クリスマスおめでとう！ ２
１２/２１
「おはよう」
「おはよう」
「……おはよう」
沈んだ声で交わされる朝の挨拶。部室に入ると、全員無理やりな笑みを貼り付けていた。瞼は腫れ上がり、目の下には立派なクマをこさえていては、わざわざ理由を聞くまでも無い。何せ、今入ってきたフランクとギルバートも、昨日は泣きに泣いて寝不足なのは一緒だったからだ。
世界中の人々から愛されていたサンタが死んだのだ。
家に帰って仕事から解放されたときくらい、悲しみに暮れたって罰は当たらないだろう。全員げっそりとしながらも、問題のクリスマスは待ってはくれない。やっぱり目の下にクマがあるベティの指揮の元、今日も途方もないの仕事が開始された。
「二人はあっちの部屋。キムからリストを貰って、良い子悪い子リストにチェックをいれて」
部室のとなりにあるのは、ホリデーに関する事が書かれた本なら何でも揃っている大きな図書室だ。言われたとおり二人は図書室の扉を叩いた。中は大理石できた床が十五メートルは続いていて、その一番向こうに窓を背にして机がある。ここの本全てを管理をしているのは、キムたった一人だけであった。朝九時の光が、何処となく荘厳な雰囲気をかもし出す室内を照らしている。
「ハイ、キム。リストを頂戴」
長い絨毯を歩き、ようやく机に到達した二人は机で書き物をしているキムを見下ろした。キムは小妖精で、しっかり立っても二人の膝くらいまでしか身長が無い。だから、普通のイスに本を六冊積み上げてその上に座って、ようやく机に向かって仕事をしていた。
「あんたたちがやるの？」
胡散臭そうな瞳が、眼鏡の奥から覗いている。羽ペンを机に放るように置いて、まるで品定めでもするように二人をじっと見つめた。
「ああ、うん。サンタってばトナカイのお見舞いに行って自分もハシカがうつっちゃったんだ」
慌てて作り話をフランクがでっちあげると、ギルバートがその通りだと頷いて見せる。訝しげな表情は変わらぬもの
の、キムは引き出しから木の幹ほどはある大きな羊皮紙を取り出した。
「これだわよ」
言いながら、羊皮紙の端を持ち、ばさんと二人の間に広げる。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ…………ゴン。
「…………あの」
「なあによ」
「……これ、本当に本当？」
「あたっしの仕事は完璧なのよ！」
キーキー声で叫ぶキム。二人は呆然としていて、反応を返す事も出来ない。目の前には長い床を端から端まで横断し、尚且つ端の壁にぶつかって動きを止めた丸まっている部分はまだ木の幹ほどの羊皮紙が横たわっていた。
「あんたたちバカね！ 世界中にどれだけ子供が居ると思ってんのよ！」
机に飛び乗り癇癪玉と成り果てたキムの最もな台詞を、二人は心底かみ締めた。しかし、サンタ代理の二人である。これくらいでへこたれるわけにはいかない。
「……やりますか」
「……そうですね」
先ほどベティに渡されたサンタの手帳を手に、二人は長い長い羊皮紙との長い長い戦いを始めた。ギルバートがサンタの手帳の名前を読み上げ、フランクはリストにチェックをいれていく。
「まずはヨーロッパから行くぞ」
Aから始まり、Ｋまで来たところで小休憩。所々をインクで汚しつつ、ちらりちらりと窓から外を見やれば、そのたびに太陽は大きく移動している。
途中でキムはお昼を食べに出て行き、静かな部屋で二人は黙々と作業を勧めていた。
「スーキー……スーザン……スザン」
「スーザンにはもうチェックつけたよ」
「違う、スーザンじゃなくてスザン」
「スザン？ スペルミスだろう？ だってリストにはスザンなんて載ってないぞ」
「ならサンタが間違えてるな」
満場一致で手帳のスザンを飛ばし、次のスージーに取り掛かる。Ｚまで終わると、二人は手を止めて少し遅めの昼食をとった。これでヨーロッパは終わりだが、まだまだ丸まっている羊皮紙は太い。
もそもそとハンバーガーを口に詰め込んでいると、帰ってきたキムにキンキン声で怒鳴られた。
「あたっしの神聖な職場でハンバーガーなんか食べてるんじゃないわよー！」
