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ブラック家の引っ越し

 

 確かに墓場は大変な事になっていた。今では解放されたゴーストはステージ前に全員集まり、オッドフィッシュに注目している。オッドフィッシュがステージの中央で指を鳴らすと、懐かしいイントロが流れてきた。

「ロックと言えばオレのお気に入り、ボン・ジョヴィのイッツ・マイ・ライフ!」

 ゴーストたちは興奮して歓声を上げた。オッドフィッシュはニタニタ笑いながら続けて言う。

「まあ、死んじまってる奴にはライフなんて無いけどな。ブッ!」

 自分で噴き出した所で、オッドフィッシュは再びその場がしんとなっているのに気がついた。音楽も止まり、冷やかな視線が一気に突き刺さって来る。どうやらこのジョークは受け入れられなかった様だ。

 まずい雰囲気に一度唾を飲み込むと、シャツの襟元を指でひいて呼吸を楽にし、愛想笑いを浮かべてゴーストたちを見つめる。勿論、気持ちの良い笑みでは無かったけれど。それから瞬きを一度した後、やけになって大声を張り上げた。

 

「全員吠えまくれ! ワン・ワイルド・ナイト!」

 無駄な事を言わなかったのが正解したか、ワン・ワイルド・ナイトのイントロが流れると同時に再びその場は活気を取り戻し大騒ぎになった。どこからか狼の吠え声は聞こえてくるし、皆はノリノリで踊りまくっている。

 その様子を確認した後、オッドフィッシュはそそくさとステージの端へと避難した。そして両手を組み外側に伸ばし
て、指の骨をボキボキ鳴らす。ついでに首も傾いで骨を鳴らし準備運動した。

「お前らのワイルド・ナイトは本当に一回キリだぜ」

 意地の悪い顔でそう言いながら笑うと、オッドフィッシュは空へ舞い上がり盛り上がっているゴーストたち目掛けて両手を振りおろした。途端に上空から特大の封筒が降って来て、ステージごと集まっていたゴーストを一飲みにしてしまった。

 さっと口を閉めてしまうと、オッドフィッシュはこれまた巨大なハンコを懐から取り出しバシンと封筒に蝋で封をした。墓場は静かになりゴーストのゴの字も見当たらない。ふうっとハンコの先端を銃でも撃った様に吹いてから懐にしまい直した。

「よし、仕事も済んだしオレの女とイチャつくかな。ここからは十八禁だぜ」

 機嫌良くそう言い歩き出したオッドフィッシュ。その歩みが三歩と行かぬうちに、彼の後ろで異変が起こった。封筒が不穏に揺れて、蝋の封にヒビが入る。しまったとオッドフィッシュが呟き終えるか終えないかのタイミングで、封筒は爆発し中からゴーストが再び地上に放たれてしまった。

 しかも今度はもっと悪い。一度封印されかけたせいでゴーストたちは頭にきているのだ。全員が鬼の様な形相で空を駆け巡り、怒りを爆発させて暴れ始めている。オッドフィッシュはぽかんとした状態から脱し、大急ぎで家に走ってきた。

「ようベイブ、電話かりるぜ!」

 家に入り込むや否や、キャットの前を通り過ぎて電話に駆け寄るオッドフィッシュ。キャットは目を丸くしてその姿を追った。何をしているのかと問いかけて、窓の外の光景に気付く。さっきより恐ろしい光景に小さく悲鳴を上げた。

「オッドフィッシュ! 一体何したの、ゴーストたち怒ってるじゃない!」
「ああ、だからお前まで怒らないでくれ。ちょっと待ってろ、すぐに片づけてやるから」

 勝手に電話の受話器を取ると、オッドフィッシュはどこかに電話をかけはじめた。バタンバタンと家のそこかしこで扉や窓が閉まる音がする。きっとザ・ハウスが侵入を防ごうとしているのだろう。

