top of page

2:Farewell, friend.

「おい、ノエル」
「ああ、おはよう、アレックス」

 ぶっきらぼうに声をかけながらキッチンにやってきたアレックスは、珍しく革のカバンを手にしていた。白衣にそのカバンのコーディネートでは、ともすると往診に向かうドクターのようにも見えるのだが、もしこんなに人相の悪いドクターが玄関先に立っていたなら患者の具合はますます悪くなることだろう。ノエルは考えただけで思わずニヤリと笑ってしまい、バレないように必要以上に下を向いてオートミールの入った皿に牛乳を流し込んだ。

「お前、今日は暇か?」
「今日は学校だよ、平日なんだから」
「そうか。俺は今から出かける、学校を休んでついて来たきゃ来ても良いぞ」
「なに、どこに連れてく気?」

 アレックスの非凡な才能が原因で様々な仕事に巻き込まれるのはよくある事だ。勿論、それが非常に貴重な体験である事は間違いないのだが、全てが済んだ後でその経験につけられる名は”なんたら事件”である。直近で言えば”AIスポーツカー暴走事件”と命名された出来事があり、結果だけ言えばノエルは三度車に轢き殺された。だからこんな風に誘われるとノエルが身構えてしまうのは当然の事なのである。

 アレックスは警戒するノエルを気にせずさっさと玄関の扉を開けた。途端、家の中に耳を聾さんばかりの轟音と突風が雪崩れ込んできて、ノエルは飛び上がった。明るい朝の陽ざしの中、家の前の道路には見間違いではなくヘリコプターが鎮座している。それも、いつでも離陸できるようにプロペラはフル回転で、黒のスーツ姿の男がその中に控えているヘリコプターだ。ああ、いつものホームレスが風圧に負けて吹き飛ばされている……。

 ぽかんとしているノエルを振り返り、アレックスはコンビニにでも向かうような調子で話を続けた。

「エリア51だ、一緒に来るか?」

 事もなげに言い放つアレックスに、ノエルは呆然と目の前の光景を見る事しか出来ない。その時、少年の頭の中には二つの心配がよぎった。一つは、ご近所さんに謝らないといけないだろうかと言う事。もう一つは、ヘリの中にオートミールを持ち込んだら怒られるだろうかと言う事だった。

 


 二人を乗せたヘリコプターは砂漠地帯をぐんぐん進み、やがていかにも軍事施設っぽい建物の前に着陸した。至る所に武装した兵士が立っており、プレーリードッグ一匹侵入させまいとサングラスの奥から眼光鋭く睨みつけている。ノエルは生まれてはじめてディズニーランドにやって来た子供のように目を輝かせ、辺りを見回していた。

「ワオ、すごいや、ここがあのエリア51なの?」
「こら、携帯をしまえ。写真なんか撮ったら撃ち殺されても文句は言えんぞ」
「おい、何してる!」

 ノエルがポケットからスマートフォンを取り出すと、建物の奥からスーツを着た男が、同じくスーツを着た男を五人も引き連れて現れた。彼らを見た途端、ノエルは驚きのあまり口を開けて固まってしまった。先頭を切ってこちらに大股で近づいてくるその男こそ、誰あろう時のアメリカ合衆国大統領その人ではないか。

「ヴァレンタイン、なんだこの子供は! なんで子供なんか連れてきた、ここがどこだか分かってるのか!?」

 大統領は大口を開けたノエルの間抜け面を指さし、アレックスを睨みつけた。アレックスは腕を組み、目の前の男を毛ほども気にしていない態度で答える。

「こいつは俺の助手だ、仕事に必要だから連れてきた。一人で来いとは言われてないぞ」
「助手だと!? 社会科見学に来た小学生の間違いだろう!」

 ノエルはぱちんと口を閉じて眉根を寄せた。

「僕、16です」
「選挙権のない奴にごまをする気はない。いいか、そのスマホを弄ってるのを見つけたら警告なしで射殺するからな、坊主」
「こいつはイランじゃないんだぞ、そう脅すな。まったく、大統領のくせにわざわざこんなところに来て、暇なのか?」
「大統領だからこそ来たんだ、国家の危機にその場に居なくて何が大統領なものか」

 国家の危機! 都市伝説の地に足を踏み入れて浮かれていたノエルは、その単語を聞くとさっと顔色を変えた。そうだ、何も遊びにきている訳ではない。アレックスは最も頭の良い人間で、アメリカのトップが名指しでこの特別な施設に招いたのだ。国家の危機であってしかるべきではないか。

 アレックスはいつも通りのしかめ面で気のない様子だったが、ノエルはいそいそとスマートフォンをポケットにしまって気を引き締めた。一体何を見せられるのだろう、極秘に開発していた新兵器が暴走したとか、他国から未知の脅威が迫っているとか、もしかして本当に宇宙人でも攻めてきたのではなかろうか。でなければエリア51なんかに呼ばれるはずがない。

 なにやら怪しいものがごまんと並んだ倉庫を横切り(荷物の多くに”機密”の印字がされていた)、研究所のような施設に一行が足を踏み入れると、アレックスが真っ先に唸った。

「まったく、何もかもハリウッド映画みたいにしないと気が済まないのか」

 彼の言う通り、壁も床も天井も白で統一され、白衣姿の人間が歩いている様はさながらSF映画のセットにでも迷い込んだようだった。あまりにもリアルに作りこまれている現実は往々にして偽物にしか見えないものなのである。大統領は何も言わずふんとだけ鼻を鳴らしたが、彼がこの巨額の税金を投じた映画のような現実を心底気に入ってるのがノエルには分かった。その感情はほとんど優越感であった。

 やがて一行は施設の一番奥までやってくると、ある扉の前で立ち止まった。真っ白な扉には真っ白なプレートがついていて、たった一文字”G”とだけ記されている。大領領がカードキーをキーパッドにかざすと、やっぱりSFっぽい音がしてキーの承認を知らせ、自動的に扉がスライドして開かれた。

 ”彼”……恐らくだが……は、質素な室内で哲学書を静かに読んでいた。ここでもやはり、そのリアルすぎる現実感が全てを偽物たらしめており、ノエルは最初、何かの大掛かりなドッキリに巻き込まれたのだと思った。部屋で本を読んでいるのが、白い服を着たグレイ型エイリアンなのだから、これをすぐに受け入れろと言う方が無理な話ではないか。

 しかし、この完璧なおぜん立ての中で存在しているエイリアンは、中に人が入ってもいなければロボットの類でもない、まぎれもない本物なのだ。大人達は誰一人笑ったりせず、至極真面目に部屋の中に入っていく。アレックスが軽く手をあげた。

「回収物G47、久しぶりだな」

 グレイは顔をあげ、穏やかに微笑みながら立ち上がった。

「やあ、ヴァレンタインさん。それに、大統領、皆さんもおそろいで。私の部屋によくいらっしゃいました。そちらの少年は?」
「気にしなくていい。血液を採るからこっちへ来い」

 なんと紳士的なふるまいか。彼……声が低かった……は抵抗などまるでせず、一行の元へとやってきた。靴は履いておらず、灰色の三本指の偏平足がぺたぺたとリノリウムの床を叩く音は、この状況であまりにも間抜けに響く。アレックスはしゃがみ込み、床にバッグを置いて必要なものを引っ張り出そうと中を漁り始めた。

「こんにちは」

 その間に、グレイはほがらかにノエルに向けて挨拶をした。

「私は回収物G47、二十年前に捕獲された火星人です。貴方のお名前は?」
「ノ、ノエル・マクマナス、です……」
「ノエル。お会いできて光栄です、よろしくどうぞ」

 これまた灰色で三本指の手が差し出され、握手を求められる。くらくらするような状況にノエルは狼狽えながらも、とりあえず彼の手をとって握手をした。宇宙人と人間の握手なんて、B級のSFコメディ映画みたいだ。