残りの羊皮紙を引っつかみ、逃げるように追い出された二人は、仕方なくその隣の空き部屋で作業を進めた。それにしても凄い量だ。後何メートル……いや、後何キロメートルあるやら見当がつかない。これでも大分細くなった羊皮紙を眺めて、二人はため息をついた。
結局五時を過ぎても七時を過ぎてもリストは終わらなかった。クリスマス部の人々は他の作業に追われているため手助けも出来ない。とりあえず工場の電気を落とされるまで全員粘ったが、七時半には警備に追い出されてしまった。
全員それぞれ仕事の残りを抱えながら帰宅という事になり、各々両腕に色んな物を抱えながらさよならを言う。二人は枝ほどの太さになった羊皮紙だけだったので、比較的少ない方だった。
今日は愛車は点検のためなし。朝同様徒歩での帰宅だ。華々しいクリスマス一色の街の中を歩きながら、二人はなるべく明るく振舞おうとお互いに努力していた。辛い事が続いているがクリスマスはもう間近なのだから、何時までもそう辛気臭い顔をしていられない。
「まったくさー、上の奴らも頭固いよな！ わざわざチェックリストつくってそれから、良い子だけのリストと悪い子だけのリストに分けるなんて。サンタの手帳見れば一発だろ！」
「会社っていうのは形式に拘るからね。あーあ、付き合わされる身にもなってみろってんだ」
「サンタは毎年これをやってるんだよなー。しかも一日で。ほんと恐れいるよ」
「凄い人だったんだよね……」
「……フランク」
鼻をすすり始めたフランクの肩を励ますようにギルバートが抱きしめた。フランクは努めて笑顔を見せようとしていたが、鼻の頭が真っ赤になっている。そんな親友を見てギルバートは誤魔化すように頭をかいた。
町は全く正常だった。例年通りの絵にも描けないような美しい飾りつけは心が浮き立つし、町中に輝くイルミネーションはまるで星が地上に降りてきたかのようではっと息を呑む。二人はしばらく黙り込んで、その飾り付けを眺める事にした。
大広場の中央にある大きな大きなもみの木は、すでに光り輝くクリスマスツリーへと変身を遂げていた。その綺麗なことと言ったら、フェアリーランドが司るホリデーの中でも一、二を争う力の入れようだ。世界中の綺麗なものを集めたって、ここのクリスマスツリーには敵うはずがなかった。
けれど、こんな素敵で綺麗な広場にも全く正反対のものがいた。フランクとギルバートの五歩後ろをぴったりついて離れない、黒いコートの猫背の男。フードを被っていて顔は分からないが、もし顔が分かっていたら大騒ぎになっていただろう。右頬についている大きな傷が、この男こそ悪名高いスカーだと教えていたのだから。
「まあ、さ。年に一度のクリスマスなんだ、仕事頑張ろうぜ」
「……ん、そうだね。張り切らないと、今年は俺たちが肝心要なんだから……。でもさ、実は少し嬉しいんだ。ずっとサンタに憧れてて、将来なりたいと思ってたんだ。こんな経緯で今年のサンタ役をやるのは残念だけど、サンタ試験に勉強したかいがあったよ」
「フランク！ 声が大きいぞ……」
後ろにスカーが居るとも知らず、二人がそんな会話をしたものだからさあ大変。突然の朗報にスカーは目をひん剥いてはっとし、二人との距離を三歩後ろにまで縮めると全身を耳にしたかのように意識を集中させた。二人はもう小声で話をするようになっていたが、この距離なら聞き取る事が出来る。
「それにしてもさ、原因はなんなのか分かったのか？」
「いいや。後でケビンが調べたらしいんだけど、全く何もなかったらしいんだよ。本当に心音がしないだけって感じ」
「あのサンタが死んだんだもの、発表する時理由がないとみんな戸惑うぞ」
スカーの足はぴたりととまり、それ以上二人を追う事はなかった。ただ、目をギラギラと輝かせて狂喜に顔をほころばせている。今の彼なら、信じてもいない神様に膝をついて感謝出来るほどだ。
「サンタが死んだ！ ヒヒーヒハ・ハ・ハ！」
上ずった声で口の中で叫ぶと、スカーは恐ろしいにんまり笑いを浮かべて矢のように走り出す。フランクとギルバートはそうと知らず、人ごみの中を家へと帰って行った。
