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嫌な仕事

 


 認めないけど、理解はしてあげる。

 

 ここはノースリバーにある何の変哲も無い一軒のお家。会社員のパパと専業主婦のママと小学生のアニタと猫のサンデーと死神のグレゴリーが居るお家。

 二階建てに屋根裏部屋つきで、ローンもうんと残ってる。ピンクのカーペットや家族写真、庭はちょっと小さいけれど、とてもとても普通のお家。

 に、とてもとても普通じゃないお客様がご到着。

「グレーゴリー!」

 柔らかな朝の雰囲気をぶち破り、突如響いたバリバリという破裂音にグレゴリーは飛び起きた。ベッドの向こうでもうもうと煙があがっており、それが晴れると自分と同じガイコツ男たちが現れたのだから、更に吃驚仰天。

 三人のガイコツは、一番太っているのがジョーイ、一番のっぽなのがメルヴィン、一番ひょうきんそうなのがエドと言う。エドはグレゴリーが人間界に住まなければならないと言う悪いニュースを運んできたあの死神だ。

 久しぶりに見る友人死神たちの顔をながめ、あんぐりしていた口を元に戻すと嬉しそうにベッドからおりた。

「我が友人たち、久しぶりだな! ……で、何しに来たんだ?」
「ウワーオ、聞いたぞ聞いたぞグレーゴリー! お前人間なんかの僕なんだろ! ぎゃはははは!」

 グレゴリーの問いかけも無視して、ジョーイはゲラゲラと大笑いを始めた。笑われるのも無理はないのだが良い気分はしない。しかめ面になったグレゴリーの耳に、不意に荒々しい足音が聞こえた。

「しかも……プププ……六歳の女の子の尻に敷かれてるんだろう! 死神のお前が!」

 メルヴィンがジョーイに続いて笑ったのだが、グレゴリーはそれどころではなかった。大笑いする三人の後ろにある扉を恐怖の形相で凝視している。

 とうとう恐ろしい足音は部屋の前まで到着し、バァンと死神たちがやって来た時よりも大きな音をたてて扉を開けた。一瞬にしてその場が静かになる。

「どういうつもりよ」

 その場にいる全員を睨みつけてそう言ったのは、寝癖で髪の毛をぴょんぴょんさせているアニタだった。けれど六歳の女の子の寝起きとは思えない禍々しいオーラがにじみ出ている。

 ぎょっとして死神たちは固まった。嫌というほどアニタにしごかれているグレゴリーはガタガタ震えだす始末だったが、他の死神はそれを笑う暇さえない。

「グレゴリー、今が何曜日の何時か言いなさい」
「に、日曜日の……七時?」
「わかってるならどうして大騒ぎするのよ!」

 一喝するや否や、アニタは悪趣味な装飾の施された電気スタンドを引っつかみグレゴリーに投げつけた。壊れちゃ大変とそれを受け取るも、あまりの勢いにばったりと引っくり返ってしまう。頭蓋骨の後ろをガツンと一発ぶつけてしまった。

 痛みに呻きながらグレゴリーが上半身を起こすと、仁王立ちしているアニタが目に入る。そして襟首を引っつかまれて、ギラギラ燃える瞳で凄まれた。

「日曜日の、朝の、七時なのよ。まだ皆寝てるに決まってるじゃない。良い事、私は九時まで寝るんだからそれまでにちょっとでも物音を立てたりしたら、体中の骨を全部バラして街中に埋めてやる」
「わ、判った! 悪かったよアニタ、もう、もう静かにするから!」
「アンタたちもよ」

 ぎろりと睨まれた死神三人は、カタカタと骨がぶつかる音までさせながら大慌てで頷く。完全に四人の死神が沈黙したのを確認すると、アニタは足音も荒く部屋から出て行った。

 嵐の去った部屋の中は、しばらくしーんとしていた。グレゴリーは殴られなくて済んだ事にホッとしていたが、他の三人にはとてつもないカルチャーショックである。

「い、今のが、六歳の女の子なのか……?」
「俺は、今まであんなに恐ろしい子供を見たことが無いぞ!」
「本当にあんなおっそろしーのが自殺マニアなのか? 何か悪魔が化けてるんじゃなくて?」

