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死ねたロボット

 

 

 

 

 軋んだ音を立てながら、アルはいつも通りキッチンの一番奥にある棚を開け、中から麻袋を取り出そうと、手をかけ、止まった。違和感を覚えて、掴んだ麻袋をもう一度小さく引いてみる。軽い。あまりにも軽い。不思議に思いながら引っ張り出した袋の口を開けて見ると、中にはエナギール石が数個転がっているだけだった。なんと言う事だ、アルはこの石がなければ動くことが出来ない。人間が食べ物なしでは生きていけない様に、アルもこの石がなければ動く事が出来ないのだ。全ての機能は停止され、ロボットから粗大ゴミに変わってしまうのだ。

 アルはお金を持っていないし、自分でエナギール石を採掘する事も出来ない。泥棒も勿論出来ないし、代わりに燃料になるものもなかった。アルは、もし今、親切な誰かが新しいパーツを持ってきてくれたとしても、規格が合わなくて心遣いを無駄にしてしまうほど、恐ろしく型の古いロボットだった。生産はとっくの昔に終了していて、動いている同種のロボットは恐らくアルが最後だろう。つまり、石がないのであれば、アルはもう打つ手がないのであった。

 暫く固まったままアルは家の中を眺めていたが、やがて首を軋ませながら麻袋を見下ろし、胸を開けて小さな火室に石を入れ始めた。どうしようもない、仕方がない事なのだから、受け入れない訳にはいかない。カンカンとみじめな音を立てながら石はアルの体の中を落ちていき、申し訳程度に燃え出した。

 麻袋は空になった。これが、アルの最後の晩餐であった。この石の量では、せいぜい半日もつかどうかのパワーしか生み出せない。自分の最後の日をどう過ごそうか考えた事もなかったアルは、途方に暮れてしまった。

 アルは元々家事をするロボットだった。アルの主人も、そのためにアルを購入した。彼女はアビーと言って、その頃はまだ若くて生き生きと力に溢れていたが、家の中にこもってひたすらロボットを開発する事に情熱を注ぐ科学者だった。

 びっくりするほど、アビーには生活力がなかった。家全体がゴミ箱の様な有様で、彼女自身も三日ろくに食べず、風呂にも入らず、寝もしないなんて生活を続けていた。友人の勧めで、当時の最新式家事ロボットを購入し、アルと名付けて家の事を任せる様になってようやく、彼女は人間らしい生活を手に入れる事が出来たのだった。

 アルの役目は、とにかく家の中を綺麗にし、また、アビーを綺麗にし続けることであった。毎日決まった時間にご飯を食べさせ、彼女が研究室にこもっている間に家事を全てこなし、文句を言うアビーを風呂に突っ込んで、ベッドに縛り付ける、そんな日々が続いていた。

 そうだ、役目だ。アルは結局、自分の宿命に従って動き出した。汚れていない部屋を掃除して、ホコリ一つない程に磨き上げる。昔は、彼女がいたおかげで、いくら綺麗にしても一日で酷い有様だった。仕事のしがいがあるだろうと、あくせく働くアルを見てアビーはカラカラ笑っていた。今は、掃除が必要な場所を見つける方が難しい。

 最後の仕事だからと、今までにない程綺麗に家の中を掃除したあとは、洗濯籠を抱えて近くの川まで関節をギシギシ言わせながら歩いて行った。この洋服たちが最後に身につけられたのは、果たしていつの事だっただろうか。誰も着ていないのに、アルが毎日きちんと洗濯するものだから、色あせてくたくたになっていた。電気が通っていた頃は洗濯機が使えたが、今はこうして川に行くより水を得る方法がない。

 自分の錆びが服についてしまわない様、まずは手を綺麗に洗う。あまり洗いすぎると指がもげてしまいそうなので、アルはこの作業が苦手だった。自分で自分をメンテナンスするのは限界があって、今ではアルの体は錆びだらけになっているのだ。もし、アビーがここに居たなら、家よりも先に自分を綺麗にしろと怒った事だろう。

 仕事の邪魔になるからと、アビーは人を嫌いこんな辺鄙な森の中に家を建てた。周りには誰もおらず、聞こえるのは鳥のさえずりや木々の葉が風に煽られて擦れる音ばかりである。もし街中に住んでいたなら、アルはこんなに錆びだらけで、一人川で洗濯をする事にはなっていなかったはずだ。

 ふとアルは手をとめて、アビーのシャツを見下ろした。一人なのだ。アルは、こんなに明るく爽やかな森の中で、たった一人ぼっちなのだ。一体何故こんな事になってしまったのか、旧式のコンピューターの脳みそを精いっぱい動かして考えてみる。

 しばらくそうして考え込んで、アルはふと考えるのをやめてしまった。最後の時が迫っていると言うのに、のろのろ頭を使っていては時間がもったいないではないか。洗濯を終えて家に帰ると、すでに太陽は真南から落ち始めており、一日が終わりに向かって加速し出しているのを示していた。

