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クリスマスおめでとう! 4

 

 

 

 

12/23

 

 

 

 


 翌日、朝から町中がかつてないほどギスギスした空気に包まれていた。例年であればクリスマス前のこの数日は、それはもう華やかで豪勢な装飾をキラキラさせながら、皆が幸せ一杯の顔で道を歩いている。しかし人々の顔は幸せの欠片もなく、怯えと焦りに彩られていた。これでは、町中の装飾もどこか寂しげに見える。

 二人はスカー出現のニュースを映すテレビを消すと、車に乗り込んで工場へと向かった。いくら町中が暗黒時代のようになろうとも、ホリデーは等しくやってくるのだ。休んでなど居られない。

 工場は昨日より随分静かだった。クリスマス部と手伝いに来てくれた気の良い何人か以外、誰も出勤して居ない。ハロウィン部なんかはまだ大分先だから休んでも支障は無いのだが、バレンタイン部はそろそろ準備にとりかからなきゃいけないはずである。けれど、勇気を振り絞ってやってきたバレンタイン部は、三人だけだった。

「ああ二人とも!」

 部室に入ってきたフランクとギルバートを見つけたベティは、一目散に駆け寄ると二人をオフィスに連れていった。本日、ケビンは非番である。やはりクリスマス部は忙しかったが、大仕事のプレゼント詰めが終わったので残る仕事は僅かとなり、みんなの顔から鬼気が抜けていた。ともかく今日は、書類を片付けるばかりである。

「サンタをやる貴方達にこんなことを頼むのは忍びないんだけれど、実は昨日の騒動でトナカイの世話係がたったの一人しか出勤してこなかったのよ。ハシカは治ったけどまだ本調子じゃないから、今日はつきっきりでトナカイを見てやってくれない? 貴方達のソリを引く彼らがいないと、どうしようもないんだもの」
「断るわけないだろ、俺たちは元々雑用ばっかりの何でも部だぜ」
「本領発揮といきますか」

 本音を言うなら、トナカイの世話というのはやりたくない仕事の中で五本の指に入るほど嫌な仕事だった。何と言っても臭いがきついのである。しかし、こんなごたごた続きのベティの心労を少しでも減らしたくて二人はさも楽しんでいるかのように振舞った。

 なるべくゆっくりとトナカイ小屋に向かいながら、ふとした拍子にフランクがギルバートを見やる。すると、よくよく見れば目の下に隈があるのに気がついて驚いた。二人とも、普段は寝つきがとても良いのだ。

「……昨日、よく眠れた?」

 呟くような問いかけに、ギルバートは必要以上な驚き方をした。そしてぎょっとした顔でフランクを見つめ、慌てて曖昧な笑顔を浮かべたのだ。フランクはそれを見て、急に胸が締め付けられたような気がした。

「夢見が悪くてさあ。でも大丈夫、元気はあるよ。トナカイロデオだって乗りまわせるぜ」

 カラカラと笑う彼をこれ以上追い詰めるのも不躾かと思い、フランクはギルバートと同じような無理やりの笑みを浮かべて一緒に笑って見せた。丁度その時トナカイ小屋についたのが、二人にとっての救いだ。

 小屋の扉を開けると、懐かしい臭いに包まれて二人の顔は引きつる。何度かトナカイの世話は経験した事があるが、やはり小屋に入った瞬間の臭いが体にまとわりつく感じと言ったら。中には唯一出勤してきた小妖精が居て、黙々と作業を続けていた。

「おい、バリーじいさんだぞ」

 彼の姿を見つけたギルバートは、思わずフランクを小突いて囁いた。小さな老いた妖精は、ファクトリーで一、二を争う変人だ。頑固で、無口で、とても厳しい。だから彼は人と上手く仕事をする事が出来ず、このトナカイの世話という厄介払いのような仕事に落ち着いたのだった。

