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クリスマスおめでとう! 3

 

 

 

 

 

12/22

 

 

 


 ピカピカに輝く大きな機械、ビル十階程もある高い天井、それにこの広大な作業場はクリスマス部に与えられた特権だ。その大きな機械の前に立って、フランクとギルバートはたくさんの人々と一緒に忙しなく働きまくっていた。機械はクレーンだった。

「気をつけてー、気をつけてー、袋を傷つけないように!」

 大きな手旗を振って、操縦席に居る妖精に合図を出しながらベティが叫んでいる。クレーンでようやく持ちあがった巨大な袋が、ぽっかり口を開いて上を向いている。その下でプレゼントのチェックや数の確認、包装用紙の最終点検などが行われていた。

 クリスマス部のみならず、ほとんどの部署が手伝いに来てくれていたのだが、中には関係ないの一点張りで全く力になってくれないところもあった。

「この大騒ぎを見てくれよ! 二時間で良いから手伝ってくれったら!」

 ケビンが今にも発狂しそうな顔で叫んでも、イースター部の妖精はそ知らぬ顔で明後日の方を向いている。後ろから見ていたギルバートは頭にきて、大きく咳をしながら呟いた。

「ファクトリー、ファックトリー、ファック……うう、ファック、トリー……」
「よせよ」

 彼を小突いて注意したフランクだが、顔は笑っている。ギルバートもにやりと笑って一瞬黙ったが、すぐにまたゴホゴホ言い始めた。

「工場……コウジョウ、ゲホゲホ、コンチクショウ」
「オーケイ、ありがとう二人とも」

 顔を真っ赤にして帰っていたイースター部の後姿を眺めていたケビンだが、彼自身も結構イライラしていたようで、彼らの悔しそうな顔に満足しているようだった。

 イースター部が愚痴を零しながら工場から出て行く途中、入り口でちょうどヒゲ面の男とすれ違った。見た事のない男だと全員が不思議がっていたのだが、男は全く迷うことなくしっかりした足取りで受付のアイダのもとまでやってきて、にっこりして見せた。

「こんにちはお嬢さん、クリスマス部は今どこでお仕事中?」
「作業場ですけど……」
「作業場? あー……あっちかなあ、こっちかなあ?」
「あっちです……あ、あの、貴方誰?」
「ああ、なあに、ちょっと包装用紙の件で……会社の者なんですがね、ちょっと、手違いがあったかもしれないので確認に」

 すっかり納得したアイダは、丁寧に男を案内した。男のヒゲが時々ずれるのも気づかず、とうとうアイダが去っていくのを見送った男は、偽物のヒゲの下でにんまりと笑みを浮かべ、右頬にある大きな傷をかいた。

 他ならぬこの男は、あのスカーであった。工場にまんまと忍び込んだ彼は、抜き足差し足でそっと作業場の中にもぐりこみ、大きなダンボールの後ろに隠れて様子を窺った。

 この大騒ぎの中で、一体誰がたった一人の侵入者に気づけようか。スカーは周りを眺め、何か悪さに良いものはないかと物色し、大きなクレーンに目を留めた。ちょうど下ではベティとケビンが話し合っているところだ。

「うん、そうね。全部あるみたいだし、袋詰めしましょう……おーい『何でも部』こっちに来てちょうだい!」

 ベルトコンベアーで運ばれてくるプレゼントが大体流れて行ったところで、フランクとギルバートはベティの元に走り、次の指示を受けた。クレーンの先端まで登って、プレゼント噴出口の先をうまく袋の口に向ける役目だ。

 クレーンの上には滑り台があって、そこからどっとプレゼントが噴出してくる。もしこの照準がはずれると作業場はプレゼントの波に飲み込まれて、また仕事をやり直さなければならないので中々に責任重大な任務である。

 二人はとんとんとはしごを上ってクレーンのてっぺんまでたどり着くと、余裕を見せ付けて豆粒大の人々に手を振って見せた。みんなが笑って上を向いた好きにチャンスとばかりにスカーが出ていき、クレーンの横にあるスイッチを発見した。

 たとえそれがどんなボタンだろうと・・・工場の爆発ボタンであろうと、スカーは押さないわけがない。運良くそれは爆発ボタンではなかったのだが、プレゼントの袋詰め開始ボタンだったので危険の度合いは似た様なものだった。まだ二人はクレーンのてっぺんに登ったままなのだ。

