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華麗なる復讐劇

 


 何人たりとも私を見下せはしない。何故なら、神は私だから。

 

「アーニター、グレーゴリー! こんばんはー!」

 輝く太陽が顔を出す真昼に、ブルースは陽気な声でアニタとグレゴリーに挨拶をした。二人は手を振りながら走りよってくる少年を見て、ぱっと顔をしかめる。

 真昼間からの「こんばんは」はまだ許せる範囲だとしても、目の周りを黒い絵の具で縁取り、三倍は大きく見せようとしているその顔の状態はどうしても許せない。抱きつかんばかりに突進してくるブルースの両手が後五センチでアニタに触れるというところで、彼女は片手を前に突き出しブルースの顔面に掌を叩き込んだ。

 歯の折れる音と一緒に鼻血を噴出しながらブルースが倒れて、ようやくアニタは息を吐き出す。痛みのせいで流れた涙によって絵の具が溶け、余りにも惨い顔になっているブルースを見下ろすと仕方なく言った。

「聞いてあげるから在り難く思いなさいよ。その顔どうしたの」
「これは真実が見えるようにするためのおまじないさ! 目を大きくすることによって、今まで見えたなかった世界が見えてくる……」
「何だその三文霊能者みたいな台詞は」
「教主様が言ってたんだよ!」
「教主様あ?」

 まさかこのブルースの口からそんな言葉が飛び出るとは思わず、アニタとグレゴリーは目を丸くして驚いた。ブルースはこの手の冗談を言う奴ではないし、何より教主という言葉を理解してないはずだ。

 二人が訝しげに睨むのでブルースは理由を知りたいのだと勘違いし、ぱっと立ち上がって見るもおぞましい顔でにっこり笑い、誇らしげに胸を張った。

「僕ん家、宗教に入ったんだ!」
「アンタの家はキリスト教じゃない」
「そんなの遅れてるね!」

 少々辺りを気遣うグレゴリーなど気にせず、アニタは腕組みをしてブルースを睨みつけた。アニタの家も敬虔とまではいかないが立派なキリスト教徒だ。遅れてる呼ばわりされてはたまらない。

「それで、アンタが入ったっていう馬鹿な宗教はなんなの」
「ええと……なんだっけ?」
「おいお前たち、宗教の話はするもんじゃないぞ。宗教が原因で起きた戦争の恐ろしい事と言ったらない。学校で教わっただろう? 触らぬ神に祟りなし、宗教と野球と政治の話はするな」
「黙ってなさいよグレゴリー、今まさに宗教戦争が起ころうとしてるんだから」

 じろりとアニタに睨まれると、グレゴリーはしかめ面になったがそれ以上言い返せなかった。願わくばブルースが自分の宗教の名前を思い出せず、そのまま宗教の話も忘れてくれれば良い。アニタは賢い子だから、一々蒸し返したりしないだろう。

 しかしそんなグレゴリーの願いも届かず、ブルースはこめかみをトントン叩きながらうんうん唸ってどうにか名前を覚えようと努力していた。

「ううーん、難しいなあ……確か鳥の名前だったような……」
「鳥ですって?」
「鳥……オから始まる鳥の名前の宗教なんだよ」
「……ちょっと、アンタまさか」
「オ、オ……オウ……あ、思い出せそうだぞ! オウ、オウ……」
「ブルース、それ以上は黙んなさ」
「思い出したあ! オウル教だ!」

 殴ってでもブルースを止めようとしたアニタの拳は、空中でぴたりと止まった。一度瞬きをした後ゆっくり拳を下ろしながら、一瞬でも慌てた自分を呪う。

「……オウル? フクロウってこと?」
「そうさ、首がぐるっと回るんだよん」
「ああ、危なかった」
「何の話?」
「分からないならそれで良いのよ」
「もうたくさんだ!」

 両手を振りながら話を遮ったグレゴリーは、怒りの形相で二人を見下ろすと人差指で二人を指差し、キッパリと言い放った。

「今回はまずい話になりそうだから俺は首を突っ込まないぞ! 後はお前たちだけで勝手にしろ」

 そう宣言するとグレゴリーは自分の忠告が聞き入れられなかったことにプリプリ怒りながら、アニタの家へと帰っていってしまった。

 まあ彼が居なくても問題は無い。アニタは目の前の愚かなブルースと愚かなブルースの家族をどうにかしてやらなければと思い、仕方なくブルースの家へと足を運んだ。

 庭のホースでブルース顔を綺麗にし、ノックもせず家の中に入る。どの部屋もカーテンがしっかり引かれ昼間だと言うのに家の中は真っ暗だった。

 二人が注意深く進んでキッチンまで向かうと、突然きらりと光る何かが四つ現れ、二人に向かって躍りかかってきたではないか! サッとアニタはそれを避けると、その奇妙な物の背中に思い切りキックをお見舞いしてやった。