 二人も例に漏れず、バリーじいさんの事は苦手だった。ちょっと仕事を失敗すると、ほうきで思い切りお尻を引っ叩かれるのだ。しかも今日はそんなバリーじいさんしか居ないとなると、嫌でも彼を無視することが出来ない。

「おはよう、じいさん!」
「あの事件の後でもちゃんと出勤するなんて、流石はプロ意識が高いな!」

 けれど二人は子供ではない、円滑な仕事をするためには笑顔でフレンドリーに接しなくては。少々引きつりながらも和やかに挨拶をしてみせたが、バリーじいさんは二人をちらりとも見ず、隅に置いてあった空のバケツを二人に放り投げた。

「水」

 二人は何かを言おうとしたのだが、結局それを飲み込むと返事もせずに水道へ向かった。嫌な気分になるけれど二人にしてみれば「やっぱりな」というのが本音であり、お尻を叩かれるよりかは辛い仕事を黙って引き受ける方が遥かに賢いと判断したのだった。

 トナカイは大分元気に見えたが、まだどこか疲れた様子が覗く。八頭の大きなトナカイが力強く夜空を駆ける様は何度か見た事があるが、あの迫力は今の彼らに望めそうにない。明日は本当にプレゼント配布に繰り出せるのだろうか。

 二人が心配しながらトナカイたちに水をあげていると、干草をかき集めていたバリーじいさんがふとした拍子に顔を上げて、ダミ声で二人を罵るような口調で呟いた。

「サンタはどうした」

 バケツの水をひっくり返しそうになったフランクを背後に隠して、ギルバートが愛想良く微笑む。眉根をひょいと持ち上げて、何が、と首を傾げたのだが、バリーじいさんの表情は険しくなるばかりだ。

「サンタは何故来ない」
「な、な、なんで?」
「毎年イブの前日にサンタがこいつらを見舞いに来る。能無しの医療班が予防注射を忘れるからな! サンタに会うとこいつらは急に元気一杯になるんだ。そろそろ来ても可笑しくない時分だぞ。サンタはどうした」

 初めて聞かされた真実に、二人は微動だに出来なくなってしまった。まさかサンタを連れて来られない。けれどもこの頑固なじいさんはサンタを見ないと気がすまないだろうし、何よりトナカイたちが元気にならないというのは、大問題である。

「サンタは、彼は、風邪をひいちゃって!」

 上ずった声でフランクが叫ぶと、トナカイの前の水飲み桶に水をひっくり返した。そして空いた手でギルバートのお尻を抓り、にっこり微笑んだ。

「ちょっと酷いんだ、熱もあるし」
「そ、そうそう! トナカイたちにうつしちゃいけないから、部屋で寝てるんだ」
「残念だけど今年はお見舞いにこれないよ。なんたって、彼こそお見舞いが欲しいくらいなんだからね!」

 バリーじいさんの怪訝そうな顔といったら。けれどじいさんはそれ以上何も言わず、またむっつり黙り込んでキビキビと作業を再開させたのだった。二人はほっと胸をなでおろし、トナカイたちのブラッシングに取り掛かった。

 それにしてもこのトナカイたちの毛並みは良い。今は少しくたびれているが、窓から入ってくる日光を反射して金にも似た茶色の毛がキラキラと輝いている。ただのブラッシングをしているだけなのに、自然と楽しくなってしまうのだ。

 それに、彼らの体型は見事な物だった。筋骨隆々な後ろ足はすらりと伸びているし、腹部には無駄な脂肪が全くない。日ごろからどれ程素晴らしい飼育をされているか一目瞭然だった。惜しむらくは、病み上がりのせいで覇気が全くないところだけだ。

 二人はクリスマスシーズンに片手で足りるほどしか世話をした事がないが、このじいさんは毎日欠かさず365日トナカイたちの世話をしているのだ。それも手抜きはなしで、必死に彼らの健康を維持している。いくら頑固でも、この仕事ぶりは純粋に尊敬に値するものだと二人は思っていた。だからこそ、どんなにお尻を引っ叩かれようが、渋々彼の指示に従うのである。

