ガールズ・フレンド
絶対に裏切らない一握りの物を友と呼ぶのよ。
太陽さんさん輝く日、こんなお天気を目の前にして外で遊ばないなんて子供じゃない。良い子悪い子皆揃って、広場や公園で大はしゃぎ。勿論アニタとブルースも子供らしく庭で野球に興じていた。ピッチャーブルース、振りかぶって投げた。バッターアニタの豪快なフルスイング！
「ぎょぼべへえええああああーっ！」
身も世も無い大絶叫と共にグレゴリーの頭は素晴らしいホームラン球となり、ブルースの部屋の窓ガラスを破って家に飛び込んでいった。大はしゃぎするブルースを横目に、アニタは正確な飛距離を見定めようとしていた。
「もううんざりだ！ 俺の体をおもちゃにするなと何度言ったら判る！」
家の中から頭だけでぴょんぴょん飛びながら帰ってきたグレゴリーは、眼窩にムカデを垂らしながら憤慨していた。駆け寄る体に拾い上げられてようやく元の姿に戻ることが出来た。
「野球のボールがないんだもの、この前ブルースが歯磨きに使って以来家出したから」
「野球のボールで歯磨きすると気持ち良いんだよ！ でもボール君はそれが気に入らなかったみたいで……」
「俺の知ったことか、ボールの代わりになるものなんていくらでもあるだろう。それに、野球をしなきゃならない訳でもあるまいに！」
「パパが男の子は野球をやれって言ったんだ」
「アニタは女の子だぞ、多分な。女の子はもっとままごとやぬいぐるみとお茶会を……」
アニタの眉がゆっくりと持ち上がり目つきがおっかなくなっていく。グレゴリーはうっと声を詰まらせて暫く無言の見つめあいをアニタとしていたが、やがて根負けしたように咳払いを一つした。
「まあ、人には好みがあるな……。とにかく！ 遊ぶなら他の事にしろ。俺の、体を、使わない遊びを！」
「……ところでグレゴリー、目からムカデが出てるわよ」
「知ってるとも！ ブルースの部屋にあるムカデの死体を集めてある箱にぶつかったんだ！」
「でもそれ生きてる奴だよー」
「あああああっ」
むっくり起き上がったムカデが縦横無尽に頭蓋骨を這い回るものだから、グレゴリーは情けない声をあげて顔を振りまくった。一段落ついてアニタはふうむと小さく唸る。腕組みをしながら見定めるようにグレゴリーを見上げた。
「何か面白いこと無いの？ どこかに連れてってよ」
「人間の世界の行楽地など知るものか。俺が知っているのは冥界と地獄。だが今はお前達を治すまで地獄の門の前までしか行けないし……まあ、冥界を初めとするお前らの世界でファンタジー映画の材料にされそうな世界くらいしか」
「決まった。冥界に行きましょう」
パチンと指を鳴らすアニタの横でブルースが嬉しそうに飛び跳ねている。グレゴリーは慌てて二人を止めようとしたのだが、でも、より先はアニタの一睨みでどこかへ逃げ出してしまった。
不服気に開いた右掌に光をまとって大鎌が出現すると、グレゴリーはそれを掴んでくるくると回しながら二人に下がるように言った。素直に子供達はグレゴリーの二歩後ろに下がり、事の成り行きを見守っている。あまりの期待にブルースの口からよだれが垂れていた。
「危険の無いところに限るぞ。まあ不死のお前達には危険もへったくれもないがな……」
鎌の先から飛び出した魔法でその場にぐるぐる渦巻く異世界への入り口が出来上がった。アニタとブルースはグレゴリーの後に続いて渦の中を進んでいく。と、すぐに出口が見えた。なんだか見覚えがある気がする大きな門だ。
厳つい対になっているガーゴイル像が唸って威嚇してくるので、ブルースはアニタの後ろに隠れてオロオロとしている。アニタはようやくここがどこなのか思い出し、顔をしかめて門を開いたグレゴリーを睨みつけた。
「ここ、前に来た冥界裁判所じゃない」
「その通り。職場見学だ」
意気揚々と裁判所に入っていくグレゴリーをよっぽど蹴っ飛ばしてやろうかと思ったが、一度しか来たことのない、しかも普通であれば死ぬまで来ることの出来ない場所と言うのは悔しいことに面白いものだった。
