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良い王様

 

飴とムチの加減を見定めないと。ね。

 

 ここはおなじみノースリバー。そして今回はおなじみじゃないこのお家からお話はスタートします。皆さんご存知、邪悪なイカレハーヴィー博士とその愛娘エリーのお家。前回の爆破後、ハーヴィーの発明ですっかり元通りになった家ですが、奥さんが相当怒ったのでしばらく地下室は使用禁止。

 という訳で、お話はハーヴィーが朝ごはんを食べるためにキッチンに下りてきた所から始まり始まり。

「うう、なんて清清しい朝なんだ。反吐が出る!」

 眼鏡をなおしながらさんさんと輝く太陽を睨みつけるハーヴィーは、誰も居ないキッチンで自分の朝食を準備し始めた。奥さんは仕事、娘は学校なのでそれまでハーヴィーは一人きりである。

 地下室が使えないハーヴィーにとってすることと言えば、機械の設計図を書いたり危ない本を読んだりする事のみ。今は朝食を食べる事だけれど。

 やかんのお湯を沸かそうとコンロの前に立ち、つまみをひねる。しかしガチガチと音がするだけで、一向に火がつく様子は無い。イライラと何度か試してみるも、結局一度も成功はしなかった。

「ええいこのオンボロめ! 私にたてつく気か!」

 とうとう頭にきたハーヴィーは椅子を持ち出してガンガンコンロをぶん殴り始めた。しかし三回目の打撃をコンロに加えた途端、ハーヴィーはぎょっとして椅子を振り上げたまま固まってしまった。

 突然コンロから黒い霧が噴出したかと思うと、空中にそれが集まって次第に人の形を作っていくではないか。みるみるうちに黒い霧は、サメのようにギラギラした歯を持つ奇妙な男に変身した。でっぷりした体はつぎはぎだらけの汚い黄色の布で覆われ、頭は濃い紫のモヒカンだ。

「……おお、自由ぅ……何だ、ここは人間界か!」

 ギラギラ光る黒い目が自分の姿を確認した後、ゆっくりと家の中を廻った。そうしてハーヴィー自身に目を留めると、不気味な顔に笑みを貼り付けてみせた。

「突然失礼、イカレタ博士さん」
「な、何故私がイカレタ博士だと判った?」
「その格好見りゃあなあ」

 ハーヴィーは呆然と男を見つめていた。一体どこの誰が、自分の家のコンロからこんな恐ろしい男が出てくると思うだろう? ただハーヴィーは頭がよかったので、呆然とする時間をすぐに終わらせると、疑問の解明に乗り出すことが出来た。

「君は一体誰なんだい? 見たところ人間じゃないみたいだけど」
「俺は地獄のさらに下の場所に閉じ込められていたのさ。いつか真上に住む人間が、”ええいこのオンボロめ! 私にたてつく気か!”と言いながらガスコンロを椅子で三回殴ったら、外に出られる事になってた。俺を閉じ込めた奴らは、そんな日が来るとは思わなかっただろうがなあ」
「閉じ込められた? 何故?」

 しゅうう……と男は口から禍々しい黒い霧を吐き出してにやりと笑った。鋭い歯をむき出しにして笑うその顔は、どう見ても”良い人”には見えない。ハーヴィーは息を呑んだ。

「俺様がめちゃめちゃ悪い奴だからだよお」

 にたり笑いがあまりに恐ろしかったので、ハーヴィーはひいと叫び声を上げて飛び上がり冷蔵庫の陰にぱっと飛び込んでしまった。

 そんなハーヴィーを見て男は笑った。低い声が大声で笑うものだから家の中が震え、男の胸に描かれているピンクのガイコツが何度も波打って一緒に笑っているかのようだった。

「怯えるな兄弟! お前もどうせろくでなし仲間なんだろう? 下からずっと見てたから判る」
「じゃ、じゃあ何だって言うんだ。私の研究に興味でもあるのか!」
「ああ、大有りだとも。良いねえ、世界を悪で満たすなんて、俺好みだ」
「まさか同士か? おお、なら協力してくれ! 君は悪い奴なのだろう、その邪悪なエネルギーが必要なんだ!」
「俺様の体をモルモットみたいに扱う気か!」