「うぎゃっ!」

 聞き覚えのある声が聞こえて、アニタは動きを止める。なにやらバタバタ音が聞こえるが、アニタは気にせず壁際に寄って電気のスイッチを入れてみた。

「わっ、眩しい! やあアニタ、凄いキックだったな! 良ければ電気を消してくれ」
「ハイ、ブルースのパパ。それは駄目よ。まずはあなた達の格好を説明して」

 ぴしゃりとアニタに言われると、ブルースの両親はバツの悪そうに顔を見合わせた。何しろ彼らの格好のおかしさといったらない。

 先ほどまでのブルースと同じように目を大きく縁取り、今にも壊れそうなダンボールに車の中を掃除する羽毛はたきをくっつけた不恰好な翼を両腕にはめて、プラスチックのくちばしをつけているのだから。残念ながらそうは見えなかったのだが、ブルースの言葉から推理するにそれはフクロウのつもりなのだろう。

「我が家はオウル教という宗教に入ったんだよ。今は儀式の真っ最中だったんだ、君たちに邪魔されるまではな。良かったらアニタも入らないか、素晴らしい宗教だぞ!」
「興味はないけど聞かないと話が進まなさそうだから聞くわ」
「なら丁度良い、今からセミナーがあるんだ。一緒に行って教主様のお話を聞こうじゃないか」

 そう言うとブルースの両親はとりあえずくちばしと羽を脱ぎ捨てて、大きなサングラスをかけて家から出て行った。そして燦々と輝く太陽を睨みつけた二人はきっと太陽に向かい突然思い切り唾を吐いたのだ。勿論天に吐いた唾は重力に従い戻ってくる。数秒後には自分の唾を頭から被った二人がまだ太陽を睨みつけている光景がアニタの目に入った。

「それも儀式?」
「そうとも、太陽はその光で我々の目から真実を眩ませているのだ。憎たらしい!」

 豪語する父親を呆れた顔で見ていたアニタは、少し右にずれてブルースから離れた。両親に倣い唾を吐いたのだ。アニタの考え通りブルースは加減も知らず大量に撒き散らした自分の唾を浴びてぐっしょり濡れた。

「もう帰りたくなってきた」

 近くだからと冷めた表情のアニタを連れて、一家は五分ほど歩いた所にある小さいホールに向かった。普通なら個人主催の小さなイベントが開かれる場所だが、なんだか今日はホールの前に人がぞろぞろ集まっている。彼らが一人残らずサングラスをするかフードを目深に被っているのを、アニタはしかと見た。

 あんまりにも妙ちきりんな連中しか居なかったので、教主とやらもさぞ可笑しな人物なのだろうと思っていたのだが、会場に入った人々を迎えていたのは極普通の六十代の女性だった。少々キツい顔立ちをしているが、間違ってもこんな怪しい宗教を統べるような人物には見えない。

 ホールの中は薄暗で極限まで落とされた照明の光と、教主の女性が座る椅子の横にあるロウソクの明かり以外頼るものが見つからなかった。誰もがこの薄暗い空間にホッとしており、サングラスやフードをとった顔は揃いも揃って安堵の表情だ。

 老若男女問わず人が集まりホールが一杯になった頃、教主の取巻きがステージの上で彼女の後ろに控えた。アニタとブルース一家は床に座る人々の合間を縫って、丁度真ん中の良く見える位置に陣取ると一言も交わさず食い入るように教主の女性を見つめていた。

 ブルースも親から言われているからなのだろう、黙っていたのだが元が落ち着きの無い子である。隣に座り不服気なアニタと話をしたくて堪らないという風に規則的に首を動かしている。それが鬱陶しくて仕方がなかったので、アニタはブルースの頬を思い切り平手で張った。パアンと小気味の良い音がホールに響く。