「クソ、早くしろ、かかれかかれかかれ……あ、もしもし?」
「はい、こちらあの世の通話サービスです」
「冥界裁判所にコレクトコールがしたいんだが」
「畏まりました、少々お待ち下さい」
「…………もしもし、冥界裁判所? オッドフィッシュだが……助けてくれえーっ!」

 情けなく金切り声をあげた瞬間、突然床から火柱が噴き上がり中から恐ろしい人物が現れた。丸々とした頭蓋骨を黒いローブのフードで覆い、骨の手に握られているのはぎらりと輝く大鎌。驚きのあまりキャットは声も出なかった。どう見ても彼は死神だった。

「オッドフィッシュ! この厄介者、今度は何をしでかした!」
「ありがとうエド。でも今回はオレの仕業じゃないんだな、これが」

 思ったよりずっと親近感の沸く声で死神が怒鳴ると、オッドフィッシュは飄々とキャットを指さしながら返す。いくら”エド”なんて平凡な名前であっても死神は死神、これまで骨だけで動ける存在等お話の中以外では見た事もないキャットは、惹かれもしたが恐怖が大きかった。

 じろりと真っ黒な眼窩に睨まれてすっかり竦み上がってしまったキャットは、ここまで酷くしたのはオッドフィッシュだと言い返す事が出来ない。それに、確かに封印を解いたのは彼女自身だった。

「ごめんなさい、ゴーストが封印されてるなんて知らなかったの……」
「知らなかったで済まされる話じゃぼうぶ!」

 話ながらエドがずんずんキャットに近づいて行く最中、突然キッチンの棚が勢いよく開いて顔面に命中した。言葉は途中で悲鳴に変わり、死神の威厳もまるでなく顔を押えて床に蹲っている。棚にまた文字が浮かびあがってきた。

 

『このホネホネ野郎、さっさと出て行け!』

 酷い言い様にキャットは驚き、こっそりオッドフィッシュに問いかけた。

「ザ・ハウスは死神が嫌いなの?」
「ああ、そもそもザ・ハウスにゴーストを封印したのは死神たちだ。考えてもみろよ、自分の体の中に訳分からん奴らがうじゃうじゃ詰め込まれてるんだぜ? 取り憑いて一つの体に魂が二、三個になる事はあるがこりゃあ度が過ぎてる。ザ・ハウスだって怒るさ」
「なんでそんな酷い事! 死神って人の魂を連れていくはずなのに」
「中には協力的じゃない奴らも居るんだよ、そんな奴らは封印して片づけられる訳。普通古い屋敷ってのはゴーストが住み着いてる方が良い家の証拠なんだが、封印に使われるのは良い事じゃねえんだ。お前に本を見つけさせて利用したみたいな形になっちまったが許してやってくれ、ハウシーもずっと我慢してたんだ。ま、こんな古いのにゴーストも寄り付かない役立たずハウスじゃあ痛え!」

 今度はオッドフィッシュの足に向かって下の棚の扉が開いた。ひっくり返ったオッドフィッシュに向けてバカバカ扉が開いて攻撃し、オッドフィッシュは痛い痛いと脛を守って大忙しだ。キャットはあきれ果てて溜息をついた。

 ザ・ハウスがあの本を寄こしたとしても、目論見通り封印を解いてしまったのは他ならぬキャット自身だ。責任は感じている。さてどうしよう、早くしないと両親と不動産屋にまで危害が及ぶかもしれないのだ。

 キッチンの窓ガラスが突然嫌な音を立てて戦慄いた。ぎょっとして全員がそちらを見やると、何体ものゴーストが中に入り込んでこようと体当たりを仕掛けているではないか。キャットは仰天してミスターベアをきつく抱きしめた。