さて、スカーはひとっとびして家に帰ってきた。街のはずれの真っ暗森を抜け、その背後に聳える険しい山の上に彼の家はある。普段なら誰も上ってこない山なので、隠れ家にはもってこいだ。刑務所から逃げ出して以来数年間、スカーはここで息を潜めていた。といっても、悪い事がしたくてしょうがないので、今日のように町に下りることもしばしばあったのだけれど。
「サーンターが死ーんだー！ ヒハハ、死んだ死んだ死んだサンタ！」
汚い家の中を飛び跳ねながら大喜びし、リビングのソファに飛び乗るとくるりとターンしてからもう一つのイスに向き直った。そこには愛犬ウィニの姿があり、狂喜乱舞する主人に尻尾をまるめて怯えていた。
スカーはソファから飛び降り、上機嫌でウィニの頭をなでくりまわしながら残酷な笑みを浮かべた。
「全てのホリデーをのっとろうという俺様の計画を神が援助した下さったのだ。最大イベントクリスマスを手中に収めれば、後は簡単なもの。そして俺はホリデーキングとなり、世界中のホリデーを俺の物にしてやる、ヒハハヒハ！」
ぴょーんとリビングから実験室に飛び降りたスカーは、大急ぎで支度を始めた。この家は山の洞窟の中にあるので、今みたいに崖になっていたり、でこぼこがあったり、鍾乳石が垂れ下がっていたりする。彼はそれを利用して、とても住みやすい家に改造していた。
心底悪いスカーだが、頭は抜群に良かった。日夜自分の悪巧みのために様々なマシーンを作っているのだが、この一番大きく一番苦心した彼の最高傑作が使われたことは一回もない、とっておきのとっておき。爆竹搭載の走行ゴキブリ型ミニ爆弾だとか、座ると肌が紫色になるなんちゃってイスだとかとは格別だ。
「これぞ俺の粋を集めて作った今世紀最大の発明……ホリデー吸引マシーン」
厳かにそういったスカーは、実験室の中央にある大きな物体からカバーをはぎとった。見た目は大きな掃除機で、あちこちにごちゃごちゃした機械がめいっぱいついているそれは、『今世紀最大の発明』と呼ぶには些か不恰好である。
しかし、度重なるテストによってその能力は示されていたし、スカーはこのマシーンに全幅の信頼寄せていた。これさえあれば、ホリデーをのっとることが可能だと、信じて疑わなかったのだ。
「ウィニ、我が優秀なるアシスタント君」
ちょいちょいとウィニを指で呼び寄せると、頭の良い彼の犬はゴーグルをくわえて足元までやってきた。スカーはゴーグルをはめて、にんまりと口を三日月の形にしてみせると両手を擦り合わせて、心底楽しそうに声を上げた。
「さあて、最終調整だ。２４日午後十時に我々は出発する事にする！」
「はっくし！」
「神のご加護を。大丈夫か？ この時期に風邪ひくなんて、洒落にならないぞ」
「んー……ちょっと寒気が……」
その頃二人は、ようやく眠い目を擦りながら宿題を終えたところだった。手も腕も鼻の先もインクで汚しながら、二人は立ちあがって伸びをするとやり遂げた充実感に一安心しながら、さっさと風呂に入ることにした。
今日は元気が出るように、ライライ草の匂いと書かれた粉を湯船にまく。透明だったお湯は一瞬にしてライム色に変わり、それから水中で何かが時々キラキラ輝くようになった。頭がすうっとするライライ草のにおいがバスルームに充満して、急に疲れが吹き飛んだように思えた。
「明日はプレゼントの袋詰め？」
「流石に俺たちも手伝わなきゃね。トナカイも明後日には良くなってるだろうし」
「じゃあ明後日に飛行訓練だな。俺、ソリなんて初めてだ。それに今年からグレードアップしたんだろ？ 超早いエンジン搭載で、飛行機避けのレーダーとか……」
湯船に使ったまま、二人はまだ誰も乗ったことのないソリに思いを馳せた。一体どんな高性能な物が飛び出すのだろうか。この国の中で、否、世界で始めてそんなソリに乗れるかと思うと胸が高鳴る。
ソリのみならず、サンタの代理という重要な役割も勿論初めてで、二人がファクトリーに勤めて以来こんな物凄い仕事を一度としてしたことはなかった。二人はあくまで補佐の『何でも部』であって、それ以上でもそれ以下でもなかったのだから。
不安も大きかったが、それ以上に期待で胸がいっぱいだ。今年は、いつもは手伝うクリスマスという一大イベントの主人公になるのだ。
「自慢したいよなあ」