「静かに!」

 その音を聞きつけた・・・といっても、静かなホールでは聞き耳を立てなくてもその音は全員の耳に聞こえたのだが・・・教主は両手をばさっと広げて声を上げた。囁くような声は威厳があったが、両腕の下にブルースの両親がこしらえた物よりもっと上等な翼がぶら下がっている。

「駄目ですよ、静かにしないと。フクロウは音を立てずに生きる物。静かな空間こそ、真実が我々に囁きかけているのを聞くことが出来るのです」

 謎めいた声音はアニタを除いた信者をうっとりさせるのに十分すぎた。しかし、アニタたち位の子供はよく理解できないらしく、じっと座っているだけである。

 教主はしんとなった会場を眺めて満足そうに頷くと、低いステージの上を音も立てずにするすると歩いて大きな目を輝かせた。確かにこの目はフクロウに似ているとアニタは思った。

「どうやら今日は新しい方がいらっしゃるようですね。では紹介も兼ねて我々の説明をしましょう」

 教主のぴかりと輝く瞳がアニタに向けられたので、数人がアニタをねたましそうに振り返った。良い迷惑のアニタは更に顔をしかめたのだが、教主は全く気にも留めない。ようやく立ち止まり、厳かにステージの隅にあった奇妙な物の覆いを取って見せた。

 それはペットショップで売っている鳥かごで中に非常にやる気の無いフクロウが居た。止まり木にかろうじて掴まっているが、眠たそうにこっくりこっくりしている。羽はボサボサで目は充血しており、突然盛大なゲップを一発かました。

「フクロウこそ、この世で最も賢い生き物! 暗闇と無音の世界に生き、無秩序にも似た秩序で生命の連鎖を繰り返している。何故そんな事が出来るのか。それは夜にこの世の真実を見出しているからなのです!我々は彼らに倣い、夜の世界に生き、真実を知ろうとする賢者。その強大なる光で真実の何たるかを隠そうとする太陽に負けず、平穏なる暮らしを手に入れるのです!」

 アニタはすぐに、この教主が難しい言葉を使いまくるだけの馬鹿なのだと悟る事が出来た。呆れ果てて物を言うのも億劫なのだが、教主の自信に満ち溢れた表情はとてもいけすかない。

 人目もはばからず鼻をほじっているブルースの横で手を挙げたアニタは、教主がどうぞと言うのを待ってから発言した。

「つまりフクロウみたいに生きるって事?」
「そうよ、フクロウのように賢く真実を知る生き物になるの」
「真実を知るとどうなるの?」
「どうって……世界の真理を知れるなんて素晴らしい事じゃない!」
「枝毛は消える?」
「……枝毛は……消えないかもね」
「じゃあ興味ないわ」

 困惑する教主にはっきり言い放ったアニタは、びっくりしている全員を尻目にさっと立ち上がった。ステージの上では教主が顔を真っ赤にして怒り出し、誰がアニタを連れてきたのかと取巻きたちに囁いている。

「アニタよしてくれ、彼女を、ルイーゼ・クラウンを怒らせたら大変な事になる!」

 ブルースの父親が縋るように言ったが、前言撤回をしたところでもう言ってしまった事実は消去できないし、アニタは前言撤回する気などさらさらない。一触即発、張り詰めた空気の中で戦々恐々している大人たちを一瞥し、アニタはため息をついた。

「いいのよお嬢ちゃん」

 不意に、ルイーゼ・クラウンは猫撫で声でそう言った。その顔がどんなに醜く引き攣った笑みでも、信者は誰一人気づかないのだろう。彼女はふんと鼻から息を出すと、なるべくミステリアスな声音を作り体を僅かに縮ませて囁くように言った。

「貴女のようながさつでちいちゃな子供には我々の高貴な思考が理解できないもの。嗚呼、なんて可哀想な子でしょう。太陽の光に欺かれ、一生真実を見ることなく死んでいくのだわ……。さあ皆さん、皆さんは大丈夫ですよ。私が栄光と賛美に満ちたこの世の真実へと誘いましょう。フクロウとともに」

 ルイーゼ・クラウンがそう言うと感歎に満ちたため息が一斉に零れ、全員が口々に教主様、フクロウ様と懇願するような響きを含めて呟き始めた。とても恐ろしく異様な光景である。