 今や家中から酷い音が聞こえてきていた。ザ・ハウスが持ちこたえてくれているが、このまま破壊されてしまいそうな勢いだ。

「数が多すぎる!」

 エドが切羽詰まった声で言う。

「なんとかしろよ、死神だろ!」
「こいつらを封印するのに何人がかりだったと思ってるんだ! 今すぐに集めるのは無理だ!」
「そんな、きっと何か方法があるはずよ!」

 改めて本を開き、解決策を探してキャットは文字へ視線を滑らせた。どんな小さな情報も逃すまいと食い入る様に見つめたのだが、その間にも攻撃は激しさを増し、家の軋む音がザ・ハウスの唸り声の様に響いた。

 何としてもゴーストをどうにかせねばならない責任感は、当事者のキャットと死神のエドを酷く焦らせていた。自分たちも危ないが、ここを襲撃し終わったらゴーストたちは街へ向かってしまうのだろう。大混乱は必至。被害がどれ程かなんて皆目見当もつかない。一人だけ自分の心配のみをしているオッドフィッシュに、暫く押し黙っていたエドは決心して真っ黒な眼窩を向けた。

「オッドフィッシュ、止むを得ない事態だ。冥界裁判所の権限を以て許可する、食らえ」
「えっ?」

 心底驚いた表情で金の瞳を見開いたオッドフィッシュ。エドは苦々しい顔をしているが、前言撤回をする事はなかった。

「おいおいエド、こんなに居るんだぜ。暴食だ、本当に何のお咎めもなしで?」
「俺が保障する」
「ワッオー! 驚き桃の木悪食大好き!」

 飛び上がったオッドフィッシュは喜び勇んで胸を張ると、外を不敵な笑顔で見つめて舌舐めずりをした。それがとても邪悪に見えて、キャットは思わず不安になりエドに耳打ちをする。

「何するつもり?」
「そのままさ。ゴーストを食っちまうんだ」
「え、食べられるの?」
「普通はゴーストなんか食うもんか。でもオッドフィッシュは食うんだよ、昔それで裁判になった事もあった位だ。そのせいで暫くは食べてなかったみたいだが……悪食の性分は変えられない。ゴーストイーターと言えば有名人さ」

 なんと恐ろしい称号だろう。ゴーストを食べてしまうモンスターなんて聞いた事がない。それにそんなのが居たとしても、キャットはもっと禍々しくて醜い化け物を想像しただろう。間違っても目の前の奇抜な男を想像する事は無いはずだ。

 オッドフィッシュはくるりと向きを変えると、キャットに向かって突進せんばかりの勢いで抱きつき勝手に頬にキスを送った。

「悪いなベイブ、帰って来る頃には素晴らしいオレの肉体が死んでるかもしれない。まあ元々オレは死んでるんだけどな。デブになっても嫌いにならないでくれよ! なんたってあの量だ、流石のオレでも食いきれるかな」

 楽しげに言ったオッドフィッシュはどさくさに紛れてキャットの唇に熱いキスを落とすと、彼女を解放してぱっと消えてしまった。キャットは突然の解放で床にひっくり返ったが、それをオッドフィッシュが知る事は無い。その頃彼は家の前に瞬間移動していたのだ。

 鼻歌交じりに出現したオッドフィッシュは、どこかで見た様な鼠色のツナギを着て大きな機械を背負っていた。手を後ろに回しノズルの様なものを手にすると、スイッチをオンにして指笛を吹き鳴らす。

 ゴーストたちはそれに気付いて一斉にオッドフィッシュを睨みつけたが、その顔はすぐに恐怖に引きつった。それもそうだ、このコスチュームはゴーストにとっては恐ろしい事この上ない。オッドフィッシュは自分の分身を三体作り出すと、計四人で堂々とその場に立った。

 一気に形勢は逆転した。わっとゴーストの群れに飛び込んだ四人のオッドフィッシュたちは、逃げ惑う彼らに向かって派手にビームを発射しまくっている。

「ビームを交差させるなよ!」

 二番目のオッドフィッシュが言った。

「どうして?」

 と四番目のオッドフィッシュ。

「良くない事だからだ!」

 説明が終わった瞬間、オッドフィッシュたちはにんまりと笑いあい、ビームを迷わず交差させた。

 想像以上の大爆発が起こった。屋敷は爆風にあおられて震え、一瞬辺りが閃光に包まれる。この家が普通の家であったなら、もしかしたら踏ん張れずに吹き飛んでいたかもしれない。