神々しいまでの後光を背負った美しい女性から、黄緑色の粘液を廊下に撒き散らしつつ這い回る大きなナマコまで種類は多種多様だ。一度ブルースが足を下ろそうとした所から猛烈な怒鳴り声があがって、下を見ると蟻が一匹憤慨した様子で歩いていくのが見えた。
「あそこから向こうが全部裁判をする部屋だ、前に行ったな。ここでは毎日およそニ万もの裁判が行われている。大体が天国に行くか地獄に行くかを決めるものだが、たまーに親権問題なんかもやる」
バタンと扉が開き、昆布のような髪の毛をした緑色の女が赤ん坊を抱いて飛び出してきた。金切り声で泣き喚き、赤ん坊をぎゅうぎゅうと抱きしめている。
「この子は私の子よ！ 誰にも渡さないんだからあああ！」
「おい、逃げたぞ、追え！ 追え！」
「ああ、なんで僕はあんな女と結婚してしまったんだ……！」
アニタとブルースがぽかんと遠ざかっていく人々を見ている横で、グレゴリーが全くと顔をしかめた。少し子供達には刺激が強すぎたかもしれない。二人の目の前で指を鳴らしてはっとさせると、アニタはふるふる顔を振った。
「でも一日に二万件じゃ足りないわよ。人はもっと死んでるのに」
「そう、だから待ってもらうんだ。何日か、何週間か……時々裁判所の手違いで何年も待つ場合がある。やあクロッグ、まだ番号は呼ばれないのか」
「今日こそはと思ってもう十八年じゃ、わしゃいつになったら成仏できるんじゃ」
ソファに座っていた老人は、黄ばんでボロボロになった整理券をグレゴリーに突き出し、力なく声を上げた。死んだ後十八年も毎日裁判所に通うなんて、そんな悲惨な運命はごめんだ。
三人はどこそこの部屋ではこんな作業が行われているだとか、あの得体の知れない生き物は何なんだだとかを話しながら廊下を移動した。けれどとある角を曲がろうとしたところでグレゴリーがうっと呻いた。
立ち止まったグレゴリーにぶつかった鼻をさすりながらブルースは首を傾げる。グレゴリーが見ているのは普通の廊下に見え……なかった。アニタの顔がどんどん引き攣っていく。なんておぞましい廊下なんだろう！
「ここは裁判所の中で一番恐ろしい部分……」
呻く様にグレゴリーが呟いた。ドアはパステル調の淡い色で統一され、掛けられたプレートは可愛らしい飾りとラメでキラキラ輝いている。漂ってくるカフェラテの香りと高い笑い声、極めつけはタバコ等の有害な空気を綺麗にしてくれる観葉植物だ。
「女子社員専用ブースだ」
グレゴリーの宣言にアニタの瞼がひくりと引き攣った。しかしその横でブルースが何の躊躇いも無く廊下に走りこみ、観葉植物の匂いをかぐ。グレゴリーの慌てた制止も聞かずに、植物の爽やかな香りにうっとりとしていた。
「よせ、ブルース、戻って来い！ どうなっても知らんぞ！」
「何がさ？ この葉っぱおじいちゃんみたいな匂いがするよー」
のんきなブルースの言葉が終わると同時に、大きな音を立てて廊下の扉が全て開き何人もの女性が顔を覗かせた。色んな種族の女性だが、皆メイクは一緒で髪の巻き方も一緒だ。
彼女達の目は観葉植物の葉を千切って噛むブルースを見つけると釣りあがり、誰かが耳を劈くような大音量で笛を吹き鳴らした。
「男が侵入！ 排除してーっ！」
わっと飛び出したたくさんの女性に取り囲まれたブルース。後はアニタとグレゴリーの元に恐ろしい音と叫び声が届いてくるばかりだ。叫び声といっても、女のヒステリックなそれの方がブルースの痛々しい声よりうんと多いのだが。
「ブルース！ 今助けてやる！」
同じ男として居たたまれなくなったのかグレゴリーは勇猛果敢に袋叩きの中に飛び込んでいった。が、すぐに恐ろしい音が大きくなって叫び声が増えただけだった。
やがてボロボロになったブルースとグレゴリーがアニタのところまで放り投げられ、二人は虫の息。冷めた表情のアニタが廊下に視線をやると、勝ち誇った顔をした女性達は目を丸くした。
「ぁら、女の子がぃるわ」
「こっちにおいでょ☆」
「男はまぢぁりぇなぃけど、女の子は歓迎ワラ」
アニタが何か言うより早く、いくつも伸びてきた腕が小さい体を掴んで連行していった。鼓膜が破裂しそうな黄色い声がやんややんやと降って来る。