 一喝した後、意味深ににたりと笑った男の顔は相変わらず恐ろしかったが、ハーヴィーは恐怖とは違う意味で息を呑んだ。指の無い男の手が差し出されたのだ。

「俺が駄目なら? ハーヴィー、他に居るだろう。知ってるはずだ。力になるぜえ?」

 

 男の邪悪なにたり笑いが濃くなった。

 

 

 

 さて、悪い企みからお話はがらりと変わり、ここはブルースのお家。グレゴリーが居るお陰でランチボックスを忘れなくなったブルースが帰ってくると、その後ろにアニタが居たのでグレゴリーはぎょっとした。丁度洗い終わった洗濯物を各部屋に届けようとしていたところだ。

 アニタの家からブルースの家に引っ越してからもう三日目。特に問題はないのだが、毎日やってくるアニタと同じ空間に居るのは何故だか耐え難いまでの苦痛だった。

 『死神の近くに毎日十分以上居る』というのは何が何でも実行したいらしく、まあ自殺マニアのアニタを考えれば早く不死を治したいのはわかるのだが、何も言わずにグレゴリーから少しはなれた場所に座ってゲームをし、十分きっかりで帰っていくのを見るのはやるせなかった。

「ただいまママ、ただいまグレゴリー、ただいまアニタ!」

 何故かアニタにまでただいまを言いながら、ブルースは一目散にリビングへ向かってしまった。アニタはグレゴリーを見もせずブルースに続く。とても気まずい雰囲気だった。

 とりあえず洗濯物を近くに置くと、グレゴリーは仕方なくリビングに移動した。アニタが早く帰れるためにはさっさと自分と十分過ごさなければならない。だから、洗濯物よりも十分のアニタを優先させる必要があるのである。

 これがグレゴリーの親切心なのか、アニタに対する恐怖心が染み付いているからなのかはおいといて。

「うーっ、今日は負けないからな!」

 レーシングゲームを始めたブルースは、アニタにそう宣言するとやたら滅多に体を揺らしながら自分の車を必死に目で追っていた。アニタは何も言わず、もくもくと画面を見つめてはコントローラーをさばいている。

 そんな二人の後姿を、グレゴリーはソファに座って眺めていた。離れすぎちゃいけないが、近づきすぎても気まずい。この間隔が一番無難である。することも無くてテレビの画面を眺めていた。

 十分はすぐに過ぎ、きり良く3ラウンド目が終わった途端アニタは立ち上がり鞄を背負った。ほんの一瞬目が合ったグレゴリーはぎょっとして固まったのだが、アニタはすぐに視線を外すと玄関に向かった。

「なんで勝てないんだろう? ねえ、ズルしてないよね? 裏技とかないよね?」

 勝敗に納得いかないらしいブルースは、玄関に向かうアニタの後をひっついてたずねる。アニタは呆れた様子でいいえと簡潔に答えていた。

 扉を開けるとちょうど夕日が家の中に入り込み、アニタの金髪をオレンジ色に染め上げた。歩き出そうとするアニタの背中を眺めていたグレゴリーは、我慢できなくなったかのように大声を出す。そうして、名前を呼び終わってからしまったと思った。

「アニタ!」

 アニタが振り返る。無表情な顔を見下ろしても、グレゴリーが次に言う台詞は見つからなかった。

「あー、その、き、気をつけて帰るんだぞ。なんなら送っていく……」
「私の家、隣なんだけど?」
「あ、ああ! うん、そうだよな。隣だ。うん」

 渇いた笑い声で何とか誤魔化そうと試みるも、結局失敗に終わったようである。アニタはじろりと睨みつけると何も言わず扉を閉めて帰ってしまった。

 ブルースが不思議そうにこちらを見やるのも気にせず窓から外を眺めると、すぐにアニタが自分の家に入っていくのが見えた。一瞬こちらを見たような気がしたが、気のせいかもしれない。グレゴリーは深いため息をつくと、がっくり肩を落としてしまった。

 そうして、ふと気がつく。不思議そうに窓のガラスにうっすら映る自分を凝視して考えた。……一体、どうしてこんなに落ち込んでいるんだ?