 だが、呑気な事を言っていられるのもそこまでだった。二人が手を握り合った瞬間、顔をあげたアレックスが目を丸くして飛び上がった。

「その手を放せ!」
「え、えっ!?」

 アレックスは勢いよくノエルを引き寄せると、顔を強張らせてノエルに怒鳴りつけた。

「この大間抜け、素手でエイリアンに触るなんて! お前は宇宙エイズに感染したぞ!」
「う、う、う、宇宙エイズ!?」
「エイリアンとの素手での接触はご法度だと言っただろう!」
「い、言われてないよ! そもそもエイリアンが居る事さえ言われてない!」

 顔を真っ青にしてひっくり返った声で喚くノエル。それを聞いていたグレイは先ほどまでの柔和の表情を一変させると、邪悪で恐ろしい高笑いをはじめた。

「はははは、地球人は本当に馬鹿だな! アーハハハハハ!」

 ただ礼儀正しく握手に応じただけで宇宙エイズに感染するなんて、ノエルの死亡体質は宇宙規模でも働くらしい。やり場に困った手を中途半端な位置に挙げたまま、ノエルは半泣きでアレックスを見上げようとした。その時、少年はある事に気が付いた。グレイの笑い声が変化しはじめたのだ。

 最初はいかにも悪役っぽい笑い方だったのが、徐々に屈託なく明るさを増し、やがて子供のようにゲラゲラとした笑いに変貌した。途端、ノエルの頭上でアレックスが盛大に吹き出し、似たような大笑いを始めたではないか。ぽかんとしているノエルの前で彼らは親密そうに肩を組み、膝を叩いて大笑いした。

「だははは、ほんと、あんたら地球人は馬鹿だよな、絶対にひっかかる! あるわけないだろ、宇宙エイズなんて! どうしてこんな酷いジョークを信じるんだよ!」
「見ろよグレイ、あいつの顔! 去勢されて自分のタマがなくなった事に気づいた犬みたいな顔してるぞ!」
「ああ、ううん、流石に可哀そうだったな。子供をいじめたみたいで気分悪い……いや、やっぱ最高!」

 どうやらグレイ型エイリアンの名前はグレイらしい。いつもならその愚かしいまでの安直さを笑ってやるところだが、今はとてもそんな状況ではない。ノエルの横で大統領が呆れたはてた顔をして立っているのを見るに、これが初めてというわけではないようだ。

「なんなの、これ……?」
「世界一コストの高いジョークだ。最悪なのはかかった金の額じゃなく、犬のクソほども笑えないって事だな」

 大統領はうんざりした様子で言った。

「グレイは米国空軍が不時着したUFOから保護したエイリアンだ。母星のマルピリア星に帰れるよう共同でUFOの修理及び研究を続けているが、地球上のもので代用するのは難しくてな。もう十三年ここの客人だ」
「マルピリア星? 火星人じゃないの?」
「おいおい、ナショジオ見た事ないのか?」

 今度はグレイが小馬鹿にしたように口をはさんだ。ここまで記号的で簡素な顔であるのに、豊かに表情を作るのだからなんとも興味深い。

「あんな不毛の星、生き物が住めるわけないだろ! 月もそう。っつーか、なんか居たらとっくにNASAが見つけてるに決まってるだろ。探査機飛ばして、カメラに何も映らなかったら、そりゃ居ないんだよ!」
「勘弁してやってくれ、ノエルはエイリアンを見た事がないんだ」
「十三年もアメリカに住んでるのに、未だに”エイリアン(外国人)”扱いなんてほんと頭固いよな。おい大統領、俺にもそろそろ市民権くれよ。次の大統領選であんたに投票してやるからさ」
「寝言は寝て言え。もうおふざけは良いだろう、仕事にかかるぞ」

 大統領が先陣を切り、一行はその部屋の奥にある扉をくぐった。そこは先ほどの部屋からは想像できない程生活感に溢れた部屋で、例えるなら、ロサンゼルスののどかな住宅地に建つ一軒家の居心地の良いリビングのようだった。ノエルは室内を見渡してある事に気が付いた。大きなテレビの前には据え置きのゲーム機、ソファの上には携帯型ゲーム機、棚に無造作に置かれたコミック本に、床に放り出されているおもちゃ……ここには子供がいるのだ。

「ハニー、お客さんだよ」

 グレイが声をかけると、隣の部屋に通じる扉が開いて中から二人の人物が現れた。一人は四十代前半と思しき女性。もう一人は、彼女の後ろから不安そうに顔を覗かせる十歳にも達していないだろう子供。二人ともどう見ても、普通の人間である。

 女性はグレイと後ろにずらりと控えた人々を見ると急に目を吊り上げて、近くの椅子に置いてあったクッションを掴み、グレイに投げつけた。

「なんて奴なの、援軍を呼ぶなんて!」
「おい、待て、ヘザー、落ち着けって! 冷静に話をするためにこいつらを呼んだだけで……」
「話なんかしないわよ、もう終わったでしょ!」
「君が一方的に終わらせてるだけじゃないか、俺はどうなる!」
「誰が何と言おうと、私は離婚するって決めたのよ!」

 人間の女性とエイリアンの男性が離婚について揉めながら、物を投げつつ喚きあっている。部屋の隅で子供が悲しそうに立ち尽くしている。なんとも胸が苦しくなる光景だが、グレイがエイリアンである以上目に入って来る情報の突飛さが勝ってしまうのは致し方ない。悲劇と喜劇は紙一重とはまさにこの事だ。

 ノエルはアレックスの白衣の袖を引き、固い声で囁いた。

「……どういう事なの、これ」
「これが今回の仕事だ。グレイとヘザーの夫婦喧嘩を仲裁する」
「じゃあなに、僕らエイリアンと人間夫婦の離婚の危機を救えって、大統領から名指しで呼ばれてエリア51まで来たってこと?」
「学校を休む価値はあっただろ」

 グレイの登場まではまさに映画のようだったのに、いざ話が始まれば視聴率の悪い法律相談番組だ。ノエルは呆れ果てて視線をグレイとヘザーに戻し、その醜い争いを見ているうちに段々と眉根を寄せていった。その光景は、ノエルにとってあまりにも馴染み深い光景だった。子供の事なんてまるで透明人間のように扱って、ひたすら怒りのままに怒鳴りあう大人達……。

 部屋の隅で今にも泣きそうな顔をしている子供に目をやる。それは知らない子でもあり、ノエル自身でもあった。誰にも気にかけられず、ただ恐ろしいショーを見る事を強要される可哀そうな被害者。小さな両腕を抱きしめている様を見ると居たたまれなくなり、ノエルは喧嘩する両親の横をすり抜けてまっすぐ子供の元に歩いて行った。

「やあ」

 子供はいきなり声をかけてきたノエルに、大きく見開いた茶色の瞳を向けた。

「僕、ノエル。君は?」
「……ジェイミー」
「ジェイミー。あそこのゲーム君の? なんのゲームするのか見せてくれない?」

 ジェイミー少年の顔に困惑の色が広がったが、両親の喧嘩を見せつけられて悲しんでいるよりよっぽど良い。世間話を始めた子供達に気づいたグレイとヘザーははたと言い争いをやめた。そうしてようやく彼らの胸に、子供の前で怒鳴りあってしまった後悔が溢れだした。

「ジェイミー、いらっしゃい」

 バツが悪そうに夫から視線を外したヘザーは大股で息子に近づくと、その手を取って元の部屋に入っていってしまった。まあいい、とにかく夫婦喧嘩を止める事には成功した。ノエルは振り返り、大人達を軽く睨むように一瞥した後、肩をすくめてアレックスの隣に戻った。

