サンドラは普通の女の子
周りが何を言おうと、しったこっちゃ無いの。
「そういう訳だから、今日から私の僕になったグレゴリーよ」
「まあ、よろしくねグレゴリーさん。お部屋用意しなくっちゃ」
「うん、屋根裏が空いているよママ。アニタが死なないなら、心配事が一つ減ったなあ。この子ってば、こう見えて結構お転婆なもんで」
「…………。」
「そういう訳で、私とブルースは死ねない体になっちゃったの」
「うちのブルースが死なないだって! 母さん聞いたかい、頭痛の種が一つ減ったぞ!」
「それは良かったわ。ブルースったらすぐ危ない遊びをするんだから。でも死なないなら、好きなだけ遊んでらっしゃい」
「うん、ありがとうママとパパ! それと、説明してくれてありがとうアニタ! あと、フシにしてくれてありがとうグレゴリー!」
「………………。」
この町の住人は、一つの例外もなくイカれてるんじゃないだろうか。
死神の自分を飄々と受け入れ、あまつさえ子供を不死にされたと言うのに、至って和やかな二つの家族の反応を見て、グレゴリーは心底思ったのだった。
けれど、これはグレゴリーにとって中々良い状況だった。周りの人間は可笑しいかもしれないが、何の障害もなく寝床を確保できたのである。だからして、宛がわれた屋根裏での就寝後、目が覚めたときには死神の自分には不似合いなほど清清しい目覚めを手にいれることが出来た。ほんの一瞬だったけれど。
「グレゴリー!」
爽やかな朝に似つかわしくない恐ろしいアニタの呼び声が、下の階から轟いてくる。ぎょっとして階段を降りてみれば、血だらけのアニタがパジャマ姿で部屋の前に立っていた。
因みに、グレゴリーの部屋となった屋根裏へはアニタの部屋の隣にある階段を使わねばならず、グレゴリーが起きて下におりると、同じ時間に起きた場合、一番最初に目にするのは寝起きで不機嫌なアニタなのであった。
「血を拭いてちょうだい」
「どうしたんだ、一体?」
「昨日の事が夢じゃないかと思って、ペンで首を刺してみたの」
成る程、見ればアニタの首にはボールペンが真横に突き刺さっている。うまいこと太い血管を切断したのか、傷口からはぴゅぴゅと血が噴出しピンクのカーペットを汚していた。
グレゴリーは呆れてアニタの首からペンを引き抜くと、すぐに治った傷を確認してから大鎌をちょいと傾けて緑の閃光を放った。一瞬にしてアニタとカーペットから血痕が消え去り、何の変哲も無い少女とカーペットに戻った。
「悪夢だったらどんなに良いか」
腕組みをし、綺麗になった自分を見下ろしてアニタは苦々しい声で呟いた。例え不死になったとしてもアニタが世界一の自殺マニアである事に変わりは無い。
二人が一階におりていくと、ちょうど母親が朝食のホットケーキを作り終えたところだった。母親と父親も交えて四人の朝食の席で、生まれて初めてグレゴリーはホットケーキを見た。
「あら、食べた事無いの? ホットケーキって言うのよ。アニタが大好きなの」
不思議そうにフォークでホットケーキをつつくグレゴリーを見て、母親が可笑しそうに笑いながら言った。グレゴリーは「ホットケーキ」と口の中で復唱して、ちらりとアニタを見やる。シロップをかけ、ナイフとフォークで切り分けながらもくもくと食べる姿をみると、恐る恐るそれを真似した。
一口サイズに切り分けて、シロップをたらし、おっかなびっくり口の中にホットケーキを放り込む。怪訝そうにしかめられていた顔が、突然きょとんとした物になった。そして、信じられないとばかりに目を丸くして、ホットケーキを見つめた。
「なんて美味しいんだ!」
堰を切ったようにばくばくとホットケーキに食らいつくグレゴリーの目は、死神らしからぬキラキラした輝きに満ちている。幸せそうなグレゴリーを眺めて、母親はクスクスと忍び笑いを漏らした。
「気に入っていただけたみたいで何よりだわ」
「こんな美味しいものは初めてだ! 人間界の物がこんなに美味しいとは、学校で教わらなかったのに!」
休む間もなくホットケーキを食べるグレゴリーの横で、アニタははっと顔を上げた。ホットケーキに夢中で忘れていたが、学校に行く時間なのだ。