 小屋の隅にあるラジオからは、ゆったりした曲が流れている。動き回っている彼らはじっとりと汗をかいていて、正午の太陽をねめつけた。その時、ようやくお昼を知らせる場内放送が流れ始め、三人は一旦手を止めると、それぞれ昼食をとりに小屋から出て行った。流石に、動物臭漂うこの小屋では食欲たっぷりとはいかいのだ。

 さっさと食堂に向かう小さな背中を見送り、二人はどこで何を食べようかと相談を始めた。食堂はあまり美味しくないけれど、購買のサンドイッチは中々美味しかったりする。今日はお弁当を持ってきていないので、二人は購買に向かって歩き出した。

 数少ない出勤してきた妖精たちの半分は食堂に押し寄せていた。後は自分で持ってきた弁当組みである。食堂の隣にある購買で二人が目当てのサンドイッチを手に入れると、ガラガラの食堂内の適当な場所に座り、サンドイッチを頬張りながら何とはなしに周りを眺めていた。

「……おい、じいさんもう食い終わっちゃったぞ」

 見れば、バリーじいさんは空の皿をさっさと返却口に置いて食堂から出て行くところだった。どうせすぐ小屋に戻って、トナカイたちの世話に徹するのだろう。辛辣なまでの真面目さに二人は感心しながら、けれども満腹状態であの空間に連れ戻された時に、はたして吐き気を我慢できるかどうかと考えて、しばらく食堂で他愛もない話を続けていた。

 さて、満腹感も引き、水を飲んでからようやく二人は立ちあがるとなるべくノロノロと歩いて小屋に戻っていった。これほど静かな工場内も珍しいが、小屋の扉を開けるともっと珍しい光景を拝む事が出来た。バリーじいさんがいないのである。

 二人が小屋の中をどんなに探しても、トナカイの口を開けても、あの小さなじいさんは見つけることが出来なかった。食堂から出て行ったのは大分前だし、まさかあのじいさんがどこかで誰かと立ち話をしているとは思えない。ラジオからは暢気な男の声が流れていて、それが一層この部屋の不可思議さを際立たせた。

 しばらく小首を傾げていた二人だが、居ないなら居ないで気疲れもしないだろうとトナカイの世話を再開させた。バリーじいさんが居ない事でトナカイたちが若干不安がっているが、暴れださないうちは優しく接してやる他ない。

『ぎゃあ、まただってのか! 皆さん、なんてこったい、緊急避難してください! ああ、だから今日は休みたいって言ったんだよ! スカーが再び現れました! 目撃情報はなんと、このビルの目の前です! ああっ、何たる事だ! 今エレベーターに乗ってここに向かってるそうです! しかし、一体何が目的なんだろう、警察は何をしているんだろう! アアアーッ、誰か助けてー!』

 突然先ほどのまどろみの様な放送は突然、男の悲鳴によって打ち砕かれた。恐らく聞いていた全ての妖精たちがそうしたように、フランクとギルバートも目を見開いて体を強張らせ、それからさっと目配せをする。心なし、ギルバートの顔色が悪いように思えた。

 干草を抱えながら二人が困惑していると、更に事態を混乱させる要因がけたたましい音で扉を開き転がりこんできた。怒りに燃える瞳を向けたバリーじいさんだった。

「どう言う事だ、説明しろ!」

 じいさんはその年齢も体も全く感じさせない、朗々と響く恐ろしい声で怒鳴りつけた。二人は慄きながらも彼の手に『入らないで下さい、サンタより』の看板が握られている事に気づき、更に体を震わせて真っ青になる。何もかも終わりだと、奈落の底に突き落とされた気がした。