「それで、作戦あるわけ?」
「離婚したがってるのは妻の方だ、お前は彼女と息子に近づいて、純粋無垢なガキっぽく何があったのか聞きだしてくれ。俺は拷問なしで誰かに真実を喋らせるのが苦手だ。お前は、ほら、得意だろう、相手の本心を聞き出すのが」

 そう言って、言葉の最後に意味深げにひょいと眉を持ち上げる。その顔を見た途端、ノエルはアレックスの魂胆に気づきはっと息を吸い込んだ。

「なんだよ、初めからそのつもりだったな! 来たきゃ来いなんて白々しい事言って!」
「お前が来ないなら他の方法を考えた。さっさと行って仕事をして来い、俺達は待ってる。よーし、コーヒー飲みたい奴は?」
「来いよアレックス、休憩室に案内してやる。税金で飲むコーヒーは格別だぞ」

 親し気に笑いあうアレックスとグレイを尻目に、ノエルは盛大なため息を吐いて隣の部屋へ向かう。他人のプライベートを覗き見るなんて良心が咎める事はしたくないのだが、残念ながらこれは仕事である。せめて意識を集中させずとも勝手に思考が流れ込んできてくれれば、不可抗力だと自分で自分を納得させることもできようが、こう言う時に限って上手くいかないのが世の常なのだ。

 なんにせよ、あのジェイミーを救う意味でもこの離婚劇をどうにか良い結末に導きたい気持ちに偽りはなかった。夫婦のなにがしかの恥部を覗き、その問題を取り除いて家庭円満に手を貸せるなら、アレックスの助手と言う立場がなかったとしても全力を尽くしたろう。ああせめて、グレイの灰色のペニスが小さすぎるなんて情報が流れ込んでこなきゃいいんだけど。

「あの、入りますよ」

 控えめにノックをして扉を開けると、そこは子供部屋であった。宇宙柄のカバーに覆われたベッドの上にジェイミーが座り、ヘザーは勉強机に据えられた椅子に座っている。驚いた事に、ジェイミーが見上げる先に人形が浮いていた。その人形はジェイミーの手の動きに合わせてあちこちスーパーヒーローのように飛び回っているではないか。

「ジェイミー、やめなさい」

 目を丸くしているノエルに気づいたヘザーは、冷たく子供にそう言った。ジェイミーはしぶしぶ人形を自分の手の中に戻し、もう遊ばせることもなく握りこんでいる。ノエルは親子を交互に見やった。

「すごいな、それって、やっぱりお父さんがエイリアンだから……?」
「ほうっておいてちょうだい、見世物じゃないわ」

 まるで取り付く島もない様子に一瞬たじろいだが、ノエルはしょんぼりしているジェイミーをちらりと見やると、少しだけ逡巡した後にとうとう胎を決め、床に転がっている違う人形に視線を定めた。人形はノエルの意のままにふわりと浮き上がり、ジェイミーの頭上に飛んでいくと旋回を始める。ジェイミーはびっくりして声を上げ、ぱっと満面の笑みを浮かべた。

 ヘザーはぎょっとして、思わず椅子から立ち上がる。

「なんなの……!?」
「ご、ごめんなさい、見慣れてるから驚かないかなって。僕は百パーセントの地球人ですけど、なんていうか……こういう体質なんです」
「貴方、超能力者なの? それでここに隔離されてるの?」
「え、なに、違います! 僕はアレックスと一緒に来ただけで……」

 ふっとノエルの胸中に暗い雲が垂れ込めた。彼は思わず、ヘザーに縋るような視線を向ける。

「あの……超能力者って、ここに隔離されるんですか……?」
「時々、特別な人がここに閉じ込められる事があるわ。超能力が使えたり、宇宙人と結婚したりした人をね。まあ私は元々ここの職員だったから、あんまり変わらないけど……。私達はジェイミーが生まれてから八年、町に出た事はないし、貴方みたいに不思議な力を持った人が連れてこられたのを見た事もある。ここを出られたかは不明よ」
「こ、この部屋、監視カメラがあったりしますか?」
「いいえ、断固拒否してやったわ」

 良かった、軽率にパワーを見せてしまったが、これはここだけの秘密に出来そうだ。普段アレックスが口を酸っぱくして誰にも見せるなと言っているのに、子供を喜ばせる為とは言え迂闊だった。まさか、エイリアンと同じ扱いを受ける事になろうとは。

 ノエルは嫌な鼓動の仕方をする心臓を抑えつつ、気を取り直して人形をジェイミーに返すとその横に腰かけた。

「どうして出来るの?」

 途端、ジェイミーが無邪気に声をあげた。

「僕とパパしか出来ないって、ママが言ってたの」
「ママは正しいよ、普通は出来ないんだ。僕は、その、ええと……たまたま」
「へー。他になにできるの?」
「人の考えてる事が分かるよ。頭の中で会話出来る」

 そこまで言って、ノエルは視線をヘザーへと向けた。視線が絡んだだけでまだ何も言っていなかったが、ヘザーはノエルがここにやって来た意味を悟ったようだ。途端に酷く悲し気な顔をした。

「だから、その、話して欲しいんです。本当の事」
「嘘は通用しないって事ね。とんだ秘密兵器を連れてきたもんだわ、是が非でも離婚させない気なのね。どうして大統領まで来る騒ぎになってるか分かる? 連中はね、グレイを大人しくここに監禁しておきたいのよ。私と別れたらここから逃げ出すかもしれない、私が彼をここに繋ぎ止める鎖になるって思ってる。生きたエイリアンとエイリアンと人間の間に生まれた子供と子供を生んだ母親のサンプルを手放したくないから躍起になってるのよ」
「それが嫌で、離婚したいんですか?」
「いいえ」

 ヘザーは憂いをたたえた瞳で愛しい我が子を一瞥した後、まっすぐに顔をノエルへと向けた。

「良いわ」

 僅かに声が震えている。

「覗いてちょうだい。遅かれ早かれ分かってしまう事だしね」

 ノエルは遠慮がちに彼女を見つめてから、ゆっくりと意識を集中させていった。悲しみ、怒り、悔しさ、愛しさ、後悔、恐怖、諦め、数々の感情の渦の中に包まれた彼女の思考はたったの一言だった。その事実はあまりにもシンプルかつ予想外であり、ノエルは一瞬何かの冗談かと思ったのだが、違う。これは本当の事なのだ。

「ああ、そんな……!」

 ノエルは掠れた声で呟いた。

 

 

 数分後、ノエルは意気消沈して部屋から出て辺りを見回した。今その場には大統領と男が三人しかおらず、残り二人はどうやら外の廊下で見張りに立っているようだ。アレックスとグレイの姿はない。

「それで?」

 ソファに座った大統領が、鷹揚に問うた。ノエルはのろのろ彼を見やる。

「夫婦喧嘩の原因はなんだった? 修復できそうか?」
「あの……多分、大丈夫だと思います。僕、その、グレイと話さないと……」
「彼ならヴァレンタインと休憩室に居る」
「でしょうね」

 ノエルが部屋から出ていこうとすると、大統領はすっと立ち上がり少年の前に立ちはだかった。この威圧的なオーラはなんだ。大統領と言う職業柄か、彼の人格から滲み出るものなのか。ノエルは先ほど自分がしたことがバレているのではないかと心配になり、思わず身構えた。

「君の介入は予定外だったが、ヴァレンタインよりよっぽど優秀に働いてくれたな。感謝する」
「いえ、国の為に働けるなら、光栄です……」
「どうやってヘザーから聞き出したんだ、彼女は頑固だ、これでだめなら拷問にかけようと思ってたよ」

 テレパシー能力でもって彼女の頭の中を覗きましたと言ったならどうなってしまうだろう。今にも大統領が指をパチンと鳴らし、二人の男がノエルに飛びかかってきそうだ。ノエルは唾を飲み込んで恐る恐る答えた。