ホットケーキを平らげてしまうと、食器をキッチンにさげて鞄を掴み靴を履きなおした。いつもならさっさと行ってしまうのだが、生憎今日から心配の種が一つ増えた訳で。
「グレゴリー、私が帰ってくるまでちゃんとママを手伝いなさいよ」
「ああ……うん……」
「それと、私の部屋に入ったら殺すからね」
「うん……うん……」
ホットケーキに夢中のあまり生返事を返すグレゴリーにため息をつくと、アニタはいってきますと呟いて家から出た。
まぶしい朝日がアニタの体を暖かく照らす。ちょうど家から出てきたブルースがアニタを見つけ、手をふりながら一目散に近寄ってきた。何だか妙だと思ったら、ブルースの鼻が変な方向に曲がっていた。
「ブルース、鼻が曲がってるわ」
「あれ、本当? さっき階段から落っこちちゃったからかなあ……アウッ!」
ブルースの鼻をつまみあげ、無理やりもとの方向に戻してやるとブルースは痛みに声を上げた。例え不死でも、二人とも痛みは感じるのだった。まあ通常より僅かな痛みであるのだが。
ブルースは笑いながらのマシンガントークを繰り広げる。むっつり黙り込んだアニタが極稀に相槌を打つ。そんな何時もの登校風景で学校に到着すると、二人はクラスに入っていった。
アニタは自分の席に座りさっさと鞄をフックに引っ掛けるが、ブルースは周りの皆に挨拶をして話まくっているので、未だに自分の席につけていない。アニタは性格が性格なので自分から話しかけたり、挨拶をしたりすることは無かった。
「おはよう、アニタ」
「おはようサンドラ」
挨拶をされれば勿論最低限それは返す。サンドラはにっこりと可愛らしい笑みを浮かべたが、アニタはにこりのにの字すら窺えないほど無表情だ。けれどサンドラは全く気にした様子もなくアニタの一つ前の自分の席に向かった。
サンドラは変わった子だった。クラスからあまり好かれていないアニタにも笑顔で挨拶をしてくれるし、そのくせ八方美人と言うわけでもない。本当に純粋に、アニタに好意を持ってくれているようで、だからこそアニタはサンドラを変わった子だと思った。
更にサンドラが変わった子だと思われる要因は、カッコイイデザインの電動車椅子に乗っている事だった。サンドラは生まれつき両足が無いため、移動にはこの車椅子を使う。ウィーンと機械音をさせて走らるサンドラの車椅子は、アニタを一目ぼれさせるのに十分な魅力を備えていた。アニタは無表情だけれど。
一時間目は体育で、皆は体育着に着替えるとぞろぞろ体育館へ向かった。サンドラも上半身だけ体育着に着替えている。下半身は、足が無いのを隠すために何時も長いスカートを穿いているのだが、そのままだった。
「今日はバスケットよ、出席番号が15までの人は向こうのコート、15から後の人はこのコートでやりなさい。偶数チームと奇数チームね。はい、動いて動いて」
化粧のきつい担任のジェリー先生が、手をたたきながら生徒達にキビキビと指示を下す。わたわたと生徒達はチームに別れた。ブルースは後ろのコート、アニタとサンドラは前のコートで同じチームになった。
「アンタ、バスケットやるの?」
「もちろんやるわよ。パパがね、運動するのにレバーで操作するのは大変だからって、リモコンを貰ってくれたの。歯と舌で上手いこと操作するのよ。大変だけど、ずっと練習してるの。でも、これをはめてると、下手に喋れないのよ。変なところ押しちゃうから」
そう言うと、サンドラは口に歯列矯正機のようなものをはめた。彼女が口をもごもごさせると、キビキビと車椅子が動いて、前や後ろやくるくる回転までして見せる。アニタは無表情だったが、芸達者な猿のような車椅子がますます気に入ってしまった。
ホイッスルが鳴ると、試合がスタートした。相手のチームにはクラスで一番可愛い、けれど一番高飛車な女の子クリスティーヌが居る。アニタはこの子が大嫌いだった。周りに友達をはべらせては、今日の髪の毛の具合や新しく買ってもらったというアクセサリーを見せびらかすのだ。
アニタにしてみれば、そんなクリスティーヌの行為もバスケットも酷く無意味なものだった。だから、走り回る子供達の一番後ろについて、参加はしているけれど競技はしていない。