「おー、何てことだ! すっかり下僕が板についてるなんて!」

 気がついた瞬間、グレゴリーは絶望に打ちひしがれて叫んだ。死神が人間に仕えるなんて前代未聞の珍事に感覚が麻痺して、いつの間にかたった六歳の少女を労しいと感じていたのだ。加えてまだ幼いことも気にかかり、何かと心配してしまうのだから始末が悪い。元々グレゴリーが人が良いのもあるのだが。

「くそ、人間め! お前らなんかに屈するものか! 人間なんか大嫌いだー!」
「あら、そこに居たのねグレゴリー。夕食作るから手伝ってー」
「…………。」

 しかめ面のグレゴリーもなんのその。全くもってマイペースなブルースの母親を見やりながら、グレゴリーはこう言うしかなかった。

「……オーケイ、ブルースのママさん」

 

 

 さて、次の日。ちょっとどんより曇り空の中、庭で草むしりをしていたグレゴリーはブルースの母親に呼ばれて家の中に顔を突っ込んだ。

「悪いけど、ブルースに忘れ物を届けてくれない?」
「ランチボックスなら持たせたぞ」
「いえ、忘れたのは鞄よ」

 ひょいと鞄を差し出されて、開いた口がふさがらなかった。既に時間はお昼になろうという頃で、四時間目も終盤だろう。一体登校してからどうやって勉強していたのだろう?

 グレゴリーはため息一つブルースの鞄を受け取ると、学校へと向かった。誰か気づいても良いものを、と自分のことは棚に上げて愚痴りつつ、大分慣れた道を歩く。

 酷い目に遭った例のイカレタ科学者の家の前を通らずに少し遠回りをしていると、ちょうど四時間目が終了のチャイムと同時に学校に入った。子供達の合間を縫って歩き、一年生の教室につくとぐるりと中を見渡す。入り口のすぐ近くで、アニタがサンドラと話をしていた。

「へぇ、サンデーって雑種だったんだ。今度本物を見せてよ」
「……別に良いけど、人見知りが激しいわよ。気難しいから」
「全然平気! 私猫大好きだもの。貴女も猫が大好きでしょう?」
「ええ、猫は好きだわ……」

 そこまで話して、アニタは戸口に立っているグレゴリーに気づき口をつぐんだ。さっと視線をそらすと、教室の中央でなにやら友達と騒いでいるブルースを呼びつける。

 それきりアニタはサンドラとの会話に戻ってしまい、グレゴリーには目もくれなかった。

「ハイ、どうしたのグレゴリー?」
「……え、あ、ああ。この馬鹿者、鞄を忘れるな!」
「ウッソー!」

 心底驚いたブルースが礼を述べて鞄を受け取る姿を見やりながら、グレゴリーは心底ため息をついた。本当に、どうやって勉強したのだろう。

 役目も終えたグレゴリーは、惨めな気分になる前にとっとと退散しようと踵を返した。すると驚く事にアニタがグレゴリーを呼んだではないか。上ずった声で返事をして振り返ると、アニタは何時もの無表情でグレゴリーを眺めていた。

「後で話しがあるから」
「話? なんの話だ?」
「さっさと帰りなさい!」

 びしゃりと扉を閉められて、ぽつねんとグレゴリーは立ち尽くす。仕方なくとぼとぼ帰路へついたのだが、頭の中はアニタの台詞で一杯だった。

 怖いような、期待してしまうような。一体何の話をするというのだろう。許してくれるのだろうか。しかし、一体何を許すと言うんだ。自分は仕事をしただけなのに!

 そんな考え事をしていたら、グレゴリーの足は思わぬ方向に向いてしまった。ハーヴィーの家を通る道を選んでしまったのだ。普通であれば、ここでハーヴィーが丁度家から外を見ている確立なんてとても低いのだが、このグレゴリーは哀れなほど不運なのを皆さん覚えておいででしょう?

