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ラスプーチンのネックレス



 朝食後のコーヒーを飲んでいる時に、ナイトレイはカナダの新聞を僕に渡してきた。

 

 “歴史”の売人、捕まる
 希少な歴史的資料を善意で譲り受けていたにも関わらず、それらを闇で売買していた厚顔無恥な三人が捕まった。バリー・ワイズマン(五十七歳)、グレタ・オルコット(三十一歳)、アンドレイ・グレヴィッチ(三十九歳)。このうち、オルコットは博物館勤務、ワイズマンに至っては、博物館の館長だったと言うのだから驚きだ……。

 

 このような書き出しから始まり、新聞は真実と虚構を織り交ぜながら事の顛末を語っていた。彼らは刑務所に入れられ、しかるべき罰が与えられると言う。
「どこにも、“神の人を守る会”については載ってなかったんだな?」
「ああ、幸か不幸かね」僕の問いかけに、ナイトレイは肩を竦めた。
 記事には、逮捕の際に暴れた犯人が一般人を暴行したという文があるだけで、僕らの存在は勿論、ラスプーチンのラの字も見当たらない。どうやら世間では、闇のバイヤーが警察に踏み込まれた事件、と言う認識らしい。命を落としかけた勇敢な人物がいた事は、当事者以外知る由もない。
「不服そうだな、ローガン」
 ナイトレイは定位置のソファに横になり、ラップトップを腹の上に置いて弄りながら、口端を持ち上げて僕に声をかけてきた。見透かされた事が少々恥ずかしくて、僕は渋い顔を続ける。
「お前は死にそうになったのに、世間ではその苦労なんて無かった事にされてる。別に賞賛が欲しい訳じゃないが、空しいよ」
「空しいもんか!」途端にナイトレイは強く言った。「世間なんかどうだって良いんだよ。いいかい、私たちは歴史的に見て、とても価値のある時間を共有できたんだ。重要なのは認識じゃない、事実だ。我々がラスプーチンのネックレスを取り返し、危うく葬られそうになった歴史を一つ救ったんだ。こんなに名誉な仕事ができて、何が空しいものか」
 真摯な彼のまなざしに、僕は自分が恥ずかしくなって視線を外した。
 そうなのだ、ウィリアム・ナイトレイはこういう人物なのだ。情熱を傾けるものには、その命さえ。それが彼の信条だった。
「そうだな」僕は素直に謝罪の意も込めて同意した。「名誉や誇りは、自分で自分に与えるものだったな」
 ナイトレイは満足気に微笑み、クッキーを口に放り込んで、またラップトップの画面に視線を戻した。と、不意に一言「メールだ」と呟き、その後すぐに「あっ」と声をあげた。
「ヤコフからメールがきた!」
「へえ! お礼のメールか?」
「ああ、それに添付画像が――」そこまで言って、急にナイトレイは吹き出し、ラップトップを落としそうになりながら大笑いを始めた。彼の奇行はいつもの事だが、突然笑われては驚いて仕方がない。
 一体どんな面白い事が書いてあったのかと、ラップトップを取り上げて画面を覗いてみた。……あまりに予想外なモノがそこに映し出されていたので、一瞬理解できず呆気にとられたが、我に返ると同時に我慢できず僕も吹き出し、二人して暫く大笑いしてしまった。
 メールには丁寧なお礼の言葉。そして最後に追伸があり『これが本物です』と書かれていた。文章の下には一枚の画像が表示されていて、それが、ホルマリン漬けの長大なペニスを持った笑顔のヤコフ青年と言うとんでもない写真だったのだ。
 暫く僕らは笑い転げ、ようやく笑いが収まった頃、ナイトレイが「ヤコフはこの遺伝子を受け継いでいたんだよな……」と妙に残念そうに言ったので頭を叩いておいた。
 扉をノックする音が聞こえ、声をかけると郵便屋が入ってきた。手に持っているのはナイトレイ宛の手紙らしい。シンプルな封筒にはハーヴァード大学の校章が印刷されており、ナイトレイが受け取るのを渋るものだから、僕が一旦受け取って、ナイトレイに無理やり開封させた。
 いやいや手紙を読み始めたナイトレイは、少しずつその表情を険しくしていき、やがて、目を見開いて大声をあげてソファから飛び起きた。
