私達は夕飯までに帰ってくるもの。パパと公園をお散歩するだけだから」
「散歩? たったそれだけ? 豪華なディナーとか、映画とかは?」
「公園をお散歩するだけよ」

 それで十分なの、と母親は少し幼い顔をうっすら赤らめて言った。アニタはせっかくのピザを逃した無念さに渋々頷き、何時もよりしっかり化粧をした母親が着替えに行く後姿を眺めた。

 という事は、である。家には一人きり、何だってし放題。家族が居るせいで中々試せなかった自殺方法が試せるというものである。今度は何を試そうか。フォークをコンセントに突っ込む? また手首を切ってみるのも良いな。それよりお風呂に入ってドライヤーを湯船に落としてしまおうか・・・。

 色々と危険な妄想に浸っていると、白いワンピースを自分の髪と同じようにふわふわさせながら母親が出てきた。ハイヒールはこの母親似は似合わないので、ヒールのない可愛らしいサンダルを履いている。

 美人だと、素直に思った。誰が一児の親だと思うだろうか? アニタを母親に見惚れている間にすっかり毒気を抜かれたように自殺プランを忘れてしまった。

「じゃあね私の小さな天使ちゃん。七時までに帰ってくるから」

 軽くアニタの頬にキスして、母親は家から出て行った。急に静かになった家の中に、どこからともなく飼い猫のサンデーが現れて短く鳴いた。これは、アニタが前に拾ってきたブチのある不細工な猫である。それで我に返ったアニタは残りのホットケーキを平らげて、再び危ない妄想の世界へと繰り出した。

 悩みに悩みぬいた末、結婚記念日にデートを終えた幸せ全開の両親が真っ先に見るものが娘の死体だと気分が悪くなるだろうという事で、アニタは夕暮れの町を一人でとぼとぼ歩き出す事にした。

 目的地は、近くにある大きな公園だ。今の時間、ちょうど子供達は家に帰るし、人通りは少なくなる。自分が一人でひっそり首を吊ってもバレやしない。頑丈な枝を選び、ロープも新しく買ったばっかりの物を用意して、助ける人さえも居ない状況だ。よし、完璧。

 今度こそはと思う反面、やっぱり駄目なのだろうと、期待半分諦め半分で公園に到着すると、アニタはこんもりした丘の上に聳え立つ大きな杉の木の下までやってきた。

 町は夕日に包まれて赤く燃え上がり、これが見納めかもしれないと思うと妙に胸がざわざわする。けれどアニタはそんな事を気にせずに、木の枝にロープを結び始めた。しっかりと、何重にも。

 最後に輪をつくって完成だ。持ってきたダンボール箱の上に乗り、頭を輪に通す。周りに人影は無い。ロープもしっかり、枝もしっかり。木にはロープを齧るリスや鳥さえもいない。とても穏やかな夕暮れだった。

 状況としては最高だ。アニタは無表情のまま静かに深呼吸をした。今度こそ、死ねるかもしれない。全身を痺れるような幸福感が襲った。ようやく、ようやくだ。

 アニタの足がそっと一歩踏み出す。ダンボールを蹴り飛ばし、今まさに旅立とうとした瞬間。

 バリバリバリッ!

 突如物凄い破裂音が辺りに響き渡り、アニタの体は凍りついた。自分の場所から二メートル程先に、雷でも落ちたような爆発がありもうもうと土煙が渦を巻いている。

 その中央に怪しい人影が揺らめき、徐々に晴れていく土煙の中から身も凍るような低い声が轟いた。

「汝はアニタ・ロールズであるか」

 地の底から響くような声の主の姿を見て、アニタはぎょっとした顔で目を見開いてしまった。
 真っ黒のフードを地面に引きずり、身の丈より少し大きな鎌を片手に悠々と佇む……声から判断したのだが……男の顔は、驚いた事にガイコツだった。

 大鎌を持つ手も白い骨で、此方を見つめる落ち窪んだ真っ暗な闇は、何もないと言うのに強烈な視線を感じる。何故だか直感的に、これは人間が仮装して出来うるものではないと悟っていた。

 アニタの驚いた事といったら! 皆さんも、自分が今まさに死のうとしている瞬間、こんな恐ろしい人物が突然現れたと考えてごらんなさい。どれ程アニタが吃驚したか、もしかして自分は狂ってしまったのではと考えたのも、きっと納得がいくはずでしょう。

「再度問う。汝はアニタ・ロールズであるか」

 ガイコツは再び声を発した。その声ときたら大声で叫んでいるようでもあり、耳元で囁いているようでもあり、低い声だというのに一語一句ハッキリと聞き取る事ができる。

 アニタはしばし呆然としていたが、ようやく我に返ると「そうよ」と呟いた。

「我は死を司りし者、汝アニタ・ロールズの魂を導きに参った」

 ダンっと音を立てて、ガイコツは大鎌の柄の下を地面に叩きつけた。アニタは再び呆然として、言葉の意味を考えようとする。しをつかさどりしもの?