 さて、今度はアニタが憤怒する番だ。いくらアニタが六歳の少女だとしても、プライドを傷つけられれば頭にくるし顔も赤くなる。しばらく射る様にステージ上で誇らしげに羽ばたく真似をする教主を睨んでいたのだが、ややあって怒りを通り越したのかふっと表情を失った。

 ああ本当にくだらない。皆揃いも揃ってアホより劣る連中だわ。そう言うのも面倒で、アニタは無表情のままホールから出て行った。急速に冷めていく頭。不死の体を呪う炎がお腹のあたりから噴出してぢりぢり心臓を焦がした。ああ、車道に飛び出てやりたい。

 けれど驚いた事にその後ろからブルースが追いかけてきたのに気づき、アニタの禍々しい考え事は中断されてしまった。

「何よ」
「あっちに居るよりアニタと居る方が絶対に楽しそうなんだもの! これからどうするの?」
「仕返ししてやるのよ」

 二人は大またでアニタの家へとずんずん歩いていった。

「目には目を、ってね」

 アニタの家に帰ってきた二人は、リビングでテレビを見ていたグレゴリーの元に向かった。母親は丁度近所のおばさまたちとショッピングである。

「グレゴリー」
「ぎょえあっ! アアアニタ、ブルース!」

 吃驚仰天してソファから飛び上がったグレゴリーは、物凄い速さでテレビを消しリモコンを放り投げた。ブルースが不思議そうに小首を傾げる。

「何見てたの? なんで消したの?」
「昼メロだ、お前たちにはまだ早い!」

 真昼に暇を持て余した主婦を魅了する、愛と憎悪の泥沼劇場。グレゴリーもすっかりハマってしまい毎日欠かさず見ていたのだが流石に六歳児に見せるような物ではない。

 少々名残惜しそうなグレゴリーも気にせず、アニタは壁に立てかけてあったグレゴリーの大鎌を指差した。

「仕事よ」
「そんなはず無いぞ、リストは届いていなしい冥界からはなんの指示も」
「私の仕事よ!」

 憤怒するアニタに逆らうべきではないと悟ったグレゴリーは、言われるままに少女の指示に従った。全く、これが人々を恐怖に突き落とす死を司る神の姿なのか。憂鬱なため息はアニタに気づかれないようにこっそりとだ。

 ブルースと手分けして何故か家の前に小規模の演台を作り上げると、次に数百枚にも及ぶビラを作成した。
『その目で確かな神の姿が見たいのなら、その足を動かせ~本日午後三時、ロールズ家前~』という怪しい文句がグレゴリーを不安にさせる。

 三人がビラを町中に貼り付けた頃には、時間は午後三時目前となっていた。くたくたのグレゴリーを演台に登らせたアニタは、革張りの椅子に彼を座らせた。座り心地は抜群だが、これは確かアニタの父親の物だったはずだ。

 何故ここに、とグレゴリーが不思議がっていると、アニタは集まってきた人々を前に朗々と演説を始めた。ブルースはアニタの横で、ただニコニコしていた。

「どの宗教に入ろうが、どの神を信仰しようが、それは人の勝手」

 それはそうだ、と野次が飛んだ。

「しかしどの宗教に入ろうとも、信仰者は皆神の姿を目にしその言葉を直に聞くことができただろうか。答えは否! 貴方達は不確かな存在に救いを求めている! 我々ABG教は世界で唯一つ、全ての者に平等に神の姿が見え、声が聞こえるのだ。我らが神を見よ!」

 アニタの紹介で凄まじい視線がグレゴリーに一斉に向けられた。グレゴリーは仰天してうっと息を詰まらせたが、しどろもどろになっているところでアニタが助け舟を出した。

 アニタはグレゴリーの鎌をひったくると、横で楽しそうに笑っていたブルースの首を思いきり良く刎ねた。ズパンと良い音がして血が噴出し、ブルースの頭が宙を舞う。人々が一斉に悲鳴を上げたが、彼らが逃げ出してしまう前に、首だけのブルースがケラケラ笑い始めたのでその場はぎょっと静まり返った。

「吃驚したなー、もう! アニタってば、首を切るならそう言ってよー」
「見よ、そして理解しろ。我々は神の御力により不死となった。さあ選びなさい、目の前の神か、見えない神か!」

 人々が思考力を取り戻すには、丸々一分はかかった。その間にブルースは首をくっつけ、アニタはグレゴリーに鎌を返してやる。鎌を早く返せとグレゴリーが渋ったのだ。そして沈黙のせいでとうとう耳鳴りがし始めた頃……ほうっと感歎のため息が聞こえた。

 

 

 

 

 

「教主様、大変です!」

 そう言って教主ルイーゼの元に走りよって来たのは、彼女の取巻きの一人だった。たとえ彼女に言われなくとも大変な事態になっているのは判っている。今日はセミナーだというのにこのホールには誰一人集まって居ないのだ。彼女の取巻きでさえ!