 アルは庭の洗濯紐に洗濯ものを干していった。今日は天気が良いからすぐ乾くだろう。取り込むまで、自分が動いていられればいいのだが。そう思いながら、風になびく彼女のシャツを眺める。ザラザラになった指先でシャツに触れて、そうっと撫でてみた。肌触りが良いからと、彼女はこのシャツを好んで着ていたっけ。

 家の中に入ると、何となく彼女の部屋に向かった。入るのは許してくれたが、勝手に掃除するのは許してくれなかった部屋。いつも色々なものが散乱していて足の踏み場が無く、アビーは椅子に座ってドアに背を向けたまま、ずっと半田ごてで基盤を弄っていた。今、主の居なくなった部屋は、やはり掃除されずにそのまま残っていて、ついさっきまでアビーが座っていた様子を残している。白衣は床に落ち、難しい論文は机に山積みにされ、作りかけの基盤らしいものが、論文の山の隣に転がっていた。

 アルは首を軋ませながら部屋を見渡して、奇妙な気分に襲われた。アビーが居ないのは分かっているのに、今にも段ボールの裏から妙な機械を持って出てきそうで、嬉しくもあり、怖くもあり、悲しくもあり、悔しくもあった。感情全てを一つの鍋に放り込んで、ぐずぐずに煮込んだものを飲み込んだ気分だ。

 アビーは居ない。残っているのは、この家と命令――誰も居なくなった家を綺麗にし続ける、虚しい命令だけだ。

 腹の中で、火が消えかかっているのに気づき、アルは再び歩き出した。家から出て、森の中に入り、歩きなれた道を行く。木々の合間を抜けると少し開けた場所があり、そこに小さな墓が一つ立っていた。墓と呼べるかどうかも怪しい、木の枝でこしらえた十字架が立っているだけのものだったが、アルが精いっぱい作った墓なのだった。

 十字架の前に腰を下ろし、アルは暫くそれを眺めた。この下にアビーが埋まっている。アルが埋めたのだから、間違えようがない。ああ、彼女は死んでしまったのに、一体自分は何をしているのだろうか。

 だんだんと思考の速度が遅くなっている。体を動かす力が弱まってきた。エナギール石の最後のかけらが必死にその身を燃え上がらせて、アルに最後の時間を与えようとしているのがよく分かる。この瞬間に、果たしてアルは何をすればいいのだろうか。

 ギシギシ音を立てながら、アルは十字架を撫でた。自分が居なくなったら、この十字架も朽ち果てて、アビーの存在が無かったことにされてしまうのだろうか。

 あんなに優しく、明るくて、魅力的だった女性が。


 あんなに大切だった女性が。


 あんなに愛した女性が。


 消えてしまう!

 甲高い、耳障りな音が漏れた。どこから漏れたのかは分からないが、それは途切れることなくアルから発せられた。ロボットは涙腺なんか持っていないし、古いロボットは言葉を話す事さえ出来ない。そんなアルが、とうとう感情を爆発させ、あげた悲鳴が、それだった。

 もしかしたら、ただのエラー音だったのかもしれない。許容範囲以上の事をしようとした機械が発する、無機質な音でしかなかったのかもしれない。それでもアルはその泣き声をあげながら、顔を覆い、身を揺すった。激しく体を震わすたびに、塗装が剥がれて落ち、ネジや歯車にひびが入る音がした。それでもアルは泣き止むことが出来ず、最後の力を振り絞って泣き叫んだ。

 彼女に会いたい。彼女が恋しい。どうして生き物は死んでしまうのだろう。自分も死んでしまえたらいいのに。

 やがて気持ちが落ち着くと、アルは震えながら立ち上がり、十字架に覆いかぶさった。こうすれば、暫くは自分が盾になって、アビーの墓を雨風から守る事が出来る。彼女を綺麗にし続けると言う命令のせいではなく、アルが彼女を慈しむ気持ちからの行動だった。

 洗濯ものを取り込めなかったのは心残りだが、最後に、彼女の墓を少しでも長く綺麗にしておくことが出来て、アルは満足だった。

 視界が途切れ途切れになり、体中の歯車がゆっくりと動くのをやめる。背中の排気口から、蒸気が今際の息の様に吐き出され、それきりアルは、アビーの墓を庇ったままの状態で、死んでしまった。

 

 数年後、アビーの家とその墓、そしてサビの塊の様になったアルが、森にやってきた人々によって発見された。人々は墓の方には目もくれず、アビー博士の研究室の、机の上に目を奪われた。

「これ、心のプログラムだぞ!」

 今尚誰も作り上げていない、素晴らしい発明は、机の上で作りかけのまま放置されていたのだ。

 

「惜しいな、これが出来上がっていたら、とんでもない発明だったのに……」

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