女性職員軍団に連れられ、部屋の一つに入ったアニタは更に恐ろしいものを目にした。ベーグルの乗った皿、可愛らしいオフィス小物、ブランド物のバッグ……女の楽園だ。アニタの顔色が緑になったのも気づかず女性達はめいめい、手に色々な物を持ってやってきた。
「やーんっ、髪ちょーキレィなんですヶど（笑）」
「化粧しがぃのぁる顔してなぃ？」
「マスカラは必要なさそーだけどー、アイシャドーぃれとくー？」
「ぁたしファンデ塗ったげるねーワラ」
「じゃぁー、リズは髪の毛やるぅー」
「ぁたしもやりたぃ！ 半分こしよぅ（笑）」
「じゃぁぉ団子にしちゃいまふ！」
「ぇー、この子なら普通にツインテの方が良くなーぃ？」
「ダメダメ！ ミランダのセンスまぢ半端ナィからワラワラ」
「ちょー！ 酷ぃし！（笑）」
「てゆーか、てゆーか、この子このネックレス似合ぃそぅー」
「ここはこの指輪で決めるベキでしょー。上がピンクだから、この小さめのダイヤの指輪♪」
「なにそれなにそれ！ いつ買ったの？！」
「この間自分ぇのご褒美に買ったんだあ……ティファニーだょ」
「ティファニー！！」
吐き気にも増してアニタは頭がくらくらしてきた。何なんだこの言葉は。これは本当に人間の言葉なのか。こんなにも神経を逆なでする不愉快な言語があっただなんて。うっとりブランドの名前を連呼する生物を見上げアニタは閉口した。
いくら頭がグラグラになろうがこの恐ろしい地獄から抜け出さなければならない。男二人は役に立ちそうもないので、自分で解決するより他はなさそうだ。早いとこ脱出しなければ、怒りと吐き気とストレスばかりが積み重なっていくだけだ。
「ダイァモンドわ、女の子の親友だもんねワラ」
「てゆーかさあアタシ的に、ちょごめん、主観押しつけて悪ぃんだけど、スカート穿かせたぃみたいな（笑）」
「わかる、まぢまわかる！（笑）」
「上ピンクだし、ここはパキっと黒でキメるべきっしょ」
「裾にレースがちょっとっぃたゃっ！」
「甘辛コーデ！（笑）」
「ちょっとアンタ達、いい加減離しなさいよ……」
「そんなスカァトぁたしも欲しかったんだけどー、なんか、迷っちゃってー」
「頑張った自分へのご褒美に買っとけ買っとけ☆（笑）」
「……聞いてるの？ 私帰りたいんだけど」
「やっぱ働ぃとかなぃとだめだよねー」
「ワーキングビューティー（笑）」
「新しぃデニム買ぃたぃしー（笑）」
「ちょっと、聞きなさいよ」
「ランチ良ぃもの食べたぃしねー（笑）」
「ねえ」
「ふわもてカール（笑）」
「春色コスメ（笑）」
「小悪魔メイク（笑）」
「岩盤浴（笑）」
「愛されワンピ（笑）」
「スイーツ（笑）」
「いい加減にしなさいよ！」
アニタの叫び声は雷鳴の様に轟き、あれだけぴーちくぱーちく煩かった部屋の中を一瞬でい静かにした。歯をむき出し目を吊り上げる、珍しく怒り心頭の様子にブルースとグレゴリーなら逃げ出すだろうがこの女性達はそこまで賢くは無かった。
「アンタ達がぎゃーぎゃー喚くから地の文がどんどん無くなって、馬鹿な中学生が書く小説みたいになっちゃったじゃないの！ アンタ達、馬鹿の一つ覚えみたいに無意味な小文字を使わないで！ そこのアンタ！語尾を一々あげない！ そこ、台詞にワラとか（笑）とかつけるな！ ☆も♪も不愉快よ！」
「はぁ？！ まぢぃみわかんなぃし！」
「何この子お、ちょーＫＹじゃね？」
「黙れ！ 喋るな！ これ以上喋ったら子供向けのお話で放送できない様な禁止用語を使って罵ってやるんだから覚悟しなさい！」
「なんでぁたし達そんな事ゆわれなぃとぃけなぃ訳！」
「まぢさいぁく！ 子供だと思って優しくしてりゃあ！」
「まぢ死ねよ！」
「……死ですって？」
今まで出したことの無い程、アニタの口から低い声が出た。部屋の中は一気に暗くなり、余りに鋭い少女の眼光に皆がはっとなって怯えだす。それでも「こ～わ～い～」なんて言えるんだから、馬鹿でも凄い物だ。
「殺す勇気もないくせに」
彼女達が今更怯えたところで、それはもう手遅れだった。アニタは吐き捨てるようにそういうとぱっとデスクの上に飛び乗り、ペン立てからカッターナイフをひったくって一気に刃を出した。可愛らしい叫び声がアニタのイライラを一気に最高地点まで押し上げた。