クリスティーヌがたわわなブロンドをなびかせて調子よくドリブルをしていると、突然ひゅんと風をきる音をたてて凄い速さで何かがボールをかっさらっていった。サンドラだった。
ウィーンと音を立てながら車椅子を凄い速さで走らせ、器用にドリブルをして次々子供達を抜いていく。ゴールのすぐ近くまで来ると、上半身を伸ばしてシュートした。狙いたがわず、ボールは綺麗な弧を描いてゴールに吸い込まれていった。
「やったー!」
同じチームの子供達と一緒に声を上げて喜ぶと、舌が変な場所に触れたのか、突然車椅子が猛スピードでバックして体育館の壁に激突してしまった。
転がり落ちたサンドラを、アニタが抱えて車椅子に戻るのを手伝ってやる。サンドラがありがとうと言う前に、クリスティーヌがヒステリックな声で叫んだ。
「そんなのズルよ! サンドラは足で走ってないもの、おいつけっこないわ!」
さて、皆さんご存知のように子供という生き物は、自分たちと違うものは徹底的に排除しようとする本能を持っています。同時に物事をありのままに受け入れる能力も長けているので、普段こそサンドラが車椅子で生活していても気になりませんが、こういったふとした瞬間に不満が漏れます。
子供は素直で正直なので、足で走って疲れることの無いサンドラに羨望の眼差しを向けるのを戸惑いません。だから、クリスティーヌの台詞にそうだそうだと賛同する子供が増えていくのは当たり前で。
「足が無いのにバスケットに参加しないでよ!」
クリスティーヌがそう言うと、相手チームは一丸となってサンドラを責め立てた。同じチームの何人かが止めようとしたのだが、出て行けと合唱するクリスティーヌたちはとどまる事を知らない。
けれども、この場でたった一人何よりも冷静な人物の声を聞くと、水を打ったようにしんとなってしまった。
「くだらない」
冷ややかなアニタの台詞は、出て行けの大合唱の中でも不思議とよく聞こえた。さっと騒音が消えて、全員がアニタを見つめる。アニタはクリスティーヌを睨んだ。
「アンタの目は節穴ね。サンドラの足はここにあるじゃない。これが、この車椅子がサンドラの足よ。彼女はちゃんと自分の足で走って、ドリブルをして、シュートを決めただけじゃない」
「車椅子が足だなんて、馬鹿なこと言わないで!」
「馬鹿はアンタよ。足は二本じゃなきゃいけないの? 魚はどうなる、鹿はどうなる? 足に決まった形なんてないわ。サンドラの足はこの形なのよ。サンドラの足においつけないって言うなら、それはアンタの足がサンドラより遅いだけよ」
ぴしゃりと言い放ったアニタに、しばらくその場は呆然となった。サンドラですら吃驚したような顔をしている。しかしややあって、サンドラは頬を染めながら色んな感情が混ざって凄く変な顔をして言った。
「……ありがとう、アニタ」
「どうしたしまして、サンドラ」
さて、グレゴリーはアニタの言いつけを守って母親の手伝いをきちんとこなしていた。と言っても、それ程苦になる訳でもなく、洗濯物が乾くのを待っている今のように、自由な時間がきちんとある。
グレゴリーは自分の部屋を改造していた。まず綺麗に掃除をしてホコリをなくし、蜘蛛の巣を排除して魔法で引き出した自分の家具を適当な位置に並べていく。本当ならこれらの家具は、地獄のグレゴリーの家にあるものだ。
鼻歌をうたいつつ、窓にカーテンを取り付けてすっかり見違えた屋根裏を眺めていると、扉の開く音が聞こえて、アニタの帰宅を知った。グレゴリーの僅かな休息のひと時の崩壊である。
「おかえりなさあい」
リビングでテレビを見ていた母親が、しかめ面の娘に笑いかける。アニタは小声でただいまと言って、二階の自分の部屋へ上がっていった。
部屋に入る直前、丁度降りてきたグレゴリーと鉢合わせになった。グレゴリーはしげしげとアニタを見下ろし、その体に傷一つ無い事を確認する。
「今日は無事だな」
「一人で帰ったんじゃなかったから、自殺なんかできないわよ」
「でも、それはなんだ?」
「ブルース」
アニタが重そうな袋をひっくり返すと、中からは少年のばらばらになった体が転がり出てきた。一般人なら卒倒しそう光景であるが、転がるブルースの頭は楽しげにケラケラ笑っているではないか。