「おお、俺が手伝ってやるよ。早めのクリスマスプレゼントさ……」

 誰にも聞こえない声でスカーがそう呟くと、手を擦り合わせてから仰々しくボタンを押した。二人はようやく袋に噴出口を定め、最後の微調整を行っているところだった。急に噴出口が震えだし、長い滑り台のずっと上の方から嫌な音が響いてくるのを聞く。

 まるで雪崩が起きるような音だった。恐ろしい地響きが近づいてくるのに気づいた作業場の人々もはっとして上を仰
ぐ。ケビンが真っ青になった叫んだ。

「避難しろ、あぶなーい!」

 二人は顔を見合わせた。避難したいのは山々だが、ここにはそんなスペースない。一目散にはしごに飛び掛ろうとしたのだが、既に遅かった。

 視界にプレゼントの四角い箱が見えた瞬間、二人は叫び声をあげながらプレゼントの雪崩に吹き飛ばされて袋の中に消えていってしまった。その場はハチの巣をつついたような大騒ぎで、すぐに機械が止められると、二人を救出しに大きな袋にみんなよじ登って行った。

 それにしても大きな袋だ、ちょっとやそっとで中には入れない。クレーンを下ろせだの、袋に穴を開けろだの野次が飛び交うその片隅で、スカーはぷちっと袋の糸を爪で切るとそのまま勢いにまかせて引っ張った。ブチブチブチっととても嫌な音があがる。

 見る間に袋に裂け目が走り、ぱっくり破れたかと思うと第二のプレゼント雪崩が床に襲い掛かり、その中からギルバートの足だったりフランクの腕だったりが垣間見えていた。その場は惨事も惨事あまりの大惨事に言葉を失って立ち尽くした。

「……呪いだわ……」

 小さなベティの呟きを聞き届けたスカーは、とうとう堪えきれず大きな笑い声をあげてぴょーんと飛び上がり、窓を突き破って外へと逃げていった。静かだったその場はまたもや物凄い騒ぎに逆戻りしてしまう。あの極悪スカーが居たなんて!

「スカー、スカー、スカーだ! 非常警報を鳴らせー!」

 ケビンが素っ頓狂な声で叫ぶと同時に、周りの人々は大声で慌てふためき逃げ惑う。フランクとギルバートがようやくハッキリした視界を手に入れる頃には、あの大勢が出口に向かって殺到していた。

「落ち着きなさい!」

 ぴしゃりとベティが大音声で呼ばわり、ようやくその場は沈黙を取り戻した。ベティは青い顔こそしていたものの、サンタの死を知らせた時より気丈な様子だ。

「ケビン、警察に電話して。他は作業再開! 良い、こんな大損害すぐに修復しないと、冗談抜きで今年のクリスマスは中止せざるを得なくなるわよ! そうはさせるもんですか!」

 ベティの一喝が消えた後、破竹の勢いで全員は作業を再開させた。それは目にも留まらぬ速さで動き、誰一人、一秒たりとも休んだりしない。

 ここから裁縫場に袋を移動させる時間も勿体無いので、三分の二の人々はミシンにひけをとらない程素早く袋を手縫いしていった。見てくれはツギハギだらけで大分悪くなったし、やっつけ仕事では強度が心配されるところであるが、今更贅沢はいっていられない。

 残りはプレゼントをもう一度ベルトコンベアに乗せ、傷ついた物を修復しにかかった。中身は全く問題ないのがX線で見て取れるが、包装がぐしゃぐしゃになったり箱が少しつぶれていたりするのは全部取り替えねばならない。クリスマスのプレゼントの包装が汚かったりしたら、子供たちが可哀想である。

 警察がやってきても作業のスピードは一向に衰えなかった。スカーが破壊した袋やプレゼント類が修復されていたため、警官たちは少々困った顔をしたがベティがヒステリックに叫ぶと皆口を噤んでしまった。

「証拠が何よ、こっちは年に一度のクリスマスを成功させるために目が回るほど働いてるのよ!」

 勿論、こんな大騒動が起きて定時に帰れるはずが無い。遅れを取り戻すために、どんなにびゅんびゅん働いても、五時の時点でようやく袋が縫い終わりプレゼントが元通りになっただけだ。大急ぎで袋にプレゼントをつめたが、この損失は大きかった。

 本来なら今頃、最後のプレゼントチェックが終わり、ベティが工場長の所へ行って「12月24日、クリスマスにつきトナカイとソリによるプレゼント配布飛行の許可をお願いします」と書類を提出しているはずだ。