 ようやくやって来たたった一人の取巻きは、顔を青くして息を荒げている。まるで幽霊でも見たようだ。ルイーゼはイライラした表情を治そうともせず、何が起こったのか問うた。

「あれを見てください!」

 薄暗いホールのカーテンを思い切り引かれて、ルイーゼは叫び声をあげた。突然の日光に目が痛かったし彼女らオウル教は日光を良しとしないからだ。だからルイーゼは大声で取巻きの女を罵ろうと、アンタ、まで言いかけたのだが、それ以上は目を丸くして口を半開きにすることしか出来なくなっていた。

 目の前のここよりもっと大きなホールにぞくぞくと人が集まっているのが見える。かつて自分の教徒だった人々も含め、ほぼ町中の人々全員がそこに入っていくのだ。彼女は吃驚仰天してホールから飛び出し、人々の波を縫って大きな看板まで近づきその文字を読むことができた。

『ABG教本部』ですって? ルイーゼは一切の感情を忘れてただ呆然とそれを見上げていた。聞いたこともない名前だし、よく考えてみればこんなホール建っていなかったじゃないの。

「あら、日光はもう平気なの」

 突然ぱっと人垣が割れて、ルイーゼは何の苦も無くこちらに歩いてくる二人の子供と一人のガイコツ男を目にする事が出来た。忘れもしない、ルイーゼを侮辱し、ルイーゼもまた侮辱した女の子アニタだ。

 人々はアニタとブルースとグレゴリー一行を見るや否や、わっと歓声で出迎え教主様、神様と持て囃した。アニタは全くの無表情で放心しているルイーゼを見上げる。

「な、な、何がどうなって……?」
「わからないの? 私たち宗教を作ったのよ。彼が神のグレゴリー、死神だけどね。この町の人々は皆信者よ、貴女を除いて」

 ルイーゼははっとして振り返った。駆け込んできた取巻きの女が非常に居たたまれない表情をしている。まさか彼女までこちら側だったなんて! クラクラと眩暈を覚えてがっくりその場に膝を着くと、ルイーゼは気力を振り絞って小さなアニタを見上げた。

「私はね、大人しくて冷静な女の子と思われてるかもしれないけどそうじゃあないわ。私とってもヒステリックなの。あんな恥をかかされてただ泣き寝入るとでも思った? 今ではこの町の人々の寄付金でこんな大きなホールを新しく建てる事だって出来るようになったわ。どう、悔しい?」

 たった六歳の女の子に、こんな恐ろしい復讐をされてしまうなんて夢にも思わない。ルイーゼはアニタが建てた新しい綺麗なホールと少女を交互に見やった。冷ややかなアニタの視線にガタガタ震えて、水溜りが出来るほど冷や汗をかいている。

「貴女の負けよ、ルイーゼ・クラウン」

 あんまりの恐怖にルイーゼはううんと唸ると、ぱったり気絶してしまった。慌てて取巻きの女が彼女を介抱しにかかるが、アニタはそれを咎めはしない。取巻きの女が例え違う宗教に入ろうとも、ルイーゼを慕う気持ちに変わりは無かったのだ。

 さて、ようやく気の済んだアニタはホールに入ると集まった信者達を前にして考え込んだ。もう復讐は果たしたし、いつまでもこんな事をしていられない。学校の宿題があるのだから。

 ステージの上に立つと、アニタはグレゴリーの前に行って何かを聞いているような芝居をうった。ブルースはとてつもなく暇そうで、ステージの隅でいびきをかいて寝始めている。グレゴリーもいつまでこんな茶番に付き合わされるのかと、不服気な顔で頬杖をついていた。