「やあ、待っていたよ死神クン!」

 家から飛び出してきたハーヴィーの声で、ようやくグレゴリーははっとした。そして自分が今どこにいるかに気づいて大慌てする。しかし、時既に遅し、というやつだ。

 ハーヴィーは黄ばんだ歯をにやりと覗かせて、手に持った真っ黒の頭蓋骨を突き出してきた。そこから真っ黒の稲妻がほとばしり、狙いたがわずグレゴリーにぶち当たる。ぎゃっと悲鳴をあげると同時に、頭を残してグレゴリーは灰になってしまった。

「貴様、それをどこで手に入れた! 黒のドクロなんて人間が持って良い物じゃないぞ!」
「貰ったのさ、私のパートナーにね!」
「貰っただと? それは地獄の保管庫に保管されていたはずだ! ええい、保管部の奴らはどうしてこんなに役立たずなんだ。いつも椅子に座って寝こけてる太っちょどもめ……!」

 黒い灰が渦を巻いて吹き上がり、その場に小さな竜巻が出来上がる。ぱっとそれが消えてしまうと、後には元通りのグレゴリーが立っていた。

 ぎらりと光る大鎌に黒い落ち窪んだ空洞で睨まれると、流石にハーヴィーも怖気づいた。けれども、ここで引き下がってしまうなど科学者として言語道断。必要な材料が目の前にいるのに、どうしてそれを逃すなんてできるだろう。

「さあ、痛い目を見る前にそれを渡せ!」
「ふははは、勘違いしないでくれ死神クン。主導権は私にあるのだ!」

 再び黒いドクロから稲妻が走り、グレゴリーを直撃した。光が収まるとグレゴリーはばったり倒れこんで気絶してしまっていた。ああ、ハーヴィーの勝ち誇った声が遠のいていく・・・。

「ふはははは、はーはははは! 世界は私の物だ、私の物だー!」

 

 

 

 


 はっと目が覚めると、グレゴリーの視界いっぱいに薄灰色の天井が広がっていた。何本ものパイプや、奇妙な機械があるのを見ると、さっと血の気が……元よりグレゴリーに血は無いのだが、そんな気分になった。

 視線を動かすと、今まさにハーヴィーが機械を操作している後姿が目に入った。そして、自分が太いベルトでぐるぐる巻きにされて、手術台のようなベッドに縛り付けられているのもわかった。

 前回と全く同じシチュエーションだ。けれども違うのは、いくら力を入れてもベルトはびくともしない事。前回の教訓を生かし、よほど頑丈なものを買って来たのだろう。

「この、イカレタ科学者め! 離せ、離せ!」
「ん? 起きたのかい死神クン。寝てれば痛くなかったものを」

 にやりとハーヴィーが笑うと、グレゴリーの頭に被せられたボウルにバチバチと電気がほとばしった。前回の激痛を思い出しぎょっとするが、じたばた足掻いても逃げ出す事は出来なかった。

 もがくグレゴリーを見て、ハーヴィーは盛大に勝利の高笑いをした。机の上に置いたドクロの頭にキスまでして見せて、グレゴリーを観察している。屈辱的ではあったが、グレゴリーにはどうする事出来なかった。

「はてさて、そろそろ始めるとしよう。準備に手間取ってしまったから、そろそろ娘が帰ってくる。おおそうだ、あの子を悲しませるなあ。君とデートしたんだと嬉しそうに語っていたよ」

 デート? まさか、あのエリーの父親? 何の因果か、グレゴリーはくらくら眩暈がしてまた気絶しそうになった。全く、親子共々自分を困らせたいらしい。

 しかし学校が終わる時間だと聞いて、真っ先に浮かんだのはアニタとブルースのことだった。アニタの話というのは結局なんだったのか。こんなところに居ては、聞くものも聞けやしない。

 どうにかして、絶対に、逃げ出さなければ。その事を思い出したグレゴリーは今までにもまして、強くそれを感じた。まあ、アニタの言いつけを守れないと恐ろしいのでは、という恐怖心からかもしれないが。

「ああそうだ! 頭だけでも残しておいてやろう。これでエリーも喜ぶだろう」

 名案だと指をパチンと鳴らしたハーヴィーは、やおらグレゴリーの頭をむんずと掴むとそのまま引っこ抜いてしまった。……今だ!