「じゅ、純真無垢なガキっぽく聞いただけです」
「……そうか。情報を引き出す能力に長けているのなら、今からしっかり勉強してCIAに入ると良い、重宝されるぞ。……ところで」

 ところで。”ところで、さっきの手品はなんだ?”、”ところで、なんで目が赤い?”……いや、瞳の色は緑に戻っているはずだ。しっかり鏡で確認してから出てきた。なんだ、何が言いたいんだ。ノエルが思わず一歩後ずさると、大統領は目を細めて言った。

「ヴァレンタインとはどう言う関係だね」
「へ?」
「親族じゃないんだろう、友達と言うには年が離れすぎてるし、バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいなもんか?」
「ええと、なんて言うか……」
「まさかとは思うが、奴は君に……」
「えっ、そんな、ち、違いますよ、キスだってまだなのに!」
「はあ?」

 ひっくり返った大統領の声を聞いた途端、ノエルははっとして口をつぐんだ。今のは分かりやすすぎる失態だ。大統領が訝しげな顔でノエルを見下ろしている。しかし、ぱっとこの関係性を表す言葉が出てこず、ノエルは二、三度口をぱくぱくさせてしまった。アレックスとノエルの関係が何かなんて、ノエル自身が一番知りたいものだ。

「僕の家庭は少し複雑なんで、アレックスが面倒を見てくれてるんです!」

 ノエルは早口に言った。

「彼は善意で僕を助けてくれてるだけで、変な事はされてません。変な実験を手伝ったりはしますけど」
「血の繋がりもない見ず知らずの子供を助けるタイプの男とは思えんが……まあもし何かあったらすぐ奴を警察に突き出しなさい、私はロリコンは大嫌いでね」
「ご心配どうも……じゃあ僕、休憩室に行って話してきますから……」
「ああ、廊下を右に進んだら更に右だ。壁に案内がある。しかし、あんな破天荒な男に目を付けらるとは、君も災難だな」

 廊下に足を踏み出そうとしたノエルは、その言葉を聞くとほんの少し口端を持ち上げて大統領を振り返った。

「いえ、目を付けたのは僕の方です」
「なんだと?」

 ぽかんとしている大統領はそのままに、妙な優越感に胸を膨らませノエルは意気揚々と部屋から出て行った。

 大統領の言葉通りに真っ白な廊下を進んでいくと、すぐに休憩室と書かれた扉を見つける事が出来た。扉は完璧には閉まっておらず、隙間から香ばしいコーヒーの匂いが漂ってくる。

 そのまま室内に入って二人に声をかけようとした所で、ノエルはひたりと立ち止まった。二人の会話がコーヒーの匂いと一緒に廊下に流れてきているのだ。

「力になれなくて悪いな」

 グレイが言った。

「いいや、良いんだ」

 アレックスが返す。その声には、少し元気がなかった。

「確かに似たような能力だが、作用の仕方は根本的に違う。あの子は人間だろ、俺みたいなエイリアンのDNAと照らし合わせても、なんにもならんだろうよ」
「分かってはいたんだが、何か発見でも出来ないかと思ってな」
「なんの成果も得られないと分かりつつ、藁にも縋る思いで試さずにはいられないってか。天下のアレックス博士がここまで冷静さを欠くとは、お前、よっぽどあの子に惚れてるんだな」
「グレイ」
「隠すなよ、お前がこんな必死になるなんて普通じゃない。俺は嬉しいんだぜ、お前にもようやく人間らしい所が出来たんだから。ノエルは可愛いし、夢中になるのも分かるよ。まあ、ちょっとお前には若すぎるけど」

 自分の名前が飛び出した瞬間、ノエルの口から心臓も飛び出しそうになった。二人は自分の話をしている。しかも、陰口ではなく”そう言う”類の話をしているのだ。クラスメイトの女子が”コイバナ”をするように!

「勘違いするなグレイ、そんなんじゃない。お前も知ってるだろう、俺が愛だなんだを毛嫌いしてるのを!」
「でもノエルは別なんだろ?」
「別じゃない!」
「じゃあなんでこんな必死に超能力について調べるんだよ。あの子を普通にしてやりたいんだろ、その為ならなんでもするんだろ、それは完璧に愛じゃないか。俺だってヘザーが幸せになるなら、喜んで命を差し出す」
「離婚に直面してよく言う。だから俺は愛が嫌いなんだ、すぐそうやって壊れる」
「おい、俺達の愛は壊れてないぞ!」
「俺に言わせれば揺らいでる時点でもう終わりだよ。そんな脆いもんと一緒にしないでくれ」
「じゃあなんだってんだ、依存か? まさか子供を崇拝してるんじゃないだろうな。それとも同情か?」

 ずずっと無作法な音を立ててコーヒーを一口すすったアレックスは、一拍おいて力なく呟いた。

「……かもな」

 グレイが息をのむ。

「待て、マジかよ! いくら家庭環境が悪くて特殊な体質だからって……」
「不健全なのは百も承知だ。そもそも、まだ三歳だったノエルが俺のガレージにいきなり現れたのだって同情が原因なんだぞ。たまたま近くに居たあいつが俺の自己破滅的な考えをキャッチして、ガキなりに可哀そうに思って頭を撫でに来たんだ。分かるか、全ての始まりは同情なんだよ」
「じゃあお前、同情に命かけてるのか?」
「そうとは言わないが……」
「じゃあやっぱ愛してるんだよ!」
「えいクソ、マルピリア星人ってのはどうしてそう頭が悪いんだ! 愛なんてクソ食らえだ! この世には愛以上のものがあって、俺の抱えてるもんはそれだ! なんだなんて聞くなよ、名前はない! 何故ならこの関係は名前がつく程一般的じゃない、俺とノエルの間でしか成立しない関係だからだ!」
「……マジでゲイだな」
「性的指向なら、俺はストレートだぞ。デカパイ大好き」

 ここまでだ。ノエルは耐えきれなくなって、荒っぽく休憩室の扉を開けた。これ以上自分の話をされて、アレックスが愛してないと幾度も繰り返すのを聞いてなんていられない。アレックスとグレイは突然入ってきたノエルに驚き、目を見開いた。

「おい、ノックをしろ! ……今の話聞いてたか?」
「”デカパイ大好き”?」
「ああ、いや、なら良い」

 立ち聞きをしていたなんて素直に言えるはずもない。ノエルは普段通りを装って小首をかしげた後、視線をグレイに移した。

「それで、ヘザーから聞き出せたか?」

 エイリアンは首をすくめ、今にも殴られるのを覚悟しているような表情を浮かべている。一瞬にして自分の使命を思い出したノエルは、居心地悪そうに視線を泳がせると二の腕をさすりながら唸った。

「うん、一応……でも、なんて言ったらいいか。すごく難しい問題なんだ」
「俺のせいか? 俺の何かが不満なのか?」
「ううん、違う。貴方じゃなく彼女自身の問題。でもしょうがないんだ、貴方達を傷つけたくなくて、どうしても秘密にしておこうと……」
「秘密!?」

 突然グレイの肌が鳥肌のようにぷつぷつと粟立った。地球人なら顔色がさっと悪くなる場面だが、どうやらマルピリア星人はこれがショックを受けた時の反応であるらしい。彼はわなわな震えながら、三本指を握りこんだ。

「マルピリアでは秘密は殺しと同じ重罪だ、勿論ヘザーもそれは知ってる! 結婚する時、お互いに秘密は絶対になしだと誓ったのに、その誓いを破るなんて!」
「待ってよ、理由があって……!」
「浮気したんだろ!? 分かってる、コーディが怪しいと思ってたんだ! 元同僚だし、今でも奴はここで働いてる! 俺が検査されてる間、あのブタ野郎が俺の女房を検査してたんだろ!」
「は!? 違うよ、浮気なんてしてない! ちょっと待って!」