「サンタはどこに行ったんだ!」
『イヒヒヒ、ハ、ヒヒヒ!』

 ラジオから禍々しい声が聞こえて来たのは、バリーじいさんの怒声が消えた直後だった。流石にこれにはその場の全員がびっくりしたらしく、はっと息を呑んで小さなラジオを見つめる。なにやら騒々しい音がして、色んな人の悲鳴やら何かが壊れる音がやんだあと、ようやく再び静けさを取り戻した。

『おうい、おうい、俺だよう。なあ、分かってるんだろう、お前に言ってんだぞう』

 ギルバートの顔が見る見る白くなっていったのを、フランクは見逃さない。けれどこの状況が全く理解できなくて、答えを探すように親友とラジオを交互に見やった。

『来い、広場だ!』

 キーンとスピーカーが鳴るほど大声で叫んだスカーの声はそれっきり消え、再びバタバタ聞こえてから静かになった。

 しばらく小屋の中はしんとしていて、嵐が過ぎ去った後のような虚無感が漂う。トナカイたちですら微動だにせず、意図的に息を殺しているかのようにか細い呼吸を繰り返していた。

 じいさんが搾り出すような声で「何が……」と呟いたのを聞き、二人もようやく我に返ることが出来た。ギルバートは弾かれたように飛び出し、ウサギよりも早く廊下を走り出す。体中が冷え切っているのに、恐ろしい程汗がだらだら流れた。

 広場は工場の目の前にあった。ぐるりと色々な店が周りを囲む中心部がそうだ。綺麗な噴水があって、この時間は人がごった返しているだろう。ギルバートは、今にも泣き出しそうな、怒鳴り散らしたいような気持ちを胃の辺りで抱えながら、工場から広場まで一瞬たりとも速度を落とさず走り続けた。

 広場について彼はほんの少し安心した、いつもなら子供づれ等でそれこそお祭り時のように混んでいるのだが、昨日のスカーの出現によりいつもより若干人が少なかった。そこでようやく、後ろで息を整えているフランクの存在に気づき、ギルバートは困った顔をした。彼を連れて来たくはなかったのだ。

「なんでついて来たんだよ」
「なんでついて来ちゃいけないんだよ!」

 驚いたことに怒っているフランクに、ギルバートはびっくりした。今にもぶん殴ってきそうな彼を宥めたいものの、ギルバートにはどうしたら良いかさっぱりわからない。

 フランクは胸倉を掴もうとしたが一瞬でそれはいけないと判断し、すんでのところで肩を掴む事に変更した。感情的にならないように一度息を大きく吸って、自分の大切な親友を見つめる。彼は戸惑った顔をしていた。

「俺たち親友だろ、隠し事はなしにしようって約束したじゃないか! お前が俺と一緒に住もうって言ってくれた時、親友以上の親友になろうって約束したじゃないか! なのに……!」

 言っているうちに昂ぶってきた感情を抑えきれず、フランクは気づかないうちにギルバートの肩を強く握りしめていた。けれどギルバートは何も言わない。いや、言葉を失っていた。フランクの言っている事は何から何まで正論で、自分には弁明の余地などなかったのだ。

 ギルバートは突然強い罪悪感に苛まれ、鋭い矢のように突き刺さる真摯な眼差しを見つめ返した。そして誘われるように自然と、ギルバート自身の全てを語ろうとした。まさにその時だ。

 突然群集から短い悲鳴が上がり、二人ははっと上空を見上げた。ひらりと空を舞う黒い影が噴水の彫刻を蹴って再び舞い上がり、その漆黒のコートをたなびかせて降ってきたのだ。人々は我先にと後退し、フランクとギルバートを中心におっかなびっくり大きな輪を作り上げた。そして影は、小さい足音を立てて、石畳の上へ舞い降りた。

 一瞬、広場は時が止まったようにしんと静まり返った。誰かの息を吸う音すら聞こえない。耳に痛い程の静寂の中で、ゆっくりと凶悪な笑顔を貼り付けた顔が持ち上がった。打ちのめされた様な息を吸う音が上がったのは、その顔に大きな傷があったからだった。紛れもなく、その男はスカーだ。