風呂上りに牛乳を飲みながら、ギルバートが呟いた。勿論それは駄目だ。二人がサンタ役を務めるのはおろかサンタの死すら秘密中の秘密、トップシークレットである。
フランクはソファで髪の毛を拭きながら、ぼうっとエイミーの事を考えた。もし自分がサンタになるのだと教えたら、彼女はどんな顔をするだろう。もてはやして、尊敬の眼差しをくれるかもしれない……。
その時突然、ベルが鳴って訪問者の存在を告げた。二人が不思議そうに出て行くと、フランクはあんまり驚いたので石の様に動けなくなってしまった。今まさに考えていた、エイミーが立っていたのだ。
「こんばんは……ごめんなさいね、遅くに」
「いいいいいや、いや、いや！」
どうにか石化から復活したフランクは首を横にぶんぶん振っている間、ギルバートは”原因不明の腹痛”により奥の部屋に引っ込んでしまった。二人はしばらく黙って微笑みあっているだけだったが、結局一言もしゃべろうとしないフランクに代わり、エイミーが口火を切ることになった。
「あの、もしかしたら何か、手伝えるんじゃないかって……」
「手伝いに来てくれたの？」
「でしゃばりすぎたかしら」
「まさか！ でも、でも、うん、もう終わったんだ。リストチェックは終わったし」
「貴方達がリストチェックしたの？ サンタの仕事じゃなかった？」
「そりゃ、今年は俺らがサンタだもん」
「え？」
「いや、だから！ ……サンタみたいな、もんって事。サンタのアシスタントていうか、ほら、彼の仕事を減らして……それから……まあなんていうか……」
「ワオ、今年は大役なのね。サンタ補佐なんだ」
「そういうこと！」
風呂上りを抜きにしても尋常じゃない量の汗をかいたフランクは、やっとの思いで頷いて汗を拭った。全く彼女の前
は口が油をさしわすれた歯車みたいにギシギシになってしまうのだから、厄介なものだ。
エイミーは持っていたバスケットを持ち上げると、照れくさそうにおずおずと差し出した。
「あのこれ、良かったら食べて。アップルパイ焼いたの、お夜食にと思って……」
感激に飛び上がりそうになったフランクは慌てて冷静を装い、けれども心底感謝を述べて微笑んだ。エイミーの手作りアップルパイが食べれるなんて、ちょっと早いクリスマスの奇跡だ。
うっとりしているフランクに笑うと、エイミーは手を振ってそっとドアから離れた。はっとしたフランクは階段を二段降りたエイミーを、何も考えず呼び止める。彼女が振り返ったところで、フランクは口を鯉みたいにぱくぱくやって、たっぷり五秒は黙ってしまった。
「あの、その……ひ、ひ、暇な日、とか……」
「でも……貴方、忙しいでしょう？」
「ああ、うん、そうだけど……」
「クリスマスは？ 当日、サンタがプレゼント配りから帰ってきたら、もう暇でしょう？」
「うん、そうしたら仕事は終わりで、ようやくクリスマス休暇だね」
「あー、良かったら、夕食でも？」
「それって……」
「デートね」
「……あ、う、ワオ、それは……すごい！」
「じゃあ、七時に迎えに来て。待ってるわ」
「絶対！ 絶対いくよ、何があっても、死んだって！」
興奮気味にそう叫ぶと、手を振って帰っていくエイミーの後姿が角の家を曲がるまで見送り、フランクはようやく家の中に入ってきた。寒い夜空の中に薄着で突っ立っていたけれど、体は熱いことこの上ない。
リビングで呆けたように立っているフランクに、戻ってきたギルバートは呆れ顔で睨みをきかせた。
「お前、なんて奴なんだ！ 普通は男からデートに誘うもんだろ！ あれじゃあ、エイミーから誘ってもらったようなもんだ！」
「でも、デートはデート……デート……デート！」
突然狂ったように飛び上がったフランクは、そのままギルバートに抱きつきキスをして、歓喜の声をあげて飛び回った。そして、ようやく収まったかと思うと、今にも溶けてしまいそうな顔をしてアップルパイを食べる準備を始めた。
ギルバートは親友の凶行にため息をつきながらも、おいしそうな匂いに誘われてそそくさと彼の隣に腰かける。
「ああ、クリスマスが待ち遠しい！」
２１日の夜、山の洞窟の奥深くと暖かな家の中から同じ叫びが聞こえてきたのだが、誰もそれに気づく事はなく、た
だ静かに夜が更けていった。