 信じられないとばかりに目を丸くして扉を眺める三人の後姿を眺めながら、グレゴリーは少しだけ良い気分になった。自分の苦労が少し伝わったようだからだ。

 三人はすっかり打ちのめされてしまって、さっきの騒がしさもどこへやら、神妙な顔つきでボソボソ話しあっていた。一度会ったことのあるエドでさえ、アニタがここまで恐ろしい少女だったかと吃驚する程である。

「なんだかお前が哀れになったよグレゴリー」
「しかもあの子だけじゃなく、もう一人居るんだぜ」
「そうだ! ここは一つ、我らが友人のためにあいつらを殺してしまおうじゃないか」

 グレゴリーも神妙に頷こうとして、ぎょっとした。殺すだって! 目を丸くして三人を見やれば、どうにも本気な様でひそひそと殺人計画を立てているではないか。

「おい、ちょっと待て! あいつらは不死身なんだぞ、殺せやしない!」
「何とかなるって。確か、禁呪の中に不死の魔法を越える死の呪いがあったはずなんだ」
「ボスの部屋からこっそり呪文の書いてある本を取ってきてやるよ」
「二人の魂はお前が連れて行けば良い。それならボスだって今回の失敗も水に流してくれるさ」

 確かにアニタは自殺に千回も失敗している貴重な魂である。ブルースも純粋さにかけては馬鹿がつく程なので貴重であるし、それを連れて行く役目を担ったのであれば大きな功績と成りうるのだが。

 嬉し涙が流れそうな程の友人達の申し出に、けれどもグレゴリーは素直に喜べないで居た。いくらアニタが恐ろしい性格をしていたって、六歳の女の子なのである。まだ一度も六歳児らしいところは見たことが無くてもだ。

 泳いでいた視線は、自然とベッド脇の小さなタンスに向かった。その上に置いてあるココアの空き缶が目に入ると、うっと胸が詰まる。何ともいえない気分だった。心地良いような悪いような、うっとりするようなげっそりするような。

 挙動不審気味なグレゴリーを訝しがって、三人は顔をしかめて小首をかしげた。

「どうしたんだ、お前らしくない。何が気に入らないんだ?」
「いや、ううん、何と言ったものか……」
「お前は良い奴だが、仕事には人一倍誇りをもってたじゃないか。冷酷無慈悲なグレゴリーといやあ誰だって知ってる。これは仕事の妨害だぞ、邪魔者は残らず排除するのがお前のやり方だろう」
「ああ、うん……そうなんだが……ぼら、ボスからの命令だし、これも仕事の一環と言うか……」

 しどろもどろなグレゴリーの言葉を聞き、三人は不思議そうに顔を見合わせたがひょいと肩をすくめて承知してくれた。

「まあお前が良いって言うなら良いんだけれど。お前の仕事を預かってきたぞ。ちゃんと死神の仕事をして、腕が鈍らないようにしとけよ。これこそがお前の本職なんだからな」

 そう言って、エドはローブの懐から一枚の巻紙をグレゴリーに差し出した。受け取って中を見てみればそれは仕事の詳細が書かれた紙で、何時にどこで誰が死ぬのかが記してあった。

 仕事が命のグレゴリーにとって、人間に……主にアニタなのだが……こき使われ続ける生活にはほとほと嫌気が差していた。また昔のように、魂を狩る仕事をしたいとどんなに思っていたことか! けれど、グレゴリーは紙を眺めているうちに、だんだんしょんぼりした顔になった。

「これだけなのか。二人っきり? 前はまとめて十人くらい載ってるリストをくれたじゃないか」
「しょうがないだろ。お前はこの町から出る訳に行かないんだ。昔みたいに世界を飛び回れないから、これからも仕事が出来るのはこの町……せいぜい隣町の魂までだな」