「ギルバート……ああ、ギルバート、久しぶりも久しぶり……」

 ニヤニヤ笑ってスカーは囁くように言った。ギルバートは僅かに身を震わせたが、それでも毅然とした態度でスカーを睨みつけている。黒いコートの裾を払うと、ばさりと心臓を縮み上がらせる音が響いた。

「……ここで何をしているんだ」
「なあんにもしてないさ、まだな。今からするんだ。お前に、復讐を」
「何で、そんな」
「昨日俺が何を見つけたと思う? あれだ、覚えてるだろう。お前がくれた、俺の名前入りのブレスレット」

 フランクがちらりとギルバートを窺うと、その時彼は非常に複雑な表情をしていた。恐怖に焦っている様にも見えるのだが、何故だか僅かに目元が赤くなっている。まるで喜んでいるように見えた。

「お前、あれをまだ持ってたのか……」
「ああそうとも、そして俺はとても、めちゃくちゃに……ムカムカしたんだ! そうだ、イライラしてとにかく頭に来た! お前があんな酷い物送りつけるからだ! だから今日は、そのお返しに来たんだ!」

 スカーはそう叫ぶと、さっと懐から大きな銃を取り出して銃口をギルバートに向けた。人々は悲鳴をあげて恐怖に突き落とされる。スカーがあんまり顔を歪めて笑うものだから、頬の傷が湾曲していた。

 汚れた指が引き金を引く一瞬前に、ギルバートはフランクを突き飛ばして避難させ思いきり走り出した。パタタタタタっと銃声が続き、すぐ背後でマシンガンの弾みたいにビー玉が飛んでいく。ビー玉の表面は何故か電気が走っていて、時々小さな稲妻が走るのだった。

「どうだ俺様の発明品、ビーダマシンガンは! ビー玉の表面にはビリビリジェルがたっぷり塗ってあるから、当たったらただじゃすまないぞ! 昨日の俺の痛みと同じ痛みを味わえ!」

 さっとクリスマスツリーの後ろを抜けるとそれを追う様にビー玉が撃ち込まれ、ツリーの電飾にビリビリジェルの電気が流れてパンっと小さな爆発を起こした。例え人々がビー玉に撃たれなくても、何かしらの二次被害が起きそうである。

 

「昨日の俺の痛みだって?」

 噴水の裏に滑り込んだギルバートは、スカーに問いかけた。ちょうど弾切れらしくスカーはビー玉を再び銃にこめている。見えなくなったギルバートを視線で探しながら、スカーはイライラと声を荒げた。

「どんな仕掛けかは知らないが、あんなに心臓を痛くする罠なんかしかけやがって! お前なんか大嫌いだ、お前が俺を嫌いなようにな!」

 ガシャンと無機質な音がしたかと思うと、再び強烈なビー玉の嵐がギルバートに襲い掛かった。ガリガリ噴水の彫刻は削れていき、すぐに彼はここを逃げ出さなければならないだろう。次はどこに隠れるべきか、どうやってこの危機を乗り越えるべきか。

 焦って周りを見渡していたギルバートの背後で、突然スカーの短い悲鳴が上がった。そっと彫刻の裏から顔を覗かせると、驚いた事にフランクがスカーともみ合っているではないか。考えもなしに飛び出したギルバートは、同じようにスカーに飛び掛りどうにかこうにか銃を奪おうと試みる。

 頭にきたスカーがやたら滅多に銃を撃ち始めると、二人は懇親の力でスカーに体当たりをした。たたらを踏んだその先は噴水で、縁に足をひっかけたスカーは盛大な水しぶきを上げて水の中に引っくり返る。すぐに立ち上がるかと思われたのだが、水の中には先ほど彫刻をさんざん削っていたビー玉がたくさん沈んでいたのだ。もちろん、ビリビリジェルつきで。