 グレゴリーはぱっとハーヴィーの指に噛み付いた。ぎゃっと悲鳴をあげてハーヴィーはグレゴリーの頭蓋骨を放り出し、痛みにその場を走り回る。床を走るコンセントに躓き、ハーヴィーはそのまま機械に頭から突っ込んでしまった。

 衝撃で何か変なボタンを押したらしく、するりとベルトが緩まっていく。グレゴリーは大急ぎでそこから逃げ出し、自分の頭を拾い上げてしっかりはめなおした。ハーヴィーは頭をさすって、グレゴリーを探している。

 机の上に置いてあった黒のドクロを奪うと、グレゴリーは扉に向かってダッシュした。しかし一瞬遅い。扉とグレゴリーの間に、恐ろしいロボットが立ちはだかった。

「どこに行くのかな死神クン。そのドクロしか武器がないとでも? 私の本当の実力は、ロボットでこそ発揮されるのだ。食らえ!」

 大きな右フックが飛んできて、グレゴリーは慌ててそれを回避する。反撃しようと腕を振り上げて、そこで気がついた。本当に不運な死神! 鎌がない!

「鎌、鎌、俺の鎌はどこだ!」

 仰天するグレゴリーの叫びなど聞こえないハーヴィーは、ロボットの上で必死にそれを操縦していた。パンチ、キック、レーザー光線。すんでのところでかわされているが、そろそろグレゴリーの息があがっているのが見える。

 次の一撃をグレゴリーは思い切り食らい、バーンと吹き飛ばされて不様に地面に倒れこんだ。頭の周りでチカチカ点滅する星が見えなくなると、尻餅をついたままハーヴィーの乗ったロボットを見上げる。

 左の腕についた長いナイフをギラつかせて、ハーヴィーはとても悪者らしいにんまり笑いをしてみせた。レバーを引いて左腕を思い切り振り上げると、グレゴリー目指してナイフを振りおろす。

「これで終わりだ!」

 ハーヴィーの勝ち誇った声が聞こえて、グレゴリーはぱっと目を瞑った。……1秒、2秒、3秒・・・おや?来るはずの衝撃も痛みも来ず、あたりは静まり返っている。不思議に思ってそっと目を開けると、思いもよらない光景が広がっていた。

「アニタ!」

 ナイフを腹に深々と刺し血を噴出しながら、けれども平然と立っている女の子。ハーヴィーはアニタが不死であることを知らないから、それはもう吃驚仰天、今にも失神しそうだ。

「私ね、考えたの」

 とんでもない状況なのに、アニタは世間話でもするように普通に喋り始めた。グレゴリーは呆然として動けず、ハーヴィーはとうとう気絶して操縦席からずり落ち、地面に激突してしまった。

 ポタポタと血が流れて床をどんどん広がっていく。アニタは何時もの無表情で、静かにグレゴリーを見下ろしながら、ぽつぽつと話し続けた。

「良い王様って言うのは、心が広くないと駄目。家来がどんなに使えない最低な奴でも、情けをかけられる余裕がなきゃ国が滅びるわ」

 一体なんの話をしているのか、今一ピンと来ないグレゴリーは相変わらず黙ってアニタを見上げるばかり。けれど大変、ハーヴィーが目を覚ましてしまい、頭を振っているではないか!

「う、ううん、何なんだ一体……ひい!」

 息を呑んだハーヴィーの叫び声は、二人には聞こえなかったらしい。ハーヴィーは飛び上がってロボットの後ろに隠れてガタガタ震えだした。

 小さな女の子が串刺しにされて、あんなに血がいっぱい出ている。しかも、それは自分がやったこと。なんて事だ、犯罪者になって死刑にされてしまう!

「だからね、私もアンタに情けをかけてあげる。死神が居ないと魂たちが天国にも地獄にも行けなくなって大変になるのよね。それに、アンタが無理やり殺すわけじゃないし」
「……つまり、もう、怒ってないのか?」
「元々怒ってないわ。悲しかった訳でもない。変な気分だったけど……それも全部晴れた。昨日、唐突に思ったの」

 ふと、ハーヴィーは不思議に感じてロボットの足の隙間からアニタの背中を眺めた。確かに血はいっぱい出ているけれど、ちっとも痛がって居ないじゃないか。それに何より、死んでない。