「……つまり、アンタ、死神?」
「いかにも」

 厳かに死神は一つ頷くと、後は黙ってアニタを見つめるばかりとなった。


 しにがみ、シニガミ、死神! アニタは真っ白の頭の中で、自分の声が何度も同じ言葉を連呼するのを聞いた。死神だ。とうとうやって来てくれたのだ。これでもう失敗の心配はなくなる。だって死神が居るんだから!

 アニタは黙りこくった死神をちらちらと盗み見ながら、再度ロープの位置を確かめると深呼吸をした。見られながら自殺するというのは、何とも不思議な気分になる。何故かちょっと気恥ずかしくなって、アニタはしかめ面のまま死神から目を反らした。

 今度こそ本当に終わりだ。確実に死ぬ事が出来る。さようならパパとママ、さようなら数少ない友達、さようなら私の生まれた町。祈りの言葉のように胸中で呟いてから、アニタは力いっぱいダンボールを蹴った。

「あぶなーい!」

 まさにその時、聞きなれた声がアニタの背後から降りかかってきた。首を折るはずだった衝撃はとうとうやって来ず、代わりに、中程からぷっつり切れたロープのせいでアニタの体は芝の上に放り出されてしまった。

 痛みにアニタがうめき声を上げる。じと目で夕焼け空を見上げていると、足音がすぐ側まで近づいて来て、間の抜けた声が降って来た。

「ごめんねアニタ、大丈夫?」
「……私、生きてる?」
「うん、元気そうだよ」
「……ああ、ブルース。アンタって奴は・・・」

 ブルースと呼ばれた少年は、アニタに向かってニコニコ笑いながらそっと彼女を起こした。アニタは木の幹に何やら見慣れない星型のものが刺さっているのを眺め、ぶっつりと切れているロープの切れ端を睨む。

「そのロープどうして首に巻いてるの? 新しいファッション? イカすね!」
「……アンタここで何してるのよ」
「シュリケンの練習さ!」

 ブルースの手には、木の幹に刺さっているのと同じ星型のシュリケンとやらが何枚も握られている。確か日本のニンジャの映画で見たことはあるが。

 アニタは怒りがじわじわ体中に広がっていくのを感じ、自殺を阻止してくれたブルースをぎろりと睨みつけた後、ゆっくりと振り返った。

 なぜ、死神がやってきたと言うのに自分は死ねないのだ。これでは、全くお話しの筋に合わない。なぜならこれは、邪悪な死神に魂を狙われ、必死に生きようとする主人公の話ではなく、ようやく死神に目をつけられ、念願の死を手に入れようとした主人公のお話しだからだ。

 アニタは怒りに燃えながら、改めて死神を睨んだ。あの厳しい顔に一体どういう表情を浮かべて、今生きている自分を見ているのだろう。

 けれど、驚いた事に死神の顔は間抜けだった。先程の背筋をぞくりとさせる禍々しい雰囲気もかなぐり捨てて、きょとんを目を丸くし口を半開きにしている。ガイコツの呆けた表情の、間抜けな事といったら。

 そして更に驚いた事に……本当に、突然のことなのでアニタの怒りが消えてしまったほど……死神が地面にくずおれると、大鎌を放り出して火のついたようにわんわん泣き出したではないか。硬い骨の手を握り締め、芝生をドンドンと叩いている。

「ああ、ああ、何てことだ! 俺は一文無しになってしまった! どうして失敗するんだよお!」

 一体、何をどうしたら先程の恐ろしい死神が、今わんわんおいおいひーひーぎゃーぎゃー泣き喚いている死神と同じ人物だと思えるだろうか。打ちひしがれる死神を見下ろしながら、アニタは眉間に皺を寄せた。