 その場が静けさを取り戻した頃、地面には四角い箱の様な装置がぽつんと置かれていた。小さく身じろぐ様に動いた後、やがて力を失い動かなくなる。ライトは緑色に光った。

「よーし。よくやった、ゴーストイーターズの諸君。戻りたまえ」

 もったいぶってオッドフィッシュが言うと、残りの三人はバチンバチンとオッドフィッシュに飛び込んで元の一人に戻った。首を何度か振れば服装も元に戻り、その場に居るのは彼一人となる。

 キャットとエドが外に駆けつけると、オッドフィッシュはあの装置を持ち上げて中を覗き、捕えたゴーストたちを見つめている最中だった。その汚い手が中に突っ込まれ、何かを鷲掴んで口元に運ぶ。咄嗟にエドがキャットの前に立ちはだかったせいで、キャットに理解出来たのは断末魔の悲鳴のみだった。

 それが何度か繰り返された後、すっかり竦み上がってしまったキャットの前からエドが退くとオッドフィッシュは装置を口元に持ってきて底をコンコン叩き、残ったゴーストのをぺろりと飲み込む所が目に入った。そして最後に盛大なゲップをかまして彼の食事は終わったのだった。

「ウップ……うーん、久々のゴーストは胃にくるぜ」

 お腹をさすりながら言うオッドフィッシュは随分満足気だ。どこからか取りだした爪楊枝で歯の隙間をほじりつつ呑気にしている。キャットは改めて周りを見回した。

 何もかもすっかり元通りになっており、キャットたちが引っ越してきた時と同じように閑静な丘の上が広がって、ゴーストが先ほどまでビュンビュン飛びまわっていたなんて思えなかった。けれど目の前には人ではない存在が二人。その対比が妙に現実味を感じさせる。

「食った食った。ヘイ、お前の指示だからな死神。オレは悪い事してないからな」
「しつこいぞ、オッドフィッシュ。今のは仕方がなかった、一般人も居る事だしな」

 

 じろりとエドに睨まれて、キャットはまたバツの悪そうに首をすくめた。

「これに懲りたら悪戯に封印を破ろうなんて思わない事だな。俺の同僚も人間に酷い目に遭わされてるが、全く人間ってのは……」
「おい、オレの女だ! 失礼な事言うなよ!」

 しょんぼりしているキャットの肩を抱き寄せると、オッドフィッシュは噛みつくようにエドに反論した。キャットは今更ながらオッドフィッシュが本気なのだと思って目をパチクリさせる。これがカッコイイ男の子ならどんなに素敵だった事か!

 オッドフィッシュの非難の視線を受けても、エドは余裕気に鼻で笑い腕を組んだ。キャットとオッドフィッシュを交互に見やり、大きく呆れた様な溜息をつく。

「何が彼女だよ。夢見てるんじゃない」
「その夢が現実になったんだよ、こいつはオレの夢の女だ! ずっと探してた!」

 不覚にもキャットはオッドフィッシュに守る様に抱きしめられ、今の台詞でドキリとしてしまった。けれど次の台詞で全てが台無しになった。

「それにもう契約したんだぜ、ちゃんと名前を三回呼んでな! 俺の女になるのを条件にゴーストから助けた、契約成立だ!」
「……キスは?」
「あれは……実は、あー……契約とは関係ない。でも良いだろ、減るもんじゃないし。契約は守った!」
「オッドフィッシュ! 騙したのね!?」
「喧嘩をするな! 全く……それに、その契約は無効だ。ただ働きだったな、オッドフィッシュ」
「無効なもんか! 何を根拠にそんな事言うんだよ!?」
「死者と生きている人間の間で、恋愛は認められていないからだ」