 これは全く以って異常な事態である。あんなに大きなナイフでお腹を刺されているのに、あんなに小さな女の子は何事も無いように普通に話をしているのだから。

「”下僕の一人も守れないで、何が主人だ”ってね」

 眉根を寄せて考えているハーヴィーの隣を、急にブルースが猛スピードで駆け抜けて行った。ナイフが突き刺さっているアニタを見て大喜びしてから、ひょいとグレゴリーにあの大鎌を手渡した。

「俺の鎌! 一体どこで?」
「この家の前に落ちてたんだよ。アニタが見つけて、何かおかしいってここにお邪魔したんだ。ここエリーの家でしょ? 家の地下にこんな部屋があるなんてかっこいーね!」

 自分の愛娘の名前が飛び出て、ハーヴィーは心臓が止まるかと思った。見かけからして、娘の同級生じゃないか。

 とにもかくにも、今はこの頭が可笑しくなりそうな状況を打破すべく、何か行動を起こさなければならない。女の子が死なないと言う事は判ったのだから、男の子さえ気をつければ多少手荒なマネをしても平気だろう。

 そろそろと気づかれないようにハーヴィーはロボットをよじ登って操縦席に戻ってきた。三人は顔をつきあわせたまま黙っている。グレゴリーは立ち上がり、鎌を握りなおしながら血だらけのアニタを見下ろして何を言ったら良いのだろうとしどろもどろになっていた。

「良い、私が言いたいこと、わかった?」
「ああ、うん、何となく」
「逆もまた然りよ。……グレゴリー!」

 アニタの声と、ロボットの右手が振りあがったのは同時だった。名前を呼ばれてはっとしたグレゴリーは鎌を一振りしてナイフのついた左手を真っ二つに切断すると、そのままロボットの中心に深々と鎌を刺し込んだ。

 バチバチと電気が走り、そのうちの一つがピシャリとハーヴィーを直撃する。黒こげになって倒れたハーヴィーの下で、ロボットは不穏な震え方をしてから一瞬の間を置いて大爆発した。

 もうもうと立ち込める土煙が晴れると、すっかり吹っ飛んだ家の跡があるばかり。地上にあった居住区まで木っ端微塵に吹き飛んでいる始末である。

 瓦礫の山の上で、アニタは顔をしかめながらナイフを自分の体から引き抜いた。ガランとそれを投げ捨てると、土煙の晴れた場所でグレゴリーが頭を振りながら立ち上がっているのが見える。

「どうして判ったんだ?」
「私に戦の才能があるだけの事よ」

 瓦礫の中に、髪の毛のピョンと跳ねた部分だけ覗かせているブルースを引っ張りだして、三人はグレゴリーの魔法で地上へと戻っていった。勿論、アニタの血も、土汚れも全て綺麗にしてからである。

「グレゴリー」

 何事も無かったかのように、アニタがグレゴリーを呼んだ。未だに気まずい感じがして、グレゴリーは静かにそちらを見やる。アニタ黙っているグレゴリーに一度小さくため息をつくと、さっと背を向けてしまった。

「私は主人になるための覚悟がついた。アンタも覚悟が出来たら家に戻って来なさい」

 グレゴリーが呼びかける前に、アニタは自分の家に向かって歩き出していた。ブルースは心配そうに二人を交互に見やり、そっとグレゴリーのローブを引っ張る。

 グレゴリーは何も言えず、黙ってしばらくその場に立ち尽くしていた。ただ、ひたすら考えていた。

 

 時刻は八時を過ぎた。夕食もとっくに終わり、アニタはリビングでニュースをぼうっと眺めている。結局帰ってこない。父親も母親も心配そうにアニタを眺めているが、無駄に慰めようとしないのが救いだった。

 元々それ程狭い家ではないが、何故だか頭の上が妙にスッキリした感じがしていた。気分が良いといえばそうだが、物足りないといえばそうなる。アニタは息を吐き出して、くだらない音楽番組にチャンネルを変えてみた。

 丁度その時、扉をカリカリと引っかく音が聞こえた。小さな音であるが、グレゴリーで無い事は確かだ。アニタが玄関に行って扉を開けると、そこには可愛らしい黒い子猫が必死に扉を引っかいている処だった。