「ちょっとアンタ、どういうことよ。泣いてないで事情を説明しなさい……ほら、泣き止んで。泣き止みなさい。黙れ!」

 アニタに一喝され、死神はぎょっとして泣き止んだ。自分が死神だという事も忘れ、アニタの恐ろしい形相に震える始末である。

「だ、だ、だから、その、死神仲間で賭けをして……お前が千回目の自殺をするって言うから、俺は絶対に成功するって、そう言ったんだ。他の皆はまた失敗すると言い張るもので、俺はカっとなって全財産を賭けても良いと言ってしまい……」
「私が、死ねるか、死ねないかで、賭けを、したの?」

 低い声でアニタがじりじり迫ってくる。死神は悲鳴をあげて飛び上がり、ガタガタ震えながら逃げ道はないかとあたりに視線をめぐらせていた。

「大体、アンタ死神じゃないの? どうして私を殺してくれないのよ。し・に・が・みなんでしょう」
「わ、我々、我々死神は人を殺すのが仕事ではない! 死んだ人間の魂を連れて帰るのが仕事だ! お前が死んでくれない事には、俺はお前の魂を連れて行けない!」
「アニタ、この人だれ?」
「ちょっと黙んなさいブルース。ああ、全くこの意気地なし! 鎌をよこして!」

 哀れにも震えて声が裏返っている死神の横に落ちた大鎌をひったくると、アニタは刃の部分で自分の喉を掻っ切ろうとした。これを見た死神は吃驚仰天して飛び上がると、大慌てで鎌を奪い返そうとした。

 アニタが逃げ惑い、時に大鎌の柄で頭蓋骨をぽかりと一発殴ってやる。死神も負けてはおらず、とうとう柄の部分を持っての両者の引っ張り合いとなった。

「離せ! これは普通の鎌ではないんだ!」
「アンタがやらないから私がやるだけの事よ! ブルース、手伝いなさい!」

 状況が飲み込めないブルースだが、言われたとおりアニタへ加勢すると、引っ張り引っ張られの大鎌から花火のような光が飛び散り始めた。

 それがあまりに色んな方向に吹っ飛ぶもので、木の幹に当たり焦げた跡を残せば、空を舞う雀に当たり雀はぱったりと死んでしまい、通りかかった野良猫は胴体が真っ二つになったにも拘らず、その両方が生きて逃げ出し、丘の上はとんでもない大騒ぎとなった。

 離せ離せのもみ合いが進むうちに、大鎌は震えだして色とりどりの光を噴射しまくる。とうとう殊更大きな真っ白の光が噴射されると、木やベンチや噴水に兆弾して三人に直撃した。

 バーンと派手な音がして、三人は芝生の上に吹っ飛ぶ。大鎌はようやく静かになり、三人同様静かに芝生の上に転がっていた。

 一番先に起き上がったのは死神だった。我先にと大鎌に飛びつき、しっかりと手中に収めると二人を睨みつける。二人はゆっくり起き上がり、痛む体をさすっていた。

 そこで妙な事に気がついた。特に痛む後頭部に手を伸ばすと、何かが刺さっている。驚いてそれを引き抜くと、先程ブルースが木の幹に刺したシュリケンだった。吹っ飛ばされた時に刺さったらしい。おびただしい量の血が流れて、アニタの背中を真っ赤に染めていく。

 けれど、それにしてはアニタは元気だった。それどころか手で傷口を触っているうちに、それは突然消えて血も止まり何時ものアニタに戻ったのだ。

 呆然として横を見れば、先程手にしていたシュリケンが全部体に刺さったブルースが血を噴出していたが、不思議そうにそれらを引き抜くと見る見るうちに傷が治っていくではないか。

 二人とも血だらけだが、至って健康だった。むしろ、二人より不健康そうな顔色なのは死神のほうだ。白い骨を更に白くして、目も口もこれ以上開けないというくらいぽかんと開いている。

「なんて事だ……不死になってしまった」

 死神が擦れた声で呟いた。とても小さな声だったが、聞き逃すアニタではない。面白くなったのか、何度も自分の腹を刺しては治る傷を眺めるブルースを尻目に、大またで死神へと近づいた。

「説明しなさい」

 反論の許さぬ声音でそう言うと、死神のローブの襟首をがっちり締め上げ、今にも首を折ってしまいそうな恐ろしい目で睨んだ。

「お、お前らが抵抗するから! これは死神の鎌なんだぞ、魔法が使えるんだ。あんなしっちゃかめっちゃかに魔法が飛び回るから、何か変な作用が起きて不死の魔法になってしまったんだ。俺のせいじゃないぞ!」
「治しなさい。今すぐ。な・お・し・な・さ・い!」
「ぐぅ、む、無理だ、不死の魔法の効き目は……ぐう……とても強力だ。うぐ、治すのに一年はかかる」

 とうとう首を絞め始めたアニタに慌てて説明すると、アニタは呆然として死神の硬い骨の首から手を離した。体の力が抜け、血の気が引いていくのがわかる。一年だって?