 あれだけ吠えていたオッドフィッシュがぴたりと動きを止めた。何度か何かを言いかけたのか、口をぱくぱくさせて呻き声の様な声をだしたが結局反論は口から出てこない。それに満足したエドがようやくと言った溜息を零してオッドフィッシュの肩を叩いた。彼は顔をあげ、泣きそうな顔でキャットを振りかえりまたエドを見る。

「そんな、だって、オレ……ずっと探してたんだぞ。いつか会えるかもって……せっかく会えたのに」
「お前も分かってるだろ? これがルールだ、誰にも変えられない」
「知ったこっちゃねえ! このオレ様がルールなんか守るか!」
「お前がベアーズロックのゴーストたちを食いつくした時より重い罪になるぞ。それによく考えろ、うまく行くはずないだろう。お前は死んでて、彼女は生きてる。違いすぎだ」

 ぴしゃりとエドに言い放たれて、オッドフィッシュはもうこれ以上何も言えなかった。ただうちのめされて茫然と立ち尽くしている。キャットが何か言おうかと迷っていると、エドがキャットの手からあの世のまじない書を引っ手繰る様に奪った。

「これは持って帰るぞ、人間の手に負えないものだ。冥界裁判所の方できちんと保管する」

 一度問題を起こしてしまった手前キャットは嫌だと言えず、しょんぼり肩を落とした。せっかく本物の魔法の本が手に入ったと言うのに、手放してしまうのはキャットにとっては辛い事だ。

 がっかりしているキャットを横で見ていたオッドフィッシュは、帰ろうと鎌を構えたエドの後ろ姿に視線をやるとポンとその場から消えてしまった。そしてまじない書に乗り移り、またポンとキャットの隣に帰ってきた。手には、本を持っていた。

「俺は戻るからな、もう問題は起こすなよ。オッドフィッシュ、特にお前に言ってるんだ! お前もさっさとあの世へ戻れ」
「ハイハイ、お疲れさんエド。バイバーイ」

 オッドフィッシュがさっと後ろに本を隠したのに、エドも本を抱えたままだった。キャットが目をぱちくりさせている間に鎌が空間を切り裂いて異次元の扉を開き、エドはその中に消えていってしまった。

「ほらよ、お前が持ってろ」

 エドが居なくなった後、そう言ってオッドフィッシュはあの世のまじない書をキャットに手渡した。

「どういう事? エドは本を持ってたわよ」
「すり替えたのさ。こっちがあの世のまじない書。エドが持ってったのはあの世のまちがい書」

 キャットが思わず笑い出すと、オッドフィッシュも誇らしげに笑って見せた。一体、エドは気がついたらどんな顔をするだろう! そんな事を考えれば考えるほど面白くなった。

「でも、どうして私にこれを返してくれたの?」

 笑いをおさめながらキャットが問うと、途端にオッドフィッシュはバツの悪そうに唸りながら地面とキャットを交互に見だした。

「そりゃあ、欲しそうだったから……喜ばせてやりたかったし、それに……お前をオレの女に出来ないけど俺との繋がりは忘れて欲しくなくって」

 あの世のまじない書はオッドフィッシュを呼びだす事になったものだ、確かに思い出の品と呼ぶに相応しい。肩を落としてそう告げるオッドフィッシュに、キャットは初めて心底同情を感じた。理由はどうあれ、オッドフィッシュは本気でキャットに会えて嬉しいと思っているのだ。

 トボトボと墓に帰ろうとするオッドフィッシュを引きとめようとした時、俄かに騒がしくなって振り返った。家の中から飛び出してきたのは不動産屋と両親だ。平和が戻った周りを必死に見回している。

「あ、あれ、ゴーストは……?」
「あんなにたくさん居たのに、どうなってるんだ!」
「まあ、キャット! 貴女大丈夫!?」

 彼らはキャットの元まで駆け寄って来ると、平然と立ち尽くしている少女を不思議そうに見下ろした。すぐにキャットは、彼らが混乱しているのを理解し、また、更に混乱させるのはよくないだろうとも理解した。