 アニタとブルースから逃れる訳には行かないのである。がっくり肩を落とすグレゴリーを慰めて、三人の友人達は各々手を振りくるりとその場から消えてしまった。

 すっかり意気消沈したグレゴリーは、ぼうっと仕事の指令の書かれた紙を見下ろした。

『グレゴリー殿
 ノースリバー/ノースリバー中央病院/306号室/グレイ・ウィリアム(本日午後3:28)
 401号室/サラ・ホーンズ(本日午後3:32) 審議の後移送の事 冥界裁判所まで連れて来られたし
 冥界裁判所より』

 下のほうには二人の詳しいプロフィールと顔写真が載っていた。一人は人の良さそうなおばあさんで、一人は頑固そうなおじいさんだ。年齢もかなりの高齢で、現在病気で入院中……。

 グレゴリーは紙を小さなタンスの上に置くと、ベッドに潜った。まだ朝の七時なのだ。もう二時間ほど寝たって仕事には何の支障も無いのだから。

 

 

「そういう訳だから、アニタ、ブルース、これでお遊びは終わりだ」

 時刻は午後2:30。晴れやかな天気のお陰で連れ出された公園の芝生の上で、グレゴリーは二人の子供にそう告げた。

 ぶーたれるブルースとしかめ面のアニタには悪いが、仕事は仕事である。きちんと説明したし、その重要性も今しがた説き終わったばかりだ。

「……だからそろそろ体を返してくれないか」

 芝生の上に頭蓋骨だけで転がりながら、グレゴリーが情けなく呟いた。子供は残酷な遊びが大好きなもので、グレゴリーの骨が取れると知ると、二人して飛び掛り骨という骨を全部持っていかれたのである。

 二人はちょうど、肋骨と骨盤を盾がわりに、脛の骨で騎士ごっこをしていたところだったが、仕方なしに奪い取った骨を放り出した。

 グレゴリーがすっかり元の体に戻りローブを着なおすと、それじゃあと言って背筋をしゃんとして歩き出した。目指すはノースリバー中央病院。久々の仕事なのだから、嫌でも気合が入ってしまう。

「気に入らないわ」

 去っていくグレゴリーの背中を眺めながらアニタが呟いた。ブルースも大いに賛同してくれたのだが、恐らくはまだ騎士ごっこをしたり無いだけだろう。

「本当に気に入らない。ブルース、つけるわよ」
「ウワーオ、尾行ってやつだね! かっくいー! ねえ、グレゴリー待ってよお! 尾行するんだから置いてかないでえ!」
「……ああブルース最高よ、アンタって」

 片手で顔を覆ったアニタの台詞に、ブルースはきょとんとした顔をして呼び止めたグレゴリーとアニタの顔を交互に見やっていた。

 そういう訳でブルースのお陰で三人はぞろぞろ連れたって病院に向かう事になった。勿論グレゴリーはそれを承知しないから、道中は説教のオンパレードだ。

「良いか、これは仕事なんだ。見世物じゃない。それに、子供に見せるべき物でもない。必要も無いのに死と向かい合う必要は無いんだぞ。まだ六歳のお前達にはショックが強すぎる」

 大人の威厳を見せつけようとしたグレゴリーからひょいと大鎌を奪い取ると、アニタはさっと一振りしてブルースの顔を半分削いでしまった。

 生々しい断面図を露にしながら、地面に落ちたブルースの半分の顔が「痛いよアニタ!」なんて抗議の声をあげている周りで、通行人がバタバタと気絶していく。

「これでも私達にショックが強いだなんて言える?」

 片方の眉を持ち上げて言うアニタに、グレゴリーは言葉も無く呆然と無慈悲な少女を見つめ続けていた。一体どうしてこの少女を説き伏せる事など出きるだろう?