「ハイ、グレゴリー! 見てよ、僕死なないんだ! 自分の体でパズルが出来るんだよ、たのしー!」
そう言うと、ゴロゴロ頭だけで転がり上半身の切断面と上手いこと首をあわせる。それだけで、さっと傷がなおり元通りくっついてしまった。ブルースは新しい玩具でも見つけたようにはしゃぎまわり、バラバラの体を元に戻すべく、芋虫のように這いずり回りながら腕や足をくっつけてまわった。
「この遊びが気に入ったらしくて、ずっとこの調子よ」
うんざりしたような声でアニタは呟いた。一体この遊びのせいで、何人の子供を泣かせて失神させたろう。見ていられなくなり、バラバラになったブルースを袋に詰め込んで無理やり連れて帰って来たのだ。
ブルースはすっかり元の体に戻ると、ぱっと立ち上がって誇らしげに胸をはって見せた。けれどその両手が左右逆にくっついているのに気づいてぎょっとする。慌てて両手を引っこ抜くと、正しい両手に戻した。
「ところで、バラバラになってくっつくのは判ったけど、無くなった場合はどうなるの。腕とか、足とか」
グレゴリーはため息をつくと、さっと大鎌でアニタの右腕を切り落とした。骨の指を鳴らすと、床に落ちた右腕がどこからともなく湧いた炎で、一瞬にして灰と成り果てる。すぐに、アニタの腕は切断面からあたらしいものがひょっこり生えてきた。
ブルースが興奮して僕にもやってとせがむ中、アニタは恐ろしい顔でグレゴリーを睨むと、生えたばかりの右腕で思い切り頬を殴りつけた。ぎゃっと情けない声でグレゴリーが叫ぶ。
「痛いじゃない。口で説明すれば良いものを」
「だ、だって、実際見たほうがわかりやすいかと……」
「痛いものは痛いのよ」
再びグレゴリーの顔面にパンチを浴びせるとアニタは気が済んだようで、自分の鞄を部屋に放り入れると一階に下りてしまった。
ところで、この町の名前はノースリバー。川もないのにノースリバー。ノースリバーは田舎だが、隣の町はかなり賑わっている。それを気にしている町長が、この町こそ安全で住みやすい町だという事をアピールするべく、住民にとって少々窮屈な活動を行っている。
その中の一つが、新しく町に住むことになった人物は町長の所に行って許可を貰わねばならない、と言うルールである。引っ越してきたり、赤ん坊が生まれたら必ず町長の元に挨拶に行くのだ。
暴君よろしく中々身勝手な町長の政策であるが、アニタは真面目な六歳なのでこれにきちんと従えという両親の言いつけをきちんと守っていた。だから、嫌がるグレゴリーを無理やり外に引っ張り出して、町長の家に向かったのである。
「はい、どなたかしら?」
開いた扉の先には、きりっとした眼鏡をかけた町長が居た。町長は女の人で、釣りあがった瞳から威圧的な雰囲気がにじみ出ている。子供はこの町長が好きではなかった。一緒についてきたブルースも、少々居づらそうにするくらいだ。
「アニタ・ロールズよ。私の家に新しく住むことになったヤツを連れてきたの。私の僕のグレゴリーよ」
町長はキラリと光る瞳を眼鏡越しにグレゴリーに向けた。グレゴリーが無理やり浮かべた笑みを眺めること約三秒。……町長は叫び声を上げて扉を閉めてしまった。
「なななな何者なの、なぜガイコツなの!」
「彼は死神なのよ。でも私達の病気を治すために一緒に生活しなきゃいけないの。許可を頂戴」
「だめだめだめだめ、絶対駄目よ! ノースリバーは安全な町! 死神なんか出て行って!」
だから嫌だと言ったんだ、と隅の方でいじける死神をそのままに、アニタは腕を組み考えた。ルール違反というのは嫌だし、かといってグレゴリーがこの町にすまなければアニタ達の不死は治らない。
ブルースに慰めてもらっているグレゴリーを眺めていたアニタは、ふと閃いて腕組みをやめた。そして今にも泣きそうな顔でぶつぶつ言い続けているグレゴリー後頭部をはたく。
「アンタ、変身とかできないの?」
アニタの台詞を聞き、グレゴリーはなるほどと立ち上がると大鎌を大きく一振りしてみせた。瞬きする間にグレゴリーは茶髪の男に変わったが、本人は顔をしかめてまた鎌を一振り。違う顔の男に変わると、意気揚々と扉をノックしようとした。
「ちょっと」
「なんだ?」
「何よその顔」