 グレイはノエルの言葉を皆まで聞かず休憩室から飛び出すと、なんとも奇妙なフォームで部屋まで走り出した。走り方を知らない赤ん坊のように、腕を振り回しぐにゃぐにゃと上半身をゆすりまくっている。ノエルとアレックスは慌ててその後を追いかけたが、リビングに二人が辿り着いた時、グレイは子供部屋に転がり込むところだった。リビングに居た大統領一行は何事かとアレックスに声をかけたのだが、彼は何も言わずにそのまま子供部屋の扉を閉めてしまった。

 一足先に到着していたグレイは、けれども肩で息をし心臓発作でも起きたようにカーペットの上にへたり込んでいた。ノエルが慌てて彼の顔を覗き込む。

「大丈夫!?」
「は、走った、こと、なんて、数える、程しか、なくて……!」
「え? この距離走っただけでバテたの?」
「この体、見ろよ! どこに、筋肉がある! 何のために、物を操る能力があると思ってんだ!」

 彼がふらふらと手を差し出すと、机の上にあったジェイミーのものと思しきリンゴジュースのパックが灰色の手の中に飛んできた。なるほど、このひょろひょろの体は見た目通りにヤワらしい。彼らの物体を動かす能力は必要不可欠なのだ。ノエルのそれとは訳が違う。

 グレイは息も絶え絶えにリンゴジュースを飲み干すとやっとのことで呼吸を落ち着け、空になったパックを放り出し、よたよたと立ち上がってヘザーに指を突き付けた。

「なんでコーディなんだ、あんなクソデブのどこが良い!?」
「は、何? ノエル、貴方この人に何言ったの?」
「違うんだよ、話を最後まで聞いてくれなくて……!」
「秘密があるんだろ! こいつはそう言った! 女房が旦那に秘密にする事は二つ、浮気か、旦那の金を使い切っちまったか、どっちかだ! テレビで見た! 俺は金を稼いでないから、残る選択肢は浮気しかない!」

 ヘザーは沈痛な顔をして深い深いため息を吐き出した。ノエルが自分の代わりに伝えてくれるのを願ったが、どうやら神はこの試練をクリアすべきはヘザー自身だと考えているらしい。

 彼女はベッドの上で縮こまっている可哀そうな息子を手招いた。ジェイミーは恐る恐る両親の顔を見ながらも素直に母親の元にやってくる。それから今度は夫を呼び寄せ、そろった二人の前で跪いた。ジェイミーは勿論、グレイも背丈はノエル程しかないのだ。これでようやく、目を合わせる事が出来る。

「お願い、悲しまないでね」

 そう呟いた後、ゆっくりと一度深呼吸をする。ヘザーは泣くのを堪えながら、やっとの思いで次の言葉を囁いた。

「私、宇宙エイズなの」

 時が止まったと錯覚するような、完璧な静寂がその場に訪れた。誰も何も言わず、動かず、呼吸の一つさえしない。それからややあって、グレイの口から笑ったのか呻いたのかよく分からない咳のような音が飛び出した。彼はアレックスを振り返り、一体何が起きているのか分からないという顔をしている。

「あー、ヘザー……」

 グレイが唾を飲み込みながら妻に視線を戻した。

「それは俺とアレックスがよく言う冗談だよ」
「いいえ、本当なの」
「でも、ないんだよ、宇宙エイズなんて病気は」
「あるのよ。ラボでこっそり調べたの。間違いない」

 巨大な真っ黒の瞳を皿のように丸々と見開いたまま、グレイが縋るようにノエルを見やった。アレックスも、まさかこんな事が現実に起こるはずもないだろうとノエルを見つめている。ノエルは俯いていた。

「……嘘じゃないよ。彼女は本当の事を言ってる」

 凍り付いた空気の中にヘザーのすすり泣きだけが弱々しく漂っている。ジェイミーは訳が分からないながら、母親の泣く姿を見て自分も泣き始めてしまった。ヘザーは縋りつくように息子を抱きしめた。

「ごめんなさい、言えなかったの……!」

 喘ぎ喘ぎ彼女は声を振り絞る。

「貴方が悪いんじゃないの、グレイ。どうか勘違いしないで。誰も悪くないのよ。ただ運が悪かっただけなの。貴方達に嫌われれば、貴方達はマルピリア星に帰ると思った。そうすれば、貴方達は傷つかなくて済む。だからどうにか別れようとしたんだけど、貴方はちっとも私を嫌いにならないし、ジェイミー……ああ、ジェイミーに酷い真似なんか、とてもできなくて……!」
「だから最近あんな態度だったのか……」
「他に方法がなかったのよ。私は早くに両親を亡くしてて、愛する人を失うのがどんなに辛い事か分かってるの。貴方達にあんな思いさせたくない……。でも、二人を遠ざけるのも、私が元気なふりをするのも、もう無理。ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……」

 不意にノエルは息をのみ、アレックスの袖を引いた。

「ねえ、アレックス。過去に戻って二人が……あの、なんて言うか、病気にかかる事をしないように、忠告するのは?」

 グレイは弾かれたように顔を上げ、アレックスを必死に見上げた。

「そうだ、その通りだ! そうすればヘザーは助かる!」
「ふざけた事言わないで!」

 声を荒げたのはヘザーだった。彼女はきつく息子を抱きしめ、子熊を守る母熊の剣幕で三人を睨みつけている。

「そんな事、考えるのだって許さないわよ!」

 怯えて母親を抱きしめる息子を見、グレイはそれ以上何も言わなかった。確かに、ヘザーの言う通りだ。一体どこの世界に、我が子の命を犠牲にして生きながらえる事をよしとする親が居るだろうか。

 しかし、ノエルはそうは思わなかった。彼の生きる世界には、この三人のように固い愛で結ばれた人々は多くない。それにもしノエルがジェイミーの立場なら、自分の消滅によって大切な母親が助かるなら喜んで生まれてこなかった事になろうと申し出る。ジェイミーに説明してどうするか問えば、彼もそう言うに違いないと、ノエルは思っていた。

 彼がジェイミーの意見を聞こうと口を開きかけると、アレックスが静かにそれを片手で制した。存外鋭い目つきで睨まれ、自分の考えがバレている事と、それが一般的によくない事だったのだと理解して、ノエルは大人しく引き下がる。自分が時々、一般常識とはズレた事をしでかしてしまうのは、彼自身も理解している事だった。

「ママ、死んじゃうの……?」

 すすり泣く間に、ジェイミーが震える声で問いかける。ヘザーは息を詰まらせ、言葉の代わりに涙を溢れさせた。母子の泣き声が満ちる部屋は重苦しい沈黙でみなぎり、全員の胸は張り裂けんばかりだ。

「……いいや」

 不意に沈黙を破ったのはグレイだった。彼は憑き物が落ちたように毅然とした顔をして、妻と息子の涙を優しく指で拭うと、はっきりした口調で言った。

「ママは死なせない。パパが何とかする」
「ほんと……!?」
「グレイ、やめて、そんな事言ったら……」
「君をマルピリアに連れて行く」

 予想外の言葉に驚き、ヘザーの涙は止まった。息子には希望の光が再び灯り、顔を輝かせている。

「その病気がどんなものか分からないが、少なくても地球よりマルピリアの方が医療技術が発達してる。どんな手を使っても、治療薬を作ってみせるよ」
「で、でも、あなた。地球が好きなんじゃないの? この星で死ぬんだって言ったじゃない」
「それは君が居るからさ! 誰が好き好んでこんなちっぽけで劣ってる野蛮な星なんかに、ああ失礼、君の母星だってのは分かってる。でも、俺からすれば、全ての家電を捨ててアマゾンに引っ越して、あらまあ自然が多くて素敵、なんて言ってるのと同じようなもんだ! 君の故郷はここだし、ジェイミーも見た目は地球人そっくり。だからここを自分の故郷にしようと思った。俺は地球が好きなんじゃない、君達二人を心から愛してるんだよ」