 バチバチ、ビリビリ、水の中から迸る青い稲妻にスカーは仰天して文字に表せないような叫び声を上げ、しばらく水の中で痙攣しながらもんどりうっていた。ビリビリの効果がやっとこ消えた時には、感電したスカーは舌を出して虫の息だ。死んだのではと思ったものさえ居た。

 悪名高き極悪スカー、とうとう今日が運の尽きか。誰もがそう思ったその時、パトカーのサイレンにはっと両目をこじあけたスカーはフラフラしながらもぴょーんと飛び上がり、噴水の飛沫を撒き散らしながらすぐ近くのパン屋の屋根に着地した。

 人々が再び戦々恐々として悲鳴をあげる中、顔の水をぐいっと拭ったスカーは燃えるような瞳でギルバートを睨みつける。忌々しそうに顔をしかめると、獣に似た恐ろしい声で呼ばわった。

「楽しみにしとけよギルバート、明日また会いに来るぜ! 復讐だ! 復讐だ!」

 ぞっとする恐ろしい笑い声をあげると、あっという間にスカーはどこかへ消えてしまった。広場は蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、警察は点々と残された水の跡を必死に追っている。

 フランクは何も言わずにギルバートを見つめた。彼は今までフランクが見たことの無い程悲しげな顔で、スカーが消えていった方を眺めている。促すように腕を叩くと、二人は黙り込んで影のように工場へと戻った。

 

「あいつは元々すごく良い奴だったんだ」

 誰も居ない倉庫にやってくると、ギルバートはほんの少し掠れた声でそう話し出した。とてもじゃないが仕事に戻れる気分ではない。ともかく落ち着くまで、二人はここに居る事に決めたのだ。そしてギルバートは、約束どおり全てを話す事にした。

「家が隣で赤ん坊の頃から親友だった。あいつは生まれつき顔に傷があったし引っ込み思案だから、俺くらいしか友達が居なかったんだ。それでも俺は良かった、スカーと居るのは楽しかったから」

 あのスカーの子供時代というのも想像できなければ、目の前の親友がスカーな仲良く遊んでいるところも想像できない。フランクはどういう顔をして良いか判らず、黙ってじっとしていた。

「ある日大喧嘩したんだよ、理由なんて覚えて無いけど。俺もあっちもものすごい頭にきて、思ってもいない事を言っちゃって……お前なんか友達じゃない、大嫌いだって言ったら、それっきり」
「……それっきり?」
「居なくなったんだよ。学校にも来なくなったし、家にも居ない。大人になってからようやく会えたときはフェアリーランド一の悪者スカーだった。あいつをあんなにしたのは俺なんだ、ずっと謝りたいと思ってたけど、もう駄目そうだな」

 大切だった友人が憎しみ以外の何者でもない視線で睨みつけ、復讐してやると言ってきたら。フランクにはどれ程それが辛いかは判らないが、もしギルバートがスカーのようになったらと思うと足の先から言い様のない冷たさが這い上がってくる。

 困ったように笑うギルバートを慰めてやりたかったけれど、どうする事も出来なかった。アドバイスはただの陳腐な奇麗事になってしまいそうだった。今とるべき行動は一つなのだ。

「ギルバート、俺たちは……」
「判ってるよ。俺たちはサンタクロースなんだ、もしあいつが邪魔してきたら……ともかく、一番優先させるべきなのはクリスマスだよ。判ってる」

 フランクはたまらず親友をしっかり抱きしめた。こんな大切な事を今まで話してくれなかったのはショックだが、気づいてやれなかった自分にも腹が立ってしょうがない。ギルバートはびっくりしたが、自分よりもずっと辛そうな顔をするフランクに笑って、ぽんぽんと背中を叩いてやった。

「絶対、クリスマス成功させるぞ」
「うん、絶対」

 二人は互いに励ましあうように微笑むと、ゆっくり自分達の職場に向かって歩き出した。

 

 


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