 結局グレゴリーはぶつぶつ言い続けていたのだが、時間もないので病院までやって来てしまった。

「俺は今から姿を消す。病院は不特定多数の人間が居るし、無駄に怖がらせる訳にはいかないからな」

 パチンとグレゴリーが指を鳴らすと、ぱっとその姿は掻き消えてしまった。これは死神のルールの一つで、仕事の際には対象者以外に姿を見られないようにするのだ。特に病院で死神がウロウロしていたら、元気な患者もぎょっとして寝込んでしまうというものである。

 グレゴリーが居たはずの場所を眺めてブルースがはしゃぐ隣で、アニタは思い切り足を右に振りぬいた。ぎゃっと悲鳴が上がり、どこからともなく「何をするんだ!」とグレゴリーの声がする。姿は見えないが、きちんとその場に居る事は確認できた。

「逃げようなんて考えないたら酷いわよ……グレゴリー? ちょっと」
「わっ、なんだ!」
「きゃあ、何かが押したわ!」

 アニタの台詞は時既に遅し。姿を消したグレゴリーは、勿論一目散で逃げ出してしまった。待合ホールの人々とぶつかりながら走っているせいで、大体の居場所がわかるのだが。

 ぎろりとアニタは見えないはずの黒いフードを睨みつけた。この時一瞬振り返ったグレゴリーが情けない顔で息を呑んだが、それすらも見えていない。けれどもアニタは何も言わずに脱兎の如く駆け出した。

 慌ててついてくるブルースも気にせず、人々をふっ飛ばしながら猛スピードで見えないグレゴリーを追いかける。人波を抜けると解りづらくなったが、時々どこかであがる悲鳴を頼りに二人は走り続けた。

 けれどもグレゴリーは腐っても死神。足音を立てずに歩くのだって訳も無い事で、一分もしないうちに二人を完璧にまくことに成功した。

 ホッと一息つきながら、時計を確認すると既に3時25分ではないか。大慌てで階段を駆け上り、三階まで到着すると306号室にそろりと入り込んだ。そこは個室で、呼吸器をつけた老人がひっそりと眠っている。グレイ・ウィリアムだ。

 グレゴリーはきちんとドアを閉めてから姿を現すと、顔色のない老人を見下ろして時が来るのを待った。ピ・ピ・ピ、と規則的に聞こえていた心電図の音がだんだん少なくなっていく。間隔が空いて、時々思い出したかのように鳴るだけになったころ、とうとうピーという途切れぬ電子音に変わった。

 グレゴリーは大鎌を握りなおすと、じっと今まさに死体となったウィリアムを見つめた。すぐにその体から白い煙がしゅうしゅうとあふれ出し、死体の上でウィリアムその人の形になっていく。魂が抜けたのだ。

 グレゴリーの落ち窪んだ両目の空洞に赤い光がともると、ウィリアムの魂と体を繋いでいる白い煙をばっさりと切り落としてしまった。これは臍から伸びている太い紐のようなもので、魂と体を結んでいた大事なものである。

 その紐を切られた衝撃に跳ね上がったウィリアムの魂は、ぎょっとした顔でグレゴリーを見るとしゃがれた声で叫びだした。

「なんだ、なんだ、何者だ! 何しに来た!」
「我は死を司りし者、汝グレイ・ウィリアムの魂を導きに参った」
「死……? し、し、死……? おまえさんは、オオ、死神なのか!」

 ウィリアムはひょこひょこ浮かびながら、自分の死体とグレゴリーを交互に見やりようやく理解したようだ。納得いったのか、こくこく頷きながらなるほどと呟いている。

 死神が姿を消している時は、死んだ人間しかその姿を見ることができない。今誰かこの病室に入ってきたなら、静かな部屋の中にピーという電子音と死んでしまったウィリアムの体しか見えないのだ。

 グレゴリーは鎌を持ち直すと、懐から小さなガイコツの顔がついたビンを取り出して栓を抜いた。

「これより冥界裁判所にて、汝グレイ・ウィリアムの裁判を行う。審議の後に天国へ往くか地獄へ往くかが決定される。我はそこまで汝の魂を運び、必要と在らば地獄まで付き添うだろう。この中に入りて暫し待たれよ」
「へへへ、俺ぁ裁判なんかしなくっても地獄行きって決まってるんだがね」

 ニヤリと意地悪そうな顔でウィリアムは笑うと、しゅるりとビンの中に吸い込まれていった。グレゴリーは厳かな顔つきから一転、ぱっと時計を見て大慌てで部屋から飛び出し一段飛ばしで階段を駆け上った。