 ひょいとその猫をつまみ上げると、子猫は可愛らしい声でにゃあと鳴いた。飼い猫のサンデーが突然の侵入者に興味心身で近寄ってくる。アニタは、じっと子猫を眺めてから扉を閉めて家の中に連れて行った。

「迷子かしら。とりあえずミルクでも飲みなさい。サンデー、ちょっと借りるわよ」

 サンデーの水飲み皿にパックの牛乳を入れて、アニタは子猫に差し出した。子猫が美味しそうにそれを舐める様を眺めていると、ふっと体の力が抜けてしまう。

 ツヤツヤした黒の毛並みをそっと撫でながら、アニタはしばらく子猫の様子を観察していた。やがてミルクを平らげると、子猫は満足したかのようにまたにゃあと鳴いた。

「可愛いね、お前。目がクリクリしてて、毛並みはピカピカ。それに人懐こいし」

 撫でてくるアニタの手に纏わりついて、ゴロゴロ喉を鳴らしている子猫の可愛らしい姿といったら。ひょいと子猫を抱き上げてお腹を撫でてやりながら、アニタは目を細めた。

「ずっとその姿のままでいれば、グレゴリー?」
「なに?」

 子猫から男の声が聞こえたのと同時に、アニタは黒い体を片手でむんずと掴んで地面に叩きつけた。子猫から上がったのは痛々しい鳴き声ではなく、男の悲鳴だ。

 ボウンと煙があがって、子猫が倒れていた場所には痛みに呻くグレゴリーが倒れていた。痛む箇所をさすりながら立ち上がり、不服気にアニタを見下ろす。

「酷いじゃないか。一体どうして判ったんだ?」
「戦の才能があるって言ったでしょ。それで、どういうつもり? 私が猫好きだから猫になってご機嫌取りすれば良いとでも思ったの?」
「別に、そういう訳じゃ……!」

 しどろもどろになっているグレゴリーの声を遮り、突然外で声が聞こえた。窓の外を見ると、ブルースが隣の家からこちらに呼びかけているではないか。

 窓を開けてアニタとグレゴリーが顔を突き出すと、ブルースは今にも泣きそうな顔で声を上げた。

「ねえ、グレゴリーはもう一緒に寝てくれないの? まだ人生ゲームやってないのに!」
「いいえ、ブルース! アンタとグレゴリーは友達なんだから、いつだって泊まって構わないわ!」
「それ本当、アニタ! うわーい、じゃあ明日泊まろうねー!」

 途端に元気になったブルースは、ぶんぶんと嬉しそうに手を振ると窓を閉めて家の中に消えてしまった。ブルースの寝相は最悪だったけれど、一緒に居ることを望んでもらえるのはやっぱり嬉しいものである。

 静かになった家の中を見てみると、盗み見ていたアニタの両親と目が合い、苦笑して手を振った。二人は娘と死神を交互にみやってからにっこり笑うと、嬉しそうにキッチンに戻った。

「良かったわね、私から逃げる場所が確保できて」

 

 アニタの皮肉をぴしゃりと受け取り、グレゴリーはたじたじしながら黙っていた。けれども、それ程間が空いた訳でもないのにこうしてアニタと会話するのが酷く久しぶりな気がして、自然と頬が緩んでしまう。まあ、ちょっとの皮肉くらい我慢してやるか。

 

 リビングに戻ってソファにどっかり腰掛けたアニタは、横目でグレゴリーを見やるとめんどくさそうな顔で投げやりに声をかけた。

「突っ立ってないで、皿洗いでもしてよ」
「……オーケイ、アニタ」

 

 

「パパー、どうしてまたお家がないの?」
「ああハニー、エリー、私の天使! これには深いわけがあるんだよ。……それを説明する前に、ここから出してくれないかい?」
「あ、ママが帰ってきたから手伝ってもらうね。ママー、お家がなくてパパが埋まってるのー!」
「わ、よせ、ママには……あああー!」

 奥さんの怒りの鉄槌が下ったので、しばらくノースリーバーは平和そう。

 そういえばあのドクロはどうしたかって? グレゴリーがちゃんと地獄に送り返したのでご安心を。あの黄色い変な男は誰なのかって? それはまた今度のお話。

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