 世界一の自殺マニア、アニタにとってそれはとてつもない拷問だった。確かに今まで失敗続きだったが望みがゼロではなかった。けれど今はどうだ! 不死という事は、確実になにをやっても死ぬ事はできないのだ。望み云々の話しではなく、全く以って論外なのだ。

 ショックのあまり倒れそうになるのを必死に堪えて、アニタはその場に立ち尽くした。怒りと絶望が同時にお腹の辺りでぐるぐる渦巻き、痺れたように動く事が出来ない。

「死ねない……そんな……」

 小さな声で呟いた時、再びあたりに大きな爆発音が響き渡った。二度目のバリバリの後、ひょっこり姿を表したのはまたしても死神で、二人目の死神は頭蓋骨が丸く、一人目よりひょうきんな印象を受けた。

 真っ黒のローブのホコリを払いながら、二人目の死神は一人目の死神を見つけてにっこり笑い、愛想良く手を振って見せた。

「よう、グレゴリー」
「エド、わが友!」

 一人目の死神、グレゴリーは嬉しそうに笑ってエドを見やる。アニタとブルースは、二つのガイコツ顔をじっと見つめていた。

「だから言っただろう。失敗するって」
「むう、うむ……なあエド、あの賭けは無かった事に……」
「ならない」

 ぴしゃりと言い放たれて、グレゴリーはがっくり肩を落とした。一体どれ程の値だったのかは知らないが、全財産をなくすというのは穏やかではない。

 慈悲の欠片も見せないエドは、それでも今にも泣きそうなグレゴリーの肩をぽんぽんと叩くと、やはり笑顔で口を開いた。

「それでな、グレゴリー。ボスから伝言だ。その為に来たんだ」

 きょとんとするグレゴリーは、不思議そうにエドを見やる。ボス、という事はつまり、死神を束ねているとても恐ろしい神の事だ。

 エドはもったいぶった様子で咳払いを一つすると、息を吸い込んで口を開いた。

「この大馬鹿者ー! 貴様は死神の恥だ! とんだ間抜けだ! 人間を不死にして、一体何を考えている!その人間達の不死を治すまで、一度たりとも地獄に帰ってくるな! もし不死を治せなかったり、その間地獄で顔を見ようものなら、灰も残らぬ業火で焼き尽くしてくれる! ……人間のお二方、この度は私の部下がとんだ失態を演じて、さぞかしご迷惑を受けたことでしょう。誠に申し訳御座いません。それを治すには、一年間死神の側にて過ごし、死を体内に取り込むより他はありません。ご迷惑とは思いますが、一日に十分以上その死神の側に居てください。それを一年間続ければ貴方たちは再び死ぬ事の出来る体となります。その間、グレゴリーは貴方がたの好きなようにこき使ってやってください。お二方が地獄へお越しする日を心よりお待ちしております」

 一息にこれだけを言ってのけると、エドは再び笑顔に戻り理解したかと小首を傾げる。ブルースは呆けて、アニタとグレゴリーは顔面蒼白でエドに食って掛かった。

「冗談じゃないわよ。一年間も死ねないの? どうにかしてよ」
「悪いけど無理です。伝言でも言ったとおり、一年間は治らないので」
「エド、嘘だろう? 俺は一年間も、この、この、人間界で暮らすのか!?」
「うん。自業自得だな」

 アニタとグレゴリーは顔を見合わせ、一言も喋らなかった。お互いに最悪の出来事が起きてしまった。アニタは死ぬ事が出来ず、グレゴリーは地獄に帰ることが出来ない。

 エドはそんな二人と能天気なブルースに手を振り、我関せずとさよならを言ってくるりと消えてしまった。既に夕日は沈み、辺りは青い闇に満ちている。

 しばらく沈黙だった。ブルースも自分の体を刺すのをやめて、不思議そうに二人を眺めている。ややあって、低い低い声を出したのはアニタだった。

「約束しなさい」

 グレゴリーを憤怒の顔で睨みつけ、再び襟首を掴み上げる。グレゴリーはアニタの気迫に負けて、約束の内容も知らないうちから頷いていた。

「一年後の今日、不死が治ったら、絶対に死ねるようにアンタが協力しなさい。それまで、私から離れたり逃げ出そうとしたら、地獄が遊園地に思えるくらい痛い目見せるわよ」
「わわわわ判った! 協力する!」