 四階の401号室に飛び込もうとした瞬間、グレゴリーは転びそうなほどのブレーキをかけて急停車した。ああ何と言う事だろう、目の前の廊下にアニタとブルースがいるではないか! しかし時計を見ると後二分しか残っていない。迷っている暇は無いのだ。

 グレゴリーは意を決すると、そろそろと401号室の前まで移動する。二人は二つ先の病室の前で、辺りを注意深く見回している最中だった。二人の視線が離れた一瞬の隙をついてさっと扉を開けると中に転がりこんだ。

 ベッドの上には果たして一人の老婆が寝ていた。少し濁った瞳が、ぼうっと窓の外を眺めている。グレゴリーは時計を確認しながら、サラの枕元まで移動した。

 実に穏やかな顔をした老婆だった。これから自分が死ぬ事も、何もかも理解して受け入れているような、そんな表情。グレゴリーは同情等感じることは無かったが、なんとも言えない気分になった。それは、決して悪い感情ではないのだが。

「あれ、サラばあちゃんだ!」

 奇妙な感傷に浸っていたグレゴリーの耳に、突然ブルースの間抜けな声が飛び込んできてぎょっとした。二人の子供が遠慮も無く部屋の中に入ってくると、懐かしむようにサラのベッドまで駆け寄ってくるではないか。

「ブルース……それに、アニタね……」

 力のない声で呟き、皺だらけの顔を満面の笑みに変えるとサラは呟いた。ブルースは嬉しそうにベッドの端にかじりつく。

「最近見ないと思ったら入院してたんだね! お向かいさんが違う人になっちゃったからビックリしたよ」
「何も言わずにごめんねえ。でも今住んでる家族は良い人でしょう? 息子の親戚夫婦なんだよ……」
「貴女、病気なの?」
「ええ、そうよ……酷い病気なの……」

 やんわり微笑むサラの横で、グレゴリーは気が気じゃなかった。もうすぐ、この老婆は死ぬ。このままじゃ嫌でも二人はそれを目撃してしまうだろう。突然会話をしなくなったサラを見て、二人は一体どれほどショックをうけるか。

 どうにか二人を追い出そうと考えるグレゴリーをあざ笑うように、突然アニタがこちらにずんずんと向かってきた。窓を開ける気のようだ。

 避けようとしたグレゴリーだったが、その際に大鎌の柄がアニタの靴を擦った。アニタの目がぎらりと光る。

「グレゴリー、アンタね!」

 狙いたがわず、アニタはグレゴリーのローブを掴むとそのまま床に引きずり倒した。衝撃でグレゴリーは魔法を解いてしまい、三人の目の前に死神が姿を現す。

 サラとブルースは驚き、アニタは怒りに燃えている。グレゴリーに馬乗りになって、襟首を掴みあげた。

「仕事って、まさかこの人じゃないでしょうね? グレゴリー、答えなさい」
「……外に出るんだ」
「答えなさい!」
「お前達は外に出るんだ!」

 アニタの顔色がさっと変わる。ショックを受けたように青ざめていく顔を見て、グレゴリーは頭にガツンと殴られたような錯覚を感じた。

 ゆっくりと子供達はサラを見やった。当の本人は死神の登場に驚いていたのだが、今では困ったように笑っている。

「アニタ……やめさない。仕方ない事よ……」
「いいえ」

 サラの優しい言葉を、アニタは全力で否定した。ブルースも何となく事態の成り行きが判ったようで、涙目でサラばあさんの布団を握り締めている。

 アニタは噛み付くようにグレゴリーを見下ろした。先程より強くローブを掴み上げ、ガイコツ顔を片時も離さず睨みつける。

「どうにか出来るはずよ。さあ取り消して。この人の寿命を延ばすの。これは命令よ」
「いいや。寿命を延ばすことなど出来ない」
「出来るか出来ないかじゃないわ、やりなさい!」
「前にも言っただろうアニタ。死神は人を殺すのが仕事ではない、死んだ人間の魂を連れてかえるのが仕事だ。俺がどうにかする問題じゃない」
「ウソ!」