「どうしたの、一体?」

 白々しくそう問いかけると、三人は一斉にあのゴーストの事を喋り出した。キャットは一から説明するのを諦め、一番簡単な逃げ道へ彼らを案内してやる。

「三人ともどうしちゃったの、そんな訳ないでしょう? さっきキッチンで昼寝してたから起こさないでいたけど、そんな変な夢を見ていたなら起こせばよかったわね」
「夢?」

 三人の大人は納得がいかない顔をしたのだが、時間をかけるうちにその答えを受け入れ始めた様で力が抜けていくのが分かった。キャットはこの感覚をよく知っている。例えば、夜中に窓際に見えた人影が取り込み忘れた洗濯物だと分かった時によく似ているだろう。

 突飛な事実より多少無理があっても受け入れやすい答えがあれば、大人と言うのはそちらに飛び付く。この三人も常識の範囲を超えていない自分たちの不思議な体験に一安心したようだった。

「そうよね、夢に決まってるわ。嫌だわ私ったら、きっと日ごろの疲れがたまってたんだわ。すみませんねブラックさん」
「いえいえ、それは僕も家内も同じですよ。寝てしまうなんてお恥ずかしい」
「引っ越しで気が張ってたからね。ところで……そちらはどなた?」

 談笑しかけた三人は、キャットの後ろに居る謎の男に気がついた様で一気に視線が注がれた。残念ながらオッドフィッシュは死んでいても今目の前に存在している。これを夢とは言えない。

「あの、彼は……私の友達なの。新しい友達を作れってパパもママも言ってたでしょ?」
「なんだって!?」

 驚いた声をあげたのはオッドフィッシュの方だった。まさかとばかりに目を見張り、キャットを見下ろしている。キャットはにっこり微笑んで、彼の二の腕を軽く撫でてやった。

「本も取り返してくれたし、私たちを守ってくれたわ。契約通りにはいかないけど、変わり者の私には貴方みたいな友達がぴったりだと思うの。もし、貴方が嫌じゃなければ」
「ベイブ!」

 感極まったオッドフィッシュはキャットを思い切り抱きしめると、そのまま熱烈なキスをかまして人々を仰天させた。とりわけ父親は髪を逆立てそうな勢いで驚いている。解放されたキャットは、大急ぎで両親に弁解した。

「か、彼、ラテン系なの。熱いのよ」
「そ、そうなのか……それで、一体何者なんだい、その……」
「オッドフィ……」
「フィリップ! オッドフィリップ!」

 慌ててオッドフィッシュはキャットの口を押さえて、名前を呼ばれるのを阻止した。名前を呼ばれる事が契約の仕方となっている彼は、みだりに本名を知られたくないらしい。

 それを理解したものの、変な名前に拍車がかかった偽名に、キャットは思わず眉を持ち上げてオッドフィッシュを見やった。彼はキャットを解放し作り笑いをしてみせる。仕方がない、友達である以上助け舟は出さなければ。

「オッドフィリップは……お墓の向こうに住んでるの。前にこの家に住んでいた人たちとも仲が良かったのよ」
「そうそう。オレが来ると叫んで喜んでくれたもんで」

 ニタニタしながら言うオッドフィッシュの脇腹を小突くキャット。両親はきょとんとしていたものの、先ほどの事もあってかまだ意識がはっきりしていない様だ、曖昧な表情で頷いていた。

「それじゃあその、オッドフィリップさん? 良かったら家で紅茶でも飲んで行きません?」
「いやいや結構、オレもそろそろ戻らないといけないんで。素敵なご近所さんが越してきてくれて大感激、歓迎しますぜ!」