 疲労困憊でぐったりしている他の部署の人々が非常に哀れに思え、ベティはプレゼント詰めが終わるや否や皆を家に帰してしまった。あれだけ騒がしかった作業場がようやく静寂を獲得すると、クリスマス部と何でも部は、フラフラしながら事務所に引きあげていった。

「ああ、もう誰も居ないわ。飛行許可は明日貰わなきゃ……」

 デスクワークに追われる全員のもとへ帰ってきたベティは、工場長の不在を知らせると一気に脱力して今日はもうお仕舞いだと宣言した。誰も彼もが家に帰りたい一心なのは表情にありありと浮かんでいる。特に苛立っているのはジムだ。彼は子供へのプレゼントをまだ買えないでいたのだから。

 すっかり暗くなった工場から全員がぞろぞろ帰っていく頃には、どの家からも夕食の匂いが漂っていて彼らの疲労感に拍車をかけた。しかし町は閑散としていた。あの妖精の町がこうまで静まり返るのは、とても珍しい事である。フランクとギルバートは車に乗ってラジオをつけたとき、その理由を知った。

『……繰り返します、おお、なんてこと! 皆さん、愛すべきフェアリーランドの皆さん、クリスマスを二日後に控えている我々のもとに悪魔が、おお、なんてこと! あのスカーが現れたのです! きっと奴はとんでもなーく悪い事をするに違いありません! おお、なんてことだろう! しばらくはひっそりとして奴を警戒しましょう、出来れば家から出ないようにしましょう! 私もこれでおさらばだ! 皆さんも気をつけて下さい、おお、おお、なんてこったい!』

 ぶつんと放送は終わり、後はゆったりした音楽が流れるばかり。二人は顔を見合わせると、逃げるように帰宅していった。

 家に帰って戸締りをしっかりすると、味気ない夕食を食べながら今後の動きについて議論を始める。スカーが動き出したこの危ない状況で、いかにクリスマスを遂行させるかだ。サンタであれば、あのスカーも手出しはできないだろうが、何と言っても今年はサンタが居ない。

 一体どうしてスカーはこんな時期に動き始めたのだろう。もしかしたらどこかでサンタが死んだ事を知ったのかもしれない。何しろ極悪非道なスカーだから、盗み聞きや不法侵入なんて序の口だ。

 自分達が原因だとも知らず、二人をフォークを硬く握り締めながら熱く語り合った。もしもの時の対策はどれも今一上手く行きそうにも無い。何かあったら二人はサンタクロースとして困難に立ち向かい、絶対にクリスマスをやり遂げなければならないのだから。

「お前、よくサンタになんてなろうと思ったな」

 パスタをほおばりながら、いよいよ膨らんできた不安を払拭しようと茶化すようにギルバートが言った。途端にフランクは顔を赤くしてもごもごしだしたのだが、これでもかとパスタを口に詰め込んでわざとくぐもった声を作ると、ようやく囁くように言った。

「だって、ほら……サンタだよサンタ。皆を幸せに出来るし……」
「皆に愛してもらえるしなあ。あ、お前は一人から愛されたいんだっけ!」
「バッカッタッレ!」

 思わず咽こんでフランクが悪態をついたが、ギルバートは嬉しそうに笑って彼の頭を乱暴に撫でていた。ギルバートはフランクのそういうところが大好きだし、こんな彼だからこそ一緒に住む相手に選んだのだ。

 水を飲んで必死に息をしているフランクは、ようやく落ち着きを取り戻してからはっとした。イスから立ち上がり電話のもとまで駆けていくと、受話器を手にとって硬直する。ギルバートが何事かと眺めていたのだが、結局彼はそれ以上動く事なく、ややあって親友に情けない視線を投げかけた。

「あの……」
「何だよ」
「で、電話とか、した方が良いよな? スカーが現れて心配だし、安否の確認とか……でも、そんな事したら鬱陶しいって思われるかな……ど、どうしよう、どうしたら良いか……」
「呆れた奴!」

 叫ぶようにギルバートは言うと、フランクのもとへずんずん近づき目にも留まらぬ速さで電話番号を押してから、既に呼び出し音が鳴っている彼の持っている受話器を指差した。咄嗟にフランクはそれを耳に押し当てたが、全く言葉なんて浮かんでこない。

 しかし受話器を置いてしまう勇気が出る前に、ガチャっと音がしたかと思うとフランクの脳みそを破壊する優しい声が響いてきて、フランクは再び硬直してしまった。

「もしもし?」
「あ、あ、あ……お、おはようエイミー!」
「……おはよう?」
「お、おは……つまり、おやすみと言い間違えたんだ……」
「電話で開口一番おやすみって言うのも変だと思うけど。どうかしたのフランク?」
「いや、あの、ううん……」