 乱暴にグレゴリーを開放すると、アニタはベッドに駆け寄りサラの手を握った。もう残り一分をきっているサラの瞼は落ちかけている。

「こんな役立たずの死神の言う事は信じちゃだめよ。まだ死ぬ訳が無い、まだ貴女からもらったぬいぐるみのお礼をしてないもの。それまでは死なない!」
「アニタ、いい加減にしろ!」
「下僕は黙れ! ブルース医者を呼んできて。サラ、目を閉じちゃだめ。サラ!」

 とうとうサラは目を閉じた。その表情には困ったような、それでいて嬉しそうな笑みが浮かんでいる。ゆっくりと息を吸い込むと、最後の吐息が静かに吐き出された。

 病室の温度が一気に下がった。アニタがいくら体をゆすっても、ブルースがいくら泣いて名前を呼んでもそれきりサラはぴくりともしない。

 グレゴリーは酷い罪悪感に襲われながら、黙って三人を見やっていた。しばらくして、死体から例の白い煙が出、サラの形に変わっていく。子供達にそれは見えていないようで、グレゴリーの胸は更にしめつけられるような気がした。

 けれどもこれは仕事なのだ。グレゴリーはそう自分に言い聞かせると鎌を振るった。ぷっつりと紐は途切れ、魂だけとなったサラは二人の子供を見下ろしてからグレゴリーを見やり悲しげな顔で笑った。

「……貴女の魂を連れて行く。この中へ」

 先程のビンを取り出して促すと、彼女はだまってその中に吸い込まれていた。二人は何も見えないけれど、なんとなくグレゴリーのやっていることがわかって、じっとその様子を見ていた。

「……人殺し」

 アニタが不意に呟く。グレゴリーは否定も肯定もせず黙っていた。この台詞にはとても慣れていたし、今までどれだけ罵られようが全く何の感情も生まれては来なかった。

 けれども、色をなくしたアニタの顔が無表情でそう呟くと、何故だかグレゴリーはとても傷ついた。自分が傷つく資格も必要も持ち合わせていないのに、そう感じたのだ。

「……俺は、連れて行かなきゃならない。お前たちは帰るんだ」
「いいえ、私も行く」
「アニタ……」

 咎めるように名前を呼んだが、グレゴリーは罪悪感に押し潰されそうになっていて無理やり追い返す事が出来なくなっていた。

「アニタが行くなら僕も行くよ」

 しどろもどろになっているグレゴリーに、毅然とした態度でブルースが言い切る。一体どうしてグレゴリーが子供達を追い返せるだろうか。仕方なくぱちんと指を鳴らすと、三人の姿はその場から掻き消えた。

 瞬きする間に景色は一変し、そこは重々しい大きな門の前になった。厳しいガーゴイル像が門の両端に聳え立ち、来る者を威嚇している。ブルースは不安になったのかアニタの腕にしがみついていた。

 グレゴリーの後に続いて、子供達は冥界裁判所に足を踏み入れた。中はグレゴリーのような死神は勿論、色々な種類の神が行きかっていた。それにぼやけた人々もひしめいている。言われなくとも、それが魂なのだと言う事は判った。

 子供が、それも生きている子供がこんな場所に来る事は珍しいにも程があり、道行く人は不思議そうにアニタとブルースを振り返る。ようやく大きなホールと廊下を突っ切ると、やはり大きな扉の前にやって来てグレゴリーはノックをした。

 扉の中は薄暗く、ブルースは怯えながら、アニタは何も窺えぬ無表情のままグレゴリーと共に部屋の中に入って行った。足音の反響で部屋がかなり広いのを知る。きっと先程の玄関ホールほどではないが、部屋と呼ぶには大きすぎるだろう。

「首尾は?」

 わんわんと反響しながら突然声が降ってきた。と同時に今まで暗かった部屋がぶわっと光が噴出したように明るくなる。目を細めてみると、何百という蝋燭に灯がともりそれが浮いていた。それなのにちっとも暑くは無く、けれど言い様のない息苦しさを感じる。