 感極まった吐息がヘザーの口からこぼれ、家族はきつく抱きあった。ノエルはいまいち納得いかなそうに、アレックスは若干の嫌気で目をぐるっと回して呆れた表情を浮かべ、それを眺めている。グレイは改めて妻に笑いかけると、頭をふりふり言った。

「全く、早く言ってくれれば良かったのに。地球人は本当に馬鹿だな」
「ごめんなさい……」
「良いんだよ、そこが可愛い」

 普通なら他人のキスなんて顔をしかめるところだが、エイリアンと人間のキスと言うのは妙にフィクションじみていてあまり嫌な気分にはらなかった。ぷっくりと膨らんだ赤いヘザーの唇と、灰色の卵に切り込みをいれたようなグレイの口が触れたのだ。もしかしたら唇があるのかもしれないが、人間のそれと比べて恐ろしく薄いせいでないのと変わらない。愛する夫婦のキスと言うより、少女がお気に入りのテディベアにキスするような無邪気さに見える。

 とは言え、友人であるアレックスは何かと言いたい事があるらしい。が、アレックスは目頭を押さえてどうにか暴言を飲み込んだ後、うっそり見つめあう二人に近づいていった。

「ハリウッド映画はもうたくさんだ。それで、どうするつもりだ」
「俺の宇宙船を取り返さないと。それに乗って逃げるぞ」
「でも、あれ故障中なんでしょう?」

 グレイは小さな歯を見せてにんまり笑った。

「とっくに直ってるに決まってるだろ。本当、地球人は馬鹿だよな!」

 

 


 扉を開けた先には、腕を組んだ大統領が全員を睨みつけて立っていた。なけなしの理性で部屋に乗り込んでくる事はしなかったものの、無視を決め込まれて待たされたのは癪に障ったようだ。

「それで?」

 グレイとヘザーは機械的に口を開いた。

「彼女が浮気した」
「そう、でも一回だけ」
「気の迷いで」
「出来心だったの」
「騒がせて悪かったな」
「ええ、ごめんなさい。ちょっと」
「ああ、彼女ちょっと」
「むしゃくしゃしてて」
「そう、むしゃくしゃ。でもほら、しょうがないだろ。あんただって奥さん居るんだし、意味わかるよな」
「でももう大丈夫、仲直りしたの」
「ああ、今までみたいに平和に暮らすぞ」
「その通り」
「このエリア51の中で」
「フルハウスみたいに」
「政府の監視下でめでたしめでたし」

 そして、にっこり。アレックスの頬が思わずひきつったが、幸いにもそれは大統領達には見られなかった。

 大統領は暫く無言でエイリアン家族を睨めつけていたが、やがてひょいと眉を持ち上げた。

「ま、大方そんなところだと思っていた。じゃあ今日の検査もいつも通りよろしく頼むよ。ヴァレンタイン、少年、ご苦労だった。外にヘリを待機させてあるからすぐに帰りたまえ。よし、我々も引き上げるぞ」

 こうもあっさり言われてしまうと、やはり公務をサボりたかったが為にわざわざここまでやって来たのではと疑いたくなるが、ここで余計な事を言って彼の滞在を長引かせるわけにはいかない。スーツ男の内一人がその場に残ると、彼はアレックスとノエルをサングラスの下から見やった。

「ヘリまでご案内します」 
「いいや結構、道なら分かる。あと五分だけ話をさせてくれないか、こんな時でもないと会えない友達なんだ」

 男は少し考えたそぶりを見せたが、五分なら問題ないと判断したのか、頷いて部屋から出て行った。後に残るは五人のみ。これで準備は整った。

 一家は素早く荷物をまとめると必要最低限のものだけを手にしてそうっと部屋から出て行った。廊下には勿論監視カメラが仕掛けられており、それをかいくぐる事は不可能。だからして、不信感を持たれない時間を長引かせるために、一行はおしゃべりに興じながら娯楽室か何かに足を向けているよう振舞いながら廊下を歩いた。

 人とすれ違う事があればいつも通り気楽に挨拶をする。正面切って堂々とエレベーターに乗り込む。まだ警報の類は鳴っていない。段々と談笑する笑顔が凍り付いてくる。話題ももう底をつくという時に、一行はようやく巨大な格納庫に到着した。そこには米軍の名だたる戦闘機と一緒に、絵にかいたようなUFOらしいUFOが一機鎮座している。やっぱり映画のセットみたいだとノエルは思った。本当に飛ぶのか、甚だ疑問だ。

 ここまで来たなら、後はもう監視カメラで妙な行動を見止められようと、宇宙船に走れば済む話だ。注意すべきは格納庫内に居る職員やパイロット達の方である。一行はグレイを先頭に物影に隠れ、ぐんぐんと奥に進んでいった。それほど物があふれているわけではないが、一つ一つが大きいため五人でも容易に隠れられるのはありがたい。

「良いか、ここからは見えないが、入り口は宇宙船の裏にある」

 戦闘機の陰に隠れて、グレイは全員にそう言った。彼にしてはなかなかに距離を歩いたせいで、若干の疲れが見えている。

「天井をぶち壊したら、追ってこられないよう一気に宇宙まで飛び出る、地球人にはちょっときついかもしれんが、吐いても怒らないから耐えてくれ。良いか? よし……行くぞ!」

 号令一下、全員は息を殺して戦闘機の後ろから飛び出した。そのまま一気に最後の直線を駆け抜けようとしたのだが、けれども彼らの足は二歩も行かずぴたりと止まってしまった。驚いた事に、武装して銃を構える男達と大統領が宇宙船と彼らの間に立ちはだかっているではないか。

「それで?」

 悠々と大統領が言った。ジェイミーは怯えて母親にしがみつき、急いでグレイが母子の前に身を乗り出す。アレックスとノエルは素早く辺りに視線をやって、何かしら打開策になるものはないかと探した。

「頼む、行かせてくれ」

 グレイがかすれた声で言う。

「ヘザーが病気なんだ。地球じゃ治せない」
「何故そう思う、試してみなきゃ分からないだろう」
「分かるさ、地球どころか宇宙で初めての症例だ」
「宇宙で初めて。それは貴重だな、他の国どころか他の星もまだ知らない病気とは。……彼女を検査室へ」
「何だと!」

 男の一人がヘザーに一歩近づこうとした時、アレックスが懐からミントのケースを取り出し、高々と掲げて見せた。

「動くな、こいつは爆弾だ!」

 大統領の表情が一気に変わった。彼は苦々しそうにアレックスを睨みつけながらも、思わず一歩後ずさる。

「フリスクと思いっきり書いてあるぞ!」
「爆弾をいかにも爆弾の外見で持ち歩く馬鹿が居るか!」
「爆弾を持ち歩いている時点でどうしようもない馬鹿野郎だろうが! ここで全員心中するつもりか?」
「いいや、そこのスピリットに放り投げようと思ってな。一機吹き飛ぶとどれくらいの金も一緒に吹き飛ぶかな、24億ってとこか? 両隣の馬鹿高い戦闘機も巻き込まれるだろうな。分かるか、ここには傷ついちゃ困るもんしかないんだよ! そんなに銃口を向けたところで、ここで発砲する気なんかないんだろ、このハッタリだらけの腰抜け野郎! そうやって脅し方が下手だから北朝鮮に舐められるんだ!」
「なんだと、このクソったれペドフィリア野郎!」

 まるで瞬間湯沸かし器のように沸騰した大統領は、目を血走らせ、口から唾を散らしながら、横の男が持っていた銃をむしり取り、アレックスに向けた。ノエルの悲鳴じみた声がアレックスを呼び、彼を突き飛ばすのと銃声は同時だった。