 振り子人形のようにかくかくと何度も頷きながら、グレゴリーが悲痛な叫び声をあげた。ようやくアニタはグレゴリーを開放すると、きょとんとしているブルースを見やる。

「……ブルース、新しい友達よ」
「うわあ、本当!? ハイ、僕ブルース! 死神の友達なんて初めてだ!」

 あまり状況を理解していないブルースがぶんぶん手を振るのを引き攣った顔で眺めるグレゴリー。とにもかくにももう夜なので、三人はとぼとぼ家路につくことにした。ブルースとアニタの家は隣同士なので帰り道は一緒だ。勿論、グレゴリーも。

 グレゴリーの魔法で二人の血は綺麗に拭い取られており全く問題はないが、道行く人々はグレゴリーをぎょっとした顔で見ている。あまりに珍妙な姿なので、笑う人さえ居た。

 これだから嫌なんだとぼやくグレゴリーを気にせず、二人はようやく自宅の前まで到着するとバイバイをしてそれぞれの家に入っていった。アニタの家の中は真っ暗で、まだ両親は帰ってきていなかった。

「それにしても」

 電気のつけられた家の中を見て、グレゴリーは呟いた。シンプルながら所々可愛らしいものが置いてある家の中や、いくつもある写真はどれも幸せが漂っている。間違っても、これが自殺を望む人の家庭であるとは思えなかった。

「どうしてそんなに死にたいんだ?」

 アニタがぎろりと睨んだのでグレゴリーは慌てて口を閉じたが、ややあってアニタは視線をそらすと、ため息と共に消えいりそうな声を出した。

「わかんないわよ」
「え?」

 問い返したグレゴリーを再度睨み、アニタはそれきりもうその話題を口にしなかった。代わりに、どっしりとリビングのソファに腰掛けると、テレビのリモコン片手にグレゴリーを見もせず言った。

「アンタ、突っ立ってないで猫に餌をやって」
「俺が!? どうして!」
「馬鹿ね。アンタを好きなだけこき使って良いって言われたじゃない。それに、私の人生をめちゃくちゃにしたのはアンタよ。ブルースとは友達でも、責任とって私の僕になりなさい」
「し・も・べ!?」

 素っ頓狂な声で飛び上がったものだから、せっかくやってきた猫のサンデーが鳴き声をあげてアニタの膝の上に避難してしまった。

 怒りよりも絶望感の方が大きくて、グレゴリーは口もきけずわなわな震えだした。死神が人間の僕になるだなんて、こんな馬鹿な話しがあるだろうか! ただでさえ嫌な人間界での暮らしを一年間も強要されているというのに、その上人間の僕だなんて!

 目の前が真っ暗になっているグレゴリーに、アニタは容赦などせず机の上のオレンジを投げつけた。

「早くしなさいよ。それが終わったらパパとママに紹介するからローブの汚れをとっておきなさい」
「なんでお前はそんなに上から物を言うんだ! まだ六歳だろう!」

 ……おや、皆さんに言うのを忘れていましたっけ。グレゴリーの言うとおり、アニタは正真正銘の六歳の女の子。小学校一年生の、小さな子供にすぎないのです。因みにブルースはアニタと同じクラスの同級生で、アニタが一歳の時から一緒に遊んでいる、幼馴染。

 だから、今までのことも全部六歳の女の子と大きな死神との話なのですが、まあ、それは今は置いといて。

 そんな訳で、不運な死神と自殺マニアの少女はこうして出会ったのです。

「明日から私は学校だけど、その間に家事をしておきなさいよ。ママを手伝うの」
「だから、どうして死神の俺が!」
「私の僕だからよ」

 恐ろしい表情で睨んでも全く動じない小さな女の子から荒々しく視線をそらせると、グレゴリーは悪態をつきながら猫の缶詰を探し始めた。こき使われろと、ボスの命令には逆らえないのである。

 アニタはそんなグレゴリーを見もせず、テレビで流れるトラックに轢かれた青年と、突如目撃された真っ二つの猫のニュースを眺めて、明日からの生活をどうしようかと考え込んでいたのだった。
 

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