「……その子供は? 見たところ生きているようだが、一体?」

 グレゴリーが答える前に、声が再び響き渡った。よく見れば、前方の裁判官が座る椅子の後ろで醜い銅像が喋っているではないか。一見鷲のようなくちばしをしていたが大きなたてがみはライオンのようで、手足は馬の蹄になっていた。

 いよいよブルースはがたがたと震えだし、アニタも多少は驚いた。銅像は暗がりからゆっくりと進み出て椅子に腰掛けると、品定めでもするような目つきで三人を見下ろした。ただでさえ高い場所にある椅子に大きな体が座ったので、巨人のように思われた。

「ああ、うん……ちょっと見学で……けれど魂はこの通りです。仕事が終われば連れて帰りますし、邪魔は絶対させませんから、どうぞ今回は見逃してくれませんか」
「おお、お前グレゴリーだな。聞いたぞ人間界に追い出されたそうじゃないか。なれば、その子供達が件の不死の子か。ふふん、まあ良いだろう。生きている人間など久しぶりに見た」

 銅像の裁判官は、ゲッゲッゲと獣じみた笑い声を上げた。笑い声が反響して次第に消えていくと、それだけで人を殺せそうな鋭い視線をグレゴリーに投げかけた。

 グレゴリーは静かにローブの懐からビンを取り出し、その場で栓を抜く。白い煙が噴出して、三人の目の前に半透明にぼやけたウィリアムとサラが現れた。

「これより審議を開始する」

 裁判官が浪々と言い放つと、その両脇から新しい裁判官が現れた。一人は雪のように白い女の人で、もう一人はタランチュラほどの大きさの蜘蛛だった。

 新しい裁判官たちは、銅像の裁判官の両脇に着席すると(蜘蛛は椅子に座れないので机の上だ)書類と二人の魂を交互に見比べて話し合いを始めた。

「サラ・ホーンズは問題ないようね。ええ、綺麗なものだわ。素晴らしい」
「おお、グレイ・ウィリアムは問題ありじゃ。そうかそうか、この者は戦争に行った。兵士で、人を殺した。ようし計ろう、天秤をここへ!」

 蜘蛛が言うと、ぽんと音がして目の前に銀色の天秤が現れた。大きな天秤は宙に浮いたままぴくりともしない。蜘蛛が細い足をちょいちょいと振ってウィリアムを前に進ませた。

「お前の上着を右側に置くのじゃ。さあ、上着だけ」
「こんな事しなくったって、俺ぁ地獄行きって決まってるんだ。別に怖くもなんともねぇぞ、俺の戦友はみーんな揃って地獄におっこっちまったんだからな」

 ウィリアムは不機嫌そうに呟いて上着を脱ぎ、天秤の上へ乱暴に放った。天秤はゆらゆらと揺らぎ服をのせた右側が僅かに傾いだだけだった。

 三人の裁判官は顔を見合わせてひそひそ声で話し合った。何を言っているか判らなかったが、ウィリアムがやけっぱち気味にさっさと地獄に連れて行けと叫んだので、とうとう意見をまとめたようだ。

「我々はお前を罪人とは認めない。いくら人を殺しても、お前はいつもそれを悔いていた。しかし国を捨てる事は許されないため、嫌々戦いを続けてきた。お前の魂はとても綺麗だよ。二人とも左の扉へ」

 銅像の裁判官がそう言うと、ウィリアムはぎょっとして固まってしまった。目配せされたグレゴリーは頷いて二人の魂を左の扉へと導く。ウィリアムは夢見心地で呆然としていた。