「そんな!」

 アレックスと大統領は同時に叫び、撃ち抜かれた頭から脈々と血を流して倒れるノエルの死体を見つめる。少年を大統領が撃ち殺したというショッキングな場面に、その場の全員は息をするのも忘れて固まっていたが、真っ先に我に返ったのはアレックスだった。幸か不幸か、ノエルの死体は飽きるほど見ているのだ。

 彼はポケットからスマホを引き抜きつつ素早く戦闘機の裏に転がり込むと、スマホに向かって一喝した。

「TT、アクティベート、現時刻より五分十二秒前!」

 スマホの画面が灯り、ぐにゃりと景色を歪ませるポータルが現れる。アレックスはそこに飛び込み、さっと辺りを見回した。五分十二秒前の格納庫は平和そのもので、誰もかれもが自分の仕事に集中している。しかし、宇宙船の横で大統領と男達が待機しているのが見えた。

 アレックスは身をかがめ、スマホで電話をかけはじめた。

「もしもし」
「なんだ」

 電話の向こうから自分と同じ声がする。

「五分後の俺だ。宇宙船の前に大統領と兵士が待ち構えてるから迂闊に出ていくな。ノエルが撃たれる」
「ああ、まったく!」

 それだけで電話を切ると、再びポータルの中に身を滑り込ませた。

 元の時間に帰ってくると、アレックスは辺りを見回して現状の把握に努めた。グレイ一家、そして生きているノエルが目の前におり、全員戦闘機の後ろに隠れたままだ。グレイが慎重に顔を覗かせて、大統領一行を確認しながら悪態をついていた。

「アレックス?」

 一瞬呆けた様子のアレックスにノエルが不思議そうに声をかける。アレックスはしげしげと無傷の少年を見た後、すぐに頭を振ってぎゅっと目をつぶった。

「なんでもない、大丈夫だ。グレイ、裏口とかないのか?」
「いいや、向こうにはない。アレックス、何か武器とかないのか。爆弾とか」
「爆弾を持ち歩く馬鹿が居るか」

 そう言ってアレックスは懐からミントのケースを取り出すと、一粒口に放り込んだ。そうとも、爆弾を持ち歩く馬鹿が居るものか。

「どうにかあいつらの気をそらせて、その間に飛び乗るしかない」
「じゃんけんで囮役を決めるか?」

 真顔で拳を突き出すアレックスの横で、はたとノエルがグレイを見つめた。

「ねえ、マルピリア星人って物が動かせるんだよね?」
「ああ、それが?」
「向こうにある荷物、僕らで動かして囮に出来ないかな」

 ノエルが指さした先には、いかにも重そうな機械や荷物の他にも、比較的小さく軽量に見える物や、段ボールに入った何か、木箱に入った何か等、色々なものが並んでいる。流石に武装した男達全員を吹き飛ばすのは不可能だが、これならなんとかなりそうだ。

 グレイは妙案だとばかりに笑顔を見せたが、アレックスは渋い顔をしてノエルの名前を呼んだ。あまりノエルの”厄介”な力を肯定するような使い方はしたくないのと、力のコントロールがうまくいくか心配なのだ。ノエルはそれが分かって一瞬バツの悪そうな顔をしたが、すぐにきゅっと口を一文字に結ぶときっぱりと言い放った。

「大丈夫、やれるから」

 もう少し時間があればアレックスはご自慢の脳みそを使って何か思いつく事も出来るのだろうが、あいにく今は時間がない。仕方なくアレックスはため息を了承の返事とし、二人に道を開けるために脇にずれた。

 グレイとノエルは並んで立ち、奥の荷物へと目を向けた。人間とエイリアンによる念力を用いた共同作業は史上初だが、この歴史的な瞬間を噛み締める暇もなく、二人は各々意識を集中させる。ピリリと肌を刺すような奇妙な空気がその場を包み込んだ。

 まず、奥に積んであった段ボール箱がいきなり三メールは飛び上がって、派手な音を立てながら落下した。同時に今度は機械に繋がれていたケーブルが火花を上げながら弾け飛び、調整していた技術者が悲鳴をあげてひっくり返る。すぐに大統領達はこの異変に気が付くと、大急ぎで騒ぎの所まで走り出した。

「今だ!」

 アレックスが二人の肩を叩く。最後に殊更派手にドタン、バタン、ガシャンと、目につくものをなぎ倒すと、彼らは可能な限り足音を殺して、可能な限り早く、宇宙船に向かって駆け抜けた。

 まず、ジェイミーが母親に押し上げられる形ではしごに上らされ、その後をヘザーが続いた。次にグレイがノエルを行かせ、彼は大急ぎで宇宙船の中によじ登った。宇宙船の中はこれまたやっぱり映画のセットのようないかにもな作りであったが、どれもしっかりしているように見える。とはいえ、運転席に座るのは、グレイよりカーク船長の方がしっくりきそうなものだが。

 ノエルがコックピットの窓から外を見下ろすと、グレイがはしごを上りかけ、そこにアレックスが続こうとしているところだった。いける、このまますぐにここから脱出できるはずだ。

「おい、待て!」

 しかし、エリア51からの脱出がそう易々と出来るはずもない。一人の男が彼らに気が付いてしまった。彼は訓練の成果をいかんなく発揮し、素早い動きでぱっと銃を構えると、その銃口をはしごを上ろうとしているアレックスにぴたりと定めたではないか。

 ノエルは突如腹の中で爆発した怒りにも似た激情に任せ、ガラスを叩きながら叫び声をあげた。

「やめろっ!」

 その瞬間、分厚いグローブをはめた男の手から拳銃が吹き飛んだ。それだけではない、格納庫にある様々なものがガタガタと揺れ出したではないか。そして信じられない事に、スピリットが……アメリカ空軍で一、二を争う高額のステルス戦略爆撃機B-2が……ゆっくりと回転しはじめ、そして全員が見ている目の前で浮き上がったのだ。

 剃刀のような形をした両翼からミシミシと嫌な音が聞こえる。機体全体が激しい痛みに悶えるように震えている。と、突然、肝をつぶすような恐ろしい破裂音が爆発し、スピリットの両翼が折れてしまった。いくら特殊な訓練を受けた者どもでも、これには対処のしようがない。大統領は二人の男に守られ、その場から急いで走り去っていった。

 アレックスが宇宙船の中に這いあがると、ノエルは窓際で目を真っ赤に光らせ人々を睨み下ろしていた。その先では巨大な戦闘機が浮かび、破壊され、パニック映画のように人々が逃げ惑う阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられている。眉一つ動かさずそれを見つめているノエルにアレックスは顔色を変えると、渾身の力で少年の小さな肩を引き寄せた。

「ノエル!」

 怒鳴りつける。しかしノエルの視線はこちらに向かない。アレックスは舌打ち一つ、ノエルの頬を平手打ちした。すると外からスピリットが地面に激突する凄い音が聞こえ、同時にノエルがはっとした顔になった。彼はアレックスに何か言おうとしたのだが、戦闘機同様急に力を失ったようにばったりと床に倒れ込んでしまった。

「おい、ノエル!?」
「アレックス、駄目だ、もう行くぞ! とにかく坊やと一緒に座ってくれ!」

 ノエルは顔色が真っ白で珠のような汗を浮かべていたが、呼吸は途切れていなかった。急いでノエルを抱えながら席の一つに座りベルトを締めると、同時に彼は宇宙船のエンジンをかけ、鮮やかな手さばきで諸々の動力を全て作動させ一気に機体を浮上させた。

 まず、天井をぶち破る衝撃で腹の中をシェイクされ、勢いをどんどん増しながら上昇していく加速の速さにシェイクを吐き出しそうになってしまった。何度か宇宙船に発砲されたのだろう弾が当たった音がしたが、それもすぐに無くなり、後はごうごうと耳の中で渦巻くような耳鳴りがしている。