「あの野郎、発掘調査に行った! 私を置いて行ったぞ!」
「何の話だ?」
「ノーマン教授だよ! 見ろ、不在中の授業プランなんか送ってきた、これを私にやれだと! 私を置いていけるはずがない、発掘場所を指示したのはこの私なんだ! あんなに楽しみにしてたのに……ローガン!」
 嫌な予感がしたので聞こえないふりをしたが、ナイトレイは構わず大声を上げた。
「今からバグダッドに行くぞ! 準備しろ!」
「馬鹿か、無理に決まってるだろ!」
「いいや、行くぞ! 何人たりとも私を止める事は出来ない! 荷造りだ、お菓子を詰めなければ! デリシャススティックのチーズ味と、チョコレートと……」
 丁度その時、荒れ狂うナイトレイの独り言の合間に、再びノックの音が飛び込んできた。どうぞと言うと、女性が一人入ってきた。四十代半ば、イギリス人だろうか。かなり戸惑っている様子なのは、ナイトレイが破竹の勢いで旅行の準備を進めているからだろう。ただでさえ汚い部屋が、嵐の真っただ中のように汚れていく……。
「あの、ウィリアム・ナイトレイさんの事務所はここだと伺ったのですが……」
「ええ、彼がウィリアム・ナイトレイです。おい、ナイトレイ、依頼人だぞ」
「駄目だ、忙しい! 今からバグダッドに行くのです、申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
「お願いします、他に頼れる人がいないんです」
 依頼人は切羽詰まった声をだし、部屋に入ってきた。嫌そうにナイトレイは動きをとめ、真正面から彼女を見据える。瞬きする間に、彼は依頼人を頭からつま先まで観察しつくしたのが、僕にはわかった。
「貴方なら、どんなものでも奪い返してくれると聞きました」
「失敗したことが一度もないとは言いませんが、ほぼ成功はしています」
「では、どうかお願いします。私の子供たちを取り返してください!」
「誘拐なら私より、まず警察にお行きなさい」
 そう言って作業に戻ろうとしたナイトレイの目の前に、女性は一枚のパンフレットを突き出してきた。美しいホテルが表紙を飾り、流れるような字体で『ワンダーランドホテル』と記されている。ナイトレイはそれを受け取ってしげしげ眺めた。
「出来たばかりの巨大なホテルだ。ネットで宣伝を見たぞ」と僕は言った。
「私の子供たちは、このホテルで行方不明になりました」
「ホテルで?」
 ナイトレイの声色が変わった。
「警察は、頭のおかしな女の狂言だと、取り合ってくれませんでした。ホテルは私の子供たちが泊まった記録が無いと言い出すんです」依頼人は声を強張らせて続けた。「そんな事あり得ません、私は確かに、アリスとルイスと一緒にこのホテルに泊まりました。巨大な迷路のようなホテルとはいえ、迷子になる訳もありませんし……今もまだ、あのホテルに子供たちがいるはずなんです! あのホテルは何か裏がある、早くしないと、子供たちがどんな目に遭うか……! お願いします、お金ならいくらかかっても構いません、消えた子供たちを探してください!」
 僕とナイトレイは互いに顔を見合わせて、驚きに言葉を失った。そして僕は、彼の灰色の瞳に光がともったのを見た。
「ワンダーランド(不思議の国)に囚われた、アリスとルイスか……」ナイトレイは口端を持ち上げて、ぽつりと呟いた。
 彼は荒れ果てた部屋の中に、持っていた荷物を放り投げ、女性へ椅子を勧めると、自分もソファに座りなおしてこう言った。
「どうぞ、最初から順を追ってお話下さい、奥さん。ローガン、彼女にコーヒーを淹れて、一緒に話を聞いてくれ。――これは事件だよ」
 右手の人差し指と中指を唇に触れさせて、彼は目を細めた。僕は二人の声を聞きながら、コーヒーの準備に取り掛かる。助かった事に、これでバグダッド行きの旅行はキャンセルになった様だ……。
 

​END.

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