「死が何かも知らず、軽々しく死ねなんて二度と言うな愚か者め！ そんなに死が見たいなら見せてやる！」
そこから先は、今まで見たどんなスプラッタ映画よりも恐ろしい光景が広がった。六歳の少女が自分の手首を掻っ捌き、大量の赤い雨を噴出させる。部屋は、女性達は、見る見る真っ赤に染まり先ほどの可愛い悲鳴も忘れて身も世も無い雄たけびを上げて右往左往しだした。
今度はアニタは首筋をスカッと切り裂き、二回目の大噴出をお見舞いした。いよいよ部屋の中は阿鼻叫喚の地獄絵図で、筆舌し難い絶叫を上げながら逃げ惑う女性達は、めいめい狂ったような顔で泣いたり戸惑ったり怒ったり笑ったりしていた。
騒ぎを聞きつけたブルースとグレゴリーは決死の覚悟で部屋の扉を打ち破り中に突入してきたが、まさかの展開にドアを蹴破った勢いもどこへやらポカンと口を開けて立ち止まってしまった。アニタが我慢出来ないのは判っていたが、よもやこんな真っ赤な展開になっていようとは。
「鎌をよこしなさい」
「あ、ああ、だが、しかし……うぼおおぶ」
アニタが大鎌をひったくって踵を返した拍子に噴出す血にグレゴリーは襲われた。鉄臭い真っ赤な液体を滴らせて顔をしかめる横で、ブルースときたらパニックに乗じて走り回っている。
ブルースがアニタの横を通り過ぎる瞬間、ズバンっと勢い良くその首を刎ねた。高々と舞うブルースの首、吹き出す血しぶき、自らを傷つけて部屋中に血を撒き散らす女の子、血まみれの骸骨死神、更にアニタは鎌を振り回し、魔法を乱射して部屋中を破壊して回っている……。
女性達は一瞬静寂を取り戻したかと思うと、一斉に失神して倒れてしまった。まだ暴れたり無いアニタが部屋をめちゃめちゃにしているのを呆れて眺めながら、グレゴリーは転がってきたブルースの首をあっちこっちへぶつかりながら走っている胴体にくっつけてやった。
「女は怖いな……」
感慨深げな一言にブルースは小首を傾げたが、すぐにアニタの破壊活動に加わった。アニタがヒステリーに任せて女子社員達を皆殺しにしないだけ分別が有るというものだ。元よりあの少女は特に生死に関してはきちんとした考え持っているから安心できる。
「トイレで顔を洗ってくる。気が済んだら教えてくれ」
「ええ、了、解」
観葉植物を焼き払うアニタにため息を一つ、書類を破きまくっているブルースに首をふりふりグレゴリーは血だらけの自分を綺麗にしようと部屋を出て行った。
「それで。これでお前達も身に染みたろう」
家に帰った一行は、暴れたせいで乾いた喉をオレンジジュースで癒していた。といっても何も言われずとも冷蔵庫からパックを取り出し、コップを三つ持ってくるのはすっかり下僕が板につきはじめたグレゴリーの仕事だ。
「下手に出かけるとロクな事が無いんだ」
コップとジュースを机に置いて、言い聞かせるように子供達を見下ろす。しかし二人はグレゴリーが望んだ程懲りてはおらず、と言うより全くなんの感慨も無いようだ。
「僕は楽しかったけどな。部屋破壊ゲーム！」
「私が身に染みた事と言えば、女の醜さと愚かさぐらいよ。馬の合わない馬鹿と居ると絶望しか感じない」
勝手にジュースを注いで一口に飲み干す。特に暴れまわったアニタは喉がカラカラだった。ブルースが手を使わず口だけで飲んでいるのとアニタの冷めた顔を見てグレゴリーは額を手で叩き首を振った。何を言ってもこの子供達には無駄だ。
「でもそうね、一つだけ彼女達に同意する事があるわ」
自分のジュースをちびりと飲んだグレゴリーが、思いがけないアニタの言葉に片目を細める。アニタは右手をひょいと持ち上げて、その指にはまったキラキラ輝くダイヤの指輪を見下ろした。
「ダイアモンドは女の子の親友、そう思わない？」
「お前、それは……！」
横目で見られたグレゴリーは無表情なくせにどこか勝ち誇った顔をしたアニタに何かを言いかけたが、少女の青い瞳が煌くダイアモンドを反射しているのがわかるとそれきり何も言わず、誤魔化すようにジュースを飲み干した。