 扉を開けると、その先は一面の空だった。一本の長い階段が天へと伸びている以外は、何にも無いただの青空が広がっている。グレゴリーは二人を促し、階段を一段上らせた。

「でも、でも、俺ぁ人を殺したんだ。天国なんかに、行く資格なんて……」
「おいおい、それなら俺たちまで地獄に行かなきゃならなくなるだろ?」

 ウィリアムはぎゃっと声を上げて飛び上がった。目の前に、突然若い男が二人現れたのだ。彼らは軍服を着てにっこり笑っている。

「おお、ああ、そんな……テッド、ガイ、お前達……!」

 ぶるぶる震えていたウィリアムは、耐え切れなくなったのかぱっと目の前の戦友に抱きついた。いつの間にかウィリアムは、若き日の青年グレイに戻っていた。歓喜の涙を流しながら、二人の肩に手を回し、おいおい泣いている。

「だって、だって、俺ぁ情けなくて! 俺だけむざむざ生き残っちまって、おお、なんて嫌な野郎だ!」
「馬鹿言え! 仲間が一人でも生き残ってくれたんだ、俺たちがどんなに嬉しいか!」
「そうだぞグレイ。……ほら、他の皆も上に居るんだぜ。泣き面なんか見せるなよ!」

 再会を喜び合う三人の兵隊の横で笑っていたサラは、不意に顔を上げた。自分の目の前に、老人が立っていたのだ。

「やあ、来たね」

 老人は笑った。薄い白髪の頭を照れたように擦り、サラを見やる。サラは目元を赤くしてやっぱり照れたように笑った。

「ええ、お待たせしちゃってごめんなさい」

 老いた夫婦は手を取りあい、しっかり抱き合うと一度キスをした。それからサラはアニタとブルースを振り返ると、にっこり笑って手を振った。

 そうして全員はゆっくり階段を上り始めた。幸せそうに話す人々の前方に二人の天使が待ち構えている。天使はグレゴリーに軽く会釈すると、全員の魂を導いて行ってしまった。

 グレゴリーは二人を見下ろした。二人ともじっと階段を見上げていたが、とうとう何を考えているのかわからない表情のままだった。

 

 


 帰ってからアニタは夕食も食べずに部屋に篭った。心配した母親が何を言っても生返事を返すのみ。グレゴリーは訳を話したが、両親は困惑した表情だった。

 夕食後アニタの部屋をノックしてみると、驚いた事にアニタはグレゴリーの前に現れた。別段泣き腫らした顔でもなく、何時もの無表情でグレゴリーをじっと見上げている。グレゴリーが何かを言う前に、アニタは口を開いた。

「認めないわ」

 開口一番の台詞で、グレゴリーは眩暈がした。完全なる拒否発言だ。動けなくなった死神を見上げて、アニタはさらに続けた。酷く細い声だった。

「……でも、理解はしてあげる。アンタ死神だものね、これが仕事なのは判ってる」

 心底ホッとして、強張った肩から力が抜ける。けれどグレゴリーは、どうしたら良いのかわからずじっとアニタを見下ろすばかりだった。

 謝れば良いのだろうか。でも一体何に? 慰めれば良いのだろうか。でも一体何を? 死神の自分には到底アニタの心は理解しきれない。

 それはアニタも同じなのだろう。きっと両者は解り合ってなどいない。

「だけどしばらくアンタの顔なんか見たくない。……ブルースの家に行って」
「……ああ。……わかった」

 二人はそれきりお互いの目も見ずに背を向けてしまった。グレゴリーは打ちのめされたまま隣のブルースの家に行き、事情を話してしばらく泊めてもらえる事になった。

 ブルースの部屋に通してもらうと、はしゃぐブルースを横目にグレゴリーはちらりと窓の外を窺った。アニタの部屋の電気は消されており、カーテンは硬く閉ざされている。

 小さな女の子が暗い部屋で一人、何を考えているのか。そう思っただけで胃がつぶれそうな思いだ。

 夜闇はどこまでも暗い。グレゴリーは深い深い夜に地獄を思い出しながら、二人の心情を反映しているような暗い夜が更けていった。……と、言いたいところだが。

「ね、ね、人生ゲームしない? ベッドは一つしかないから一緒に寝ようね! うーっ、たのしー!」
「人がせっかくシリアスになってるんだから黙ってろ!」
「えー?」

 このお話しがシリアスに終わるなんて、まだまだ先のようである。

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