 そうして突然、何の前触れもなくそれが終った。ようやく地球人達は呼吸を思い出し、水から逃れた人のように激しく呼吸を再開させる。彼らがふらふらしながら顔を上げると、そこには真っ暗な空間に青く輝く地球が浮かんでいた。冗談のような景色だった。

「ここまでくれば追ってこれないだろう」

 グレイはけろりとそう言い、全員を振り返った。ヘザーがほうほうのていで立ち上がって息子のベルトを外すと、彼もまた父親と同じようにけろりとした様子で歩き出した。どうやら地球人に似ているのは外見だけらしい。アレックスもどうにかベルトを外すと、改めてノエルを床におろした。

「ノエル、大丈夫か、ノエル!」
「う……あ……」

 消え入りそうな声で返事らしいものをするが、ぐったりした体はぴくりとも動かない。どうしたものかと唇を噛んでいると、ジェイミーが倒れ込んでいるノエルの元までやってきて、無造作に人差し指で冷えた頬をつついた。

 するとどうだろう、突然ノエルの顔色は戻り、彼は大きく息を吸いこみながら飛び起きたではないか。何度か咳き込んだが特に異常は見られず、両手でパタパタと自分の体をまさぐりながらノエルはジェイミーを見つめた。

「ワオ……い、今の何?」
「これ、できないの? 他の人に元気あげるの。パパも出来るよ」

 ノエルは心底羨ましそうに肩を落とした。

「ああ、僕もそれ出来たら良いのに!」
「ノエル、大丈夫なのか?」

 アレックスはまだ疑うようにノエルのあちこちを眺めている。ノエルは頷いた。

「うん、ごめん、気絶しそうな程疲れたんだ。あんなに大きなもの動かしたの初めてで……」

 そこまで言うと、せっかく色の戻った顔を再び青くして、ノエルはアレックスの白衣にしがみついた。

「僕、戦闘機壊しちゃったよね!? 逮捕されるの!? 死刑にされる!?」

 先ほど恐ろしい災害を起こしていた少年とは似ても似つかない情けない顔を見下ろし、アレックスはノエルの瞳が緑色に戻っている事を確認すると、安堵のため息を吐き出しながら小さく笑った。

「いいや。詳細は省くが、奴らは俺を逮捕することは出来ない。だから、お前も大丈夫だ」
「ほ、ほ、本当に? あんなとんでもない事しでかしちゃったんだよ?」
「心配するな、俺はもっととんでもない事を九回はやらかしてる。それより窓の外を見てみろ、本物の宇宙だぞ。お前、初めてだろ」

 ノエルは立ち上がり、言われるままに窓の外を眺めてみた。目の前で青白く輝く地球は確かに美しいが、その周りには果てしない漆黒が無限に広がっている。少し後ろを振り返れば、月や他の星も僅かに見えるが、なんだか黒いカーテンにぽつぽつと開いている虫食いのように見えた。

「……なんか、怖いね」

 思わずそう呟くと、グレイが陽気にノエルの肩を叩いた。

「さ、宇宙見学はもういいだろ。そろそろ家まで送るぜ。座ってくれ」

 こうして、ノエルとアレックスは宇宙船で帰路へとついた。地球上のどの飛行機よりも早く宇宙船は飛び、アレックスの家の前の道路にゆっくりと着地する。朝にはヘリコプターが、夕方にはUFOが着陸するなんて、ご近所もいい迷惑だろう。 

「じゃあな、アレックス。お前と友達になれて楽しかったよ。地球も悪い所じゃなかった」

 数年にわたり異種間での友情を育んだ二人は最後に背中を叩きながら抱擁した。身長差があるのでアレックスが膝をついてのハグだが、大人の男同士のハグだ。

「ああ。故郷に戻っても家族みんなで達者でな。もしマルピリア星の近くを通ったら、寄らせてもらうよ。何かあれば宇宙電話で連絡してくれ」
「そっちこそ、何か力になれる事があればいつでも言ってくれ」

 ノエルとアレックスは宇宙船から降り、ゆっくりとはしごが収納されるのを見守った。最後に扉が閉まる段になると、ひょいとグレイが顔を出し、ノエルの名前を呼んだ。

「なあ。アレックスの事、よろしく頼むぜ。あんたら、お似合いだよ!」

 僅かにノエルの頬に赤みが差し、隣でアレックスが中指を立てる。グレイはあの屈託ない笑い声をあげながら引っ込むと、一家揃ってコックピットから窓越しに手をふり、音もなく宇宙船は赤く染まる空の中へと吸い込まれて行ってしまった。

 二人は、先ほどまでの大冒険が嘘のように平凡な住宅街で立ったまま、しばらく空を見上げていた。もうエイリアンもUFOもエリア51もない。二人の胸にあるのは、友の窮地に手を貸せた達成感だけだ。

 アレックスは不意に大きく息を吐き出すと目をつむった。そして目を開けた途端、胸いっぱいに息を吸い込んだ。

「見せもんじゃないぞ、とっとと失せやがれ!」

 UFOの登場で集まっていた近所の野次馬に怒鳴り散らすアレックスを見ながら、ノエルは呆れてため息を吐いた。このアレックス博士の隣に居ては、某映画の少年のように宇宙人を助けた清々しい感動に浸っていられる時間などあるわけがないのだった。

 

 

 

「大統領、こちらです」

 大統領はモニタールームに足を踏み入れると、目を細めて画面を見つめた。今日の大騒ぎの一部始終が録画されたその映像は恥ずべきものであるが、わざわざ確認せずとも犯人など分かり切っている。そして、犯人が分かっていたところで、捕まえる事はできないのだから、確認等なんの意味もないのだ。

「何を見せたいと言うんだ」
「これをご覧ください。この少年です」

 椅子に座っていた男がキーボードを叩くと、宇宙船の窓際に立っている少年を映した映像が流れた。彼は怯え、焦り、窓にかじりついている。

「これがなんだ?」
「良いですか、もう少し、もう少し……ここ!」

 映像が一時停止された。大統領は腰を折り、画面に近づく。

「見てください、少年の瞳が赤くなっているんです!」
「だからなんだ。光の加減か何かだろう」
「違います、本当に瞳の色が緑から赤に変わったんです」
「それが一体なんだと言うんだね」

 男は椅子ごと振り返り、立ち上がって大統領と目を合わせた。

「大統領、かつて世界一の超能力者をここでしばらく……その、”保護”していたのは覚えていらっしゃいますか? 彼女も超能力を使う時、瞳の色が茶色から赤に変わっていたんです」

 大統領の顔が強張った。彼はまた画面を見やり、僅かに首を振る。

「そんな……しかし……」
「我々は当初、スピリットを破壊したのはグレイの能力だと思っていました。しかし、彼が今まであんなものを動かせた試しはありません。いいえ、彼どころか、世界一と言われた超能力者でさえ、一メートルの岩を浮かすのがやっとでした。もし、スピリットを破壊したのがグレイではなく、この少年だとしたら……」
「馬鹿な、こんな小さな子供が……!」
「大統領!」

 その時、部屋の中に一人の男が男が飛び込んできた。彼の手には、スーツ姿には似ても似つかないスプーンが入った白い皿が収まっている。

「ヘリにこれが残っていました」
「それはなんだ?」
「今朝、あの少年がここに来る時に食べていたオートミールが入っていた皿です」

 大統領は小さく息をのみ、それから目を細めた。

「……研究所にまわせ。スプーンに付着したDNAを採取するんだ」
「かしこまりました。少年はどうしますか。ヴァレンタインと違って、逮捕することも可能ですが」
「いいや、良い。暫く泳がせておけ……まだその時じゃない」

 画面には真っ赤に燃える瞳を煌めかせるノエル・マクマナスの映像。大統領は青白い画面の光を顔に浴びながら、ワニのようにゆっくりとその瞳を細めた。

bottom of page