 フランクはよっぽど『なんでもない』と言って電話を切ってしまいたかったのだが、目の前のギルバートが鬼の様な顔をして仁王立ちしているせいで実行に移せない。それどころか、早く言いたい事を言えと身振り手振りで急かしてきた。

 彼を宥めるためにやらなきゃいけない、と、ようやく大義名分を見出したフランクは、思い切り息を吸い込むと声が裏返らないように細心の注意を払いながらそっと言葉を放った。

「心配だったんだ。スカーが現れたろ、君が何か怖い目にあったりしてないかと思って、気になってた」

 ほうっと電話口でため息が聞こえた。それは明らかに、呆れや嫌悪からくるものではない。続いて聞こえてきた優しい声が、フランクの推理を正しい物だと証明してくれた。

「大丈夫……大丈夫よ、フランク。ありがとう、電話くれてとても嬉しい」

 きっと電話の向こうで、彼女は頬をばら色に染めて笑っているに違いない。そう思うとフランクは急に指先まで体が温かくなるのを感じ、うっとりと瞳を細めた。最後に二言、三言交わしてから名残惜しげに電話をきると、ギルバートがからかうようにその場から逃げて見せたのだが、フランクは幸せそうに笑ったまま食事の残りをたいらげに戻った。

 二人はあの大騒ぎのショックもすっかり和らぎ、明日の仕事について少し話し合いをした。しばらくは真面目にソリの操縦の仕方について議論していたのだが、だんだんと話はエイミーのことに摩り替わり、二人がベッドに入る頃にはフランクが顔を赤くしながら何をプレゼントしたらいいかとギルバートに泣きついている様子が出来上がっていた。

 フランクは花が良いんじゃないかと提案したのだが、ギルバートの「最低」の一言で一蹴されてしまった。

「良いか、クリスマスのプレゼントに花なんて冗談じゃないぞ! もっと良いもの送れよ」
「例えば?」
「エイミーの趣味とか知らないのかよ」
「……うん。おい、何も言うなよ! 仕方無いだろ、上手く話が出来ないんだから。もし俺が気の利いた台詞を言えるんだったら、今日の晩御飯は彼女と食べてたろうさ。ねえ、昔誰かに送って喜ばれたプレゼントはなんだった?」
「プレゼントって名前がつけば、犬のフンでも喜ぶだろ。最も、箱を開けるまでだけどな。ううん、なんだろう……」

 ギルバートはふかふかの枕に沈み込みながら、しかめ面にまでなって考え始めた。彼はあまりプレゼントをしない質だ。もちろん親や友人にも送るが、そうしょっちゅうあげたりする訳ではない。昔の彼女にあげたプレゼントも忘れてしまった。

 そこでふとギルバートは昔の事を思い出した。まだフランクと一緒に暮らす前のことだ。あげたのは彼女にではないが、あれは中々印象深い。けれどあまり話すべきでは無いように思われ、ギルバートは表情を硬くした。思い出したくない過去、の部類に入る話だった。

 しかしながら、フランクの哀れさと縋るように向けられた視線を前にしては、無碍にも扱えない。ギルバートは言葉を選びながらゆっくりと呟くように言った。

「相手は女じゃないけど、ブレスレットをあげた事がある。皮製のやつで、相手の名前を彫ってやった。そのプレゼントが一番喜ばれたかもな」
「ブレスレットか……ああ、アクセサリー、指輪とか良いかもしれない!」

 フランクは晴れ晴れとした顔でそう叫ぶと、嬉しそうにベッドの中にもぐりこんだ。彼女の細い指に自分の選んだ指輪がキラリと輝く様を思い描き、ニヤニヤと笑いが収まらない。

 そんなフランクを苦笑気味に見やったギルバートは、そっと電気を消して薄暗い天井を眺めた。一度思い出してしまった物はしょうがない。まだ自分が若かった頃、いつも一緒に居た一人の青年を思い返していた。

 


 ボンっと音がして、ホリデー吸引マシーンは動きを止めた。テストは大成功も大成功で、スカーは嬉しそうにマシーンから飛び降りる。そしてぴょーんと膨れ上がった袋の上に飛び乗って、先ほど吸い込んでしまった家具やら、食料やら、愛犬やらを取り出し始めた。