 両親の手を無理やり掴み手を交差させて激しく握手をしたものだから、両親の意識は更に混濁した。

「そ、そうですか……それじゃあその、私たちは中に戻って荷物を整理しないと……」
「私は後から行くわ」

 玄関先で不動産屋は自分の車へ、両親は家の中へとそれぞれ別れて歩いて行った。残ったキャットとオッドフィッシュは一息ついてお互い見つめあう。隙あらばオッドフィッシュが抱きついてきそうだったので、キャットは気が抜けなかった。

「両親には貴方が人間じゃない事は秘密よ。それから、家が生きてるって事も」
「オーケイ!」

 ポンと音がしてオッドフィッシュはOとKのスペルになった。全身で了解を現してくれるのは嬉しいが、やっぱり彼は人間じゃないんだと思い知らされて若干の不安も襲ってくる。元に戻ったオッドフィッシュをキャットは改めてマジマジと見やった。

 彼には恩があるし、根は悪い人では無いかもしれない。……否、勿論人では無いのだけれど。これから人間の友達を作らなくてはならないのだから、丁度良い予行演習だ。

「それじゃあ、これからよろしくね、お友達さん」
「勿論だベイブ」
「ザ・ハウスも」

 オオと低く家鳴りがしてザ・ハウスがキャットの言葉に答えたのだが、家の中ではまた両親の悲鳴が聞こえた。可哀そうな両親!

「ところで、可愛子ちゃん」

 オッドフィッシュはキャットを見下ろしながら出し抜けに言った。

「お前の名前を教えてくれ」
「え?」
「まだ聞いてないぜ」

 一瞬キャットはきょとんとしたが、よくよく考えれば自分で名乗った記憶がない事に気がついた。その途端可笑しくて思わず笑い出してしまった。

 あんなに危険な事を一緒に潜り抜けておきながら。散々キャットを口説く様な事を言っておきながら。夢の女とまで言い切っておきながら。オッドフィッシュはキャットの名前さえ知らないなんて。声をあげて笑うキャットを不思議そうに見るオッドフィッシュに、彼女を息を正すと向き直った。

「キャットよ。キャット・ブラック」
「黒猫?」
「ええ知ってる、変な名前よね」
「そんな事ない、良い名前だ! オレ様の女にぴったり」
「でも私たち、友達って言ったわ」
「今はな」

 胸を張ってそう言うとオッドフィッシュは腰をかがめてキャットの瞳を覗き込んだ。死んでいるはずなのに、死人の瞳はこんなにも生き生きしているのかと感心してしまう程彼の瞳は強い光が灯っている。

「あの世が何と言おうが、オレがお前を好きでお前がオレを好きになったらもう止められない。今はまだ友達でも、そのうちお前をオレに惚れさせてみせる。本気だぞ。契約なんかなくたってお前をオレの女にしてみせるからな、覚悟しとけよキャット」

 呆れた様な小さい家鳴りが聞こえてザ・ハウスが溜息をついた。オッドフィッシュはキャットの胸を人さし指で押して、不敵に笑いながらも真剣な目で見てくる。一瞬ドキリとして戸惑ったキャットだったが、諦めた様に笑ってしまった。

「ええ、頑張って頂戴」
「ああ。オレ様に首ったけにしてやるからな」

 オッドフィッシュは自分の髪の毛を鷲掴んで、胴体から頭だけ取り外してしまった。流石に驚いたキャットだが、出会ってからの時間の内で彼のおかしな行動に慣れつつあるようで、すぐに笑う事が出来た。

「それじゃあ首ったけじゃなく首だけよ」
「お、分かってきたじゃねえか、ベイブ」
「友達だもん、お互い理解し合わないとね」

 嬉しそうにオッドフィッシュはキャットを抱きしめたが、キスまではしない様なのでキャットも好きにさせた。

 こうしてブラック家の大変な引っ越しは終わりを迎え、キャットは新しい友達を手に入れたのだ。

「楽しい暮らしになりそうだわ、”新友”さん」
「この”死ん友”に任せろ。楽しくなるのは、これからだぜ」

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