「今日で終わりだろうな?」
「ええ」

 用心深く聞いてくるグレゴリーにアニタは頷くと、マイクに向かった。そして顔を輝かせている信者達に向かってゆっくり喋りだす。

「今日でこのABG教は解散よ。理由は神に縋ることが愚かだと神が言ったから」

 勿論書くまでも無いけれど、ホールは蜂の巣を突いたような大騒ぎとなった。今まで生きる気力となっていた寄る辺を失い、人々は喪失感でいっぱいになり、声を上げて泣き出す者さえ居た。

 アニタはそんな人々を、驚くほど冷めた感情で眺めていた。人間の脆さをこんなに間近で感じたことがなかった。これが私の生きる世界を我が物顔で支配する生き物なのかと思うと、急に吐き気で動けなくなる。

 思わずしゃがみこんだアニタに、グレゴリーは吃驚して駆け寄った。そして少女の瞳がまるでガラス玉の様に生気を失っているのに気がつく。この場に居る誰よりも、アニタが一番絶望を背負っていた。

「アニタ……」

 名前を呼んで、小さな小さな背中を骨の手で摩ってやる。グレゴリーにはそれしか出来なかった。ただ少しでもアニタの気分が良くなる事を願って。

 アニタは吐きこそしなかったものの、ステージの上からじっと人々を眺めていた。すると、車椅子に乗って一人の少年とその母親がステージに近づいていた来た。サンドラの持っている電動ピカピカ車椅子ではなく、普通のありふれた車椅子に普通のありふれた少年が乗っている。何故足があるのに乗っているのか、アニタは純粋に疑問に思った。

「教主様、どうぞお慈悲を……解散だなんて言わないで下さい。この子を見捨てないで下さい……神様……」

 母親は縋るようにアニタとグレゴリーを見つめた。車椅子のせいで二人はステージに上がってこられないが、アニタはようやく男の子の顔が青いほど白く、唇は紫で髪の毛がないのに気がついた。病気なのだと思うと同時に、直感的にもう長くないのだろうとも思った。

 母親ははらはらと涙を流し、俯いて肩を震わせる。少年は母親の手を握りながら、困ったようにアニタとグレゴリーを見た。いつもこうなんだ、と口の形が教えてくれる。少年は幼く、死を理解していなかった。

 アニタはとうとうがっくり膝をつくと、両手を床について黄色がかった木のステージの床以外を見ることが出来なくなった。震えはしなかった。震えるほど力は無い。逆に全ての力が抜け、気を抜いたら今にも倒れこんでしまいそうだった。

「なんで」

 口の中がカラカラで喉がひり付いていたけれど、アニタの言葉は小さな音となって外の世界に飛び出した。しかしこんな大騒音の中では無に等しい。親子には聞こえなかった。けれど背中を摩るグレゴリーの手は、確かに動きを止めたのだ。

「なんで私じゃないのよ……」

 今度はもっとハッキリした音になったが、やはり聞こえたのはグレゴリーだけだった。アニタはやおらその場に立ち上がると、何もない前方の天井を睨みつけた。そして心底の憎しみを込めた声で怒鳴った。

「神は救ってくれないじゃないか!」

 突然の大音声にホールの中はしんとなった。マイクを通してアニタの怒鳴り声は、悲痛な叫びとして彼らの心を打った。あんまりの大きさに眠っていたブルースはようやく飛び起き、この奇妙な光景を見て小首を傾げている。

 アニタはそれ以上どうする事もできなかった。倒れることも、罵ることも、泣くことも出来なかった。グレゴリーが背中を押してようやく歩き出すことが出来たのだ。

 アニタはグレゴリーに支えられるようにして静かにホールから出て行った。ブルースも慌てて二人の後についていく。外は悔しいほどに晴れていて、良い日だった。

 町中の人々はホールに集まっているので実に静かだ。グレゴリーは一瞬躊躇した後、そっとアニタの頭を硬い手で撫でた。柔らかい金色の髪の毛はとても触り心地が良い。彼にしてみればとても大胆な行動をしていた。

「……何にも、お前のせいじゃないんだぞ」

 ふとアニタは立ち止まり、グレゴリーのむこうずねを思い切り蹴飛ばしてやった。痛みに泣き叫ぶグレゴリーと、宙を舞って吹っ飛んでいくグレゴリーの脛を見て盛大に笑うブルースを一瞥し、アニタは「バカ」と捨て台詞を吐くと、さっさと歩いていってしまった。

 

 

 その一言で救われてしまうのが、非常に癪で仕方が無かったのだ。
 

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