「テレビで見たんだ」
「ブラッド・ピットそっくりに変身したら変に思われるじゃないの!」
そう、グレゴリーは昼に母親と見たテレビに出ていたブラッド・ピットに変身していた。顔や体躯も完璧に本人そのままで、見分けなんかつくはずも無いほどの出来栄えである。
ブラッド・ピットに化けたグレゴリーは、今一何がまずいのか判らず小首をかしげたが、渋々もう一度鎌を一振り。今度はジョニー・デップそっくりになった。
「テレビで見た人以外にしなさい!」
「ええい注文の多い奴だな! 大体、俺が住むのにどうして他の人間に化けなきゃならないんだ。そんなズルしちゃいけないし、俺は他の誰かとしてこの町に住みたくない。俺は俺だ!」
主張を終えたグレゴリーは、アニタに凄い顔で睨まれて反論を叫んだ事を後悔した。またぶたれるのかと思いきや、アニタはしばらく黙り込んで、驚いた事にそうねと呟いた。
「癪だけどアンタの言うとおりだわね。他人がどう言おうがアンタが死神だってことに変わりは無いわ」
ぎょっとするグレゴリーをよそに、アニタは腕を組みむっつり黙り込んで思案を廻らせた。
はたして五分ほど町長の家の前に居座り続けただろうか。グレゴリーは落ち着かなさそうに、ブルースはつまらなそうに、アニタはイライラしながら、各々考えに耽っていると、突然小さな女の子の叫び声が聞こえた。
それは一瞬だったけれど確かに聞こえた物で、町長すら驚いて窓から顔を覗かせたほどだ。アニタは何も言わずに走り出した。慌ててブルースとグレゴリーと町長がそれを追う。
アニタは猟犬の様になんの迷いもなく突っ走ると、誰も居ない駐車場に入り込んだ。建物の間に出来たひっそりとした場所なので、人影はめったにないはずの場所で何やらちょっとした騒ぎが起こっている。アニタは顔をしかめながら走るのをやめて、その場に立ち止まった。
「よくも恥をかかせてくれたわね! 明日から学校にこれないようにしてやるんだから!」
高い声がヒステリックに叫ぶ。耳障りなこの声は、アニタが嫌いなクリスティーヌの物だった。取巻きの一人がサンドラを持ち上げ、もう一人が口を塞いでいる。
クリスティーヌはギラギラした瞳でサンドラを睨みつけると、思い切りサンドラの車椅子を蹴り始めた。それからそばに落ちていた石で、何度も何度も車椅子を殴る。
サンドラがくぐもった悲鳴をあげていた。けれど彼女はばたつかせる足が無く、両手は口を押さえている女の子の手を引っかくので手いっぱいである。
アニタの瞳が、静かに燃え上がった。
「ちょっと」
アニタの低い声に、クリスティーヌは吃驚仰天して飛び上がった。振り返った先に、アニタとブルースと町長、それに何故か恐ろしいガイコツ男まで見つけてますます吃驚仰天した。
町長が信じられないといった顔で口をあんぐりあけている横を通り、アニタは黙ってクリスティーヌの前までやってくると、間髪入れずにその可愛らしい顔を思いっきり平手で張った。
突然のことにクリスティーヌが呆然としている間に、アニタは彼女を思い切り蹴り飛ばし、また頭を拳で殴った。町長はますますあんぐり口を開く。とうとうクリスティーヌは泣き出した。
「何よう、何よう、サンドラが悪いのよう! 足がないくせに!」
「もういっぺん言ってごらん。口がきけないようにしてやる」
わんわん泣いているクリスティーヌの襟首を掴むと、アニタははっきりと告げた。クリスティーヌは恐怖に顔を引き攣らせてすすり泣いている。アニタは更に顔を近づけて言った。
「今のは、サンドラの足を傷つけた分よ」
「あ、あ、あ、足なんかないもん!」
「あれが彼女の足なのよ。それに、サンドラを見なさい。足が痛くて泣いてるじゃない」
未だに取巻きに抱えられているサンドラは、恐怖やら悔しいやらで涙を流していた。今は突然の乱入者に驚いて涙は止まっているのだが。
クリスティーヌは訳のわからない金切り声を上げると、アニタを突き飛ばして走り出してしまった。取巻きが大慌てでサンドラを放り投げてその後を追っていく。サンドラは音を立てて地面に落下した。
「……グレゴリー。つったってないでサンドラの傷を治しなさい」
「え、あ、む、無理だ。そういう魔法はない」