「全く自分の才能にブルブル震えるね。この計画が失敗するはずが無い、俺がホリデーキングになる日は近いぞウィニ!
ヒハーハハ!」

 自分の計画とやらを愛犬にべらべら喋りながら、軽やかに家具を定位置に戻していく。もしここに誰か居たのなら、彼の計画は全て筒抜けになってしまうのだが、愛犬に向かって自分の考えた事をとつとつと語るのは最早彼の癖であった。

 タンスを岩肌の壁に押し付け、朝日が当たらないようにベッドの位置を調節し、大事なものが入っている宝箱をぽーんと投げ出すと、その拍子に古くなっていた鍵が壊れて外れてしまった。スカーは大声で宝箱を罵ると、ずんずん近づいて鍵の様子を見やる。大分がたがきているようだ。

 開きっぱなしの箱の中身はどれもこれもうっすらホコリを被っていて、この箱を開いたのがいつだったか思い出せないほど昔だと言う事に気づいた。何とはなしにその中身を眺めてみる。親の写真、へそくり、初めて盗んだ靴下、皮のブレスレット。

 スカーはそのブレスレットを持ち上げて眺めた。いつどうやって手に入れたのか思い出せない。表面には文字が掘り込んであった。

「S……C、A……R………ス、ス……」

 そこまで言いかけて、スカーは大きく息を飲み込んだ。そのブレスレットには自分の名前が書いてあったのだ。そしてじっと身動きもせずに考え込んだ。息をするのを忘れるほど、記憶の海を溺れるように泳いだ。

「ああああああ!」

 彼は唐突に叫び声を上げた。ウィニが突然の事にびくりと体を震わせる。彼は思い出したのだった。

「あああああー、駄目だ、駄目だ、思い出すと、こいつは良くない! 封印しろ、封印だ!」

 乱暴にブレスレットを宝箱に叩き込むと、引き出しから太くて長い鎖を引っ張り出してそれはもう何重にもぐるぐるぐるぐると巻きつけた。それからありったけの鍵を全て持ち出し、とうとう宝箱は鍵をめいっぱいつけた鎖の塊にしか見えなくなってしまった。

 それでも不安なスカーはぴょーんと大きな鏡の前にすっ飛んで行き、上着を脱ぎ捨てた。彼は糸で縫ってある自分の胸をその場で開くと、鏡に映してじっくり観察した。ドクドクと脈打つ心臓は、真夜中よりも真っ黒で隅のほうに何かが刺さっていたりする。自分の心臓が黒い事にほっと一息ついたスカーは、胸を閉じて糸を縫い直しながら呟いた。

「悪者たるもの、心臓まで真っ黒でなければならない。俺は大丈夫だ、こんなに見事な真っ黒具合! 俺こそフェアリーランド一の極悪妖精スカー様だ! そうとも、そうとも……」

 ひび割れた爪をガリガリ噛みながらベッドの中に飛び込んだスカーは、部屋を真っ暗にしてじっとゴツゴツした岩の天井を睨み続けた。足元では、ウィニがバスケットの中で丸まっている。

 地団太を踏んで暴れて叫びたい程とにかくイライラしているのに、心臓が破裂するのではと思うほど胸が痛い。もしかしたら泣いてしまうのではと思ったが、彼は泣き方を忘れていたので結局涙は出なかった。ただその分、痛みが増したような気がしたのだが。

「うう、痛い痛い……俺は死ぬのかもしれない……痛いよう、痛いいっ! なんでこんな事になったんだ!」

 スカーは必死になって原因を探ろうとしたのだが、結局何も見えてこない。あのブレスレットが鍵なのは分かるのだ
が、一体どうしたら良いのだろう。考えに考え込んだ末、彼はいかにも彼らしい結論に辿りついたのだ。

「あのブレスレットをくれた奴……覚えてる、覚えてるぞ。あいつのせいだ、あいつがブレスレットなんか送るから。仕返ししてやる、そうとも、復讐だ! それも明日だぞ! 明日してやるんだ! 待ってろよ、ギルバート!」

 もうすぐ日付が変わろうかという22日の真夜中、今まで忘れていたあの名前を口にした直後に胸の痛みが膨れ上がったのだがスカーは気づかないふりをして胸を掻き毟るように押さえた。その時、同じような表情でギルバートも平たい天井を見つめていたのだが、彼の隣で幸せそうに寝こけるフランクを見やると、ふっと表情を崩して瞳を閉じる事にした。

 

 


 ギルバートとスカーが眠りに逃げ込む事が出来たのは、それから二時間も後のことだった。

 


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