「役立たず。じゃあこの車椅子を直して」
石で殴られたせいで、車椅子のレバーはひんまがりパチパチと電気の花火がはぜている。グレゴリーは言われたとおり大鎌をちょいとふって光を放ち、車椅子を元の状態に直した。
アニタはサンドラを助け起こすと車椅子に乗せて、彼女の服についたゴミをとってやった。しばらく呆然としていたサンドラだが、徐々に我に帰ると顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。
「私だって好きで足が無いんじゃないわよ。しょうがないじゃない、ないんだから。どうせ貴女だって私を変な子だと思ってるんでしょう。足が無いなんておかしいもの!」
「別になにもおかしくないじゃない」
「うそつき、うそつき!」
アニタは一瞬黙り込み、今度はサンドラの横面を引っ叩いた。この衝撃でサンドラは泣き止み、ぎょっとした顔でアニタを見つめる。アニタはサンドラを睨んだ。
「人間は皆なにかしら無いのよ。アンタは足がない。私は愛想がない。ブルースは常識がない。だから体の一部がないからって何もおかしくないわよ。その代わりアンタは私が持ってない愛想を持ってるし、成績もクラスで一番じゃないの。それなのにどうして自分を恥ずかしがるのよ。クリスティーヌや他の誰かが何を言おうがしったこっちゃないわ。アンタ普通よ」
サンドラはぽかんとしてアニタを眺めていたが、やがてわっと泣き出すとアニタを抱きしめた。そのせいでまた車椅子から落ちそうになったので、アニタは支えるようにサンドラを抱き返す。
サンドラが収まるのを待って、アニタは振り返った。町長が先程の場面に衝撃を受けていたようだが、アニタとサンドラの感動的な抱擁シーンに涙しているではないか。
「なんて素敵な友情なんでしょう! ノースリバーの住人として、素晴らしい……!」
「ならグレゴリーも住まわせてよ」
「う、それとこれとは……」
アニタは、今度は口ごもる町長に詰め寄った。襟首を掴んだりはしないが、有無を言わせぬ顔で睨み、ずいずいと近づいてくる。
「さっきの見たでしょう。この世で一番危険なのは人間よ。もしこの町を完全に安全にしたいなら人間を全て追い出しなさい。グレゴリーは落ち零れだけど人を殺したりしないわ。それが死神のルールだもの。貴女だってルールを守ってるでしょう、彼だって守ってるわよ。それとも、安全だと判っているのに死神だからって理由で差別する気?」
町長はたじたじになってしまい、結局渋々ながら首を縦に振ったのだった。こうして、ノースリバーに奇妙な住人が一人増えた。グレゴリーは感動してアニタを見やると、アニタは何やらサンドラと話している最中だった。
「ねえ、車椅子に乗ってみる?」
「いいの?」
「ええ、お礼に。パパもママも他の人を乗せちゃいけないっていってるけど、貴女は特別」
無表情ながら心中はとても嬉しいアニタは、そそくさと車椅子に座った。後ろから抱きしめるように腕を回したサンドラは、レバーを動かしてその場所を走ったり回ったりして見せる。アニタにとって、憧れの車椅子に乗ったひと時は、まさに夢のようだった。
「それにしても見直した! お前があんなに友達想いだったとは!」
夕食後、リビングでまったりしていたアニタに、グレゴリーは興奮気味に言った。本日のアニタは今までのグレゴリーのイメージを一掃するほど強烈に良かったのだ。
アニタはめんどくさそうにホットミルクを飲みながら、グレゴリーを見もせずテレビを眺めて返答した。
「友達じゃないわよ。私、あの車椅子が好きだっただけ」
「……え?」
「とてもかっこいいじゃない。馬鹿なクリスティーヌが車椅子を殴ってるの見たら頭にきたの。もっと殴ってやればよかったな」
興味なさ気にそういう少女を見下ろし、グレゴリーは愕然とした。じゃあ何か、サンドラを庇った時、彼女に足が無くても普通だと説いた時、この子の頭にはピカピカに光る車椅子しかなかったのか。
「なによ」
「……なんでもない」
最早呆れを通り越し、感心すら覚えるアニタの行動に、グレゴリーは小さな声で呟いたのだった。そして心底思ったのだ。
周りが何を言ってもしったこっちゃないのは、アニタ自身じゃないかと。