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クリスマスおめでとう! 5

 

 

12/24

 

 何の前触れもなく突然車は停車したので、フランクは不思議そうに隣を見やった。運転席ではギルバートが涼しい顔をしてフランクを見ている。フランクは眉根を寄せた。一体何をしているんだ、仕事場まではまだ三分ほどかかるだろうに、こんな所で急に止まるなんて。

「行けよ」
「……何が?」

 更に突拍子も無い台詞まで。フランクは全く親友の意図がつかめず、困惑して身を乗り出した。路肩に停車したまま車のラジオからは暢気な音楽が流れている。アナウンサーが昨日のスカー騒動を引っくり返った声で読み上げるよりずっとマシだった。

「まだ買ってないんだろ、エイミーへのプレゼント」

 どきりとしてフランクは思わず口をきゅっと結んだ。確かに、大切なクリスマスは明日だと言うのに、エイミーへのプレゼントは愚か他に贈るべき人々へのプレゼントすら買っていない。家族、友人、もちろんギルバートの分も必要だ。

 確かにプレゼントが買えないのは気になっていたが、状況はそれどころじゃなかった。今年は自分達がサンタクロースになって仕事をしなきゃいけないし、加えてスカーが襲ってくると宣言しているのだ。だからフランクは最悪プレゼントなしという事態も想定していた。残念ながら当日は全てのお店というお店はクリスマス休日となるので運営していない。何も買えないのだ。

 嬉しい申し出に、フランクは信じられないと首を振った。とてもありがたいが本当に仕事をほっぽり出してプレゼントを買いにいってしまって良いのだろうか。例年とは訳が違うと言うのに。けれどギルバートは親切そうな笑顔でフランクの肩を押した。

「良いから行けよ。プレゼントなしじゃデートの時かっこつかないだろ」

 フランクはほうっと嬉しそうにため息をつくと、満面の笑みになって窓の外を見た。止められた場所は商店街だったのだ。もう一度親友を見やり感謝の意味を込めて抱擁する。ギルバートだって色々大変なはずなのに、こんなにも気遣ってくれるなんて。

 申し訳なく思いながらも、応援してくれる彼のためにも、そしてエイミーのためにも最高のプレゼントを探さなければいけない。フランクは何度も礼を述べながら車から降りると、一時間以内に工場へ行く事を約束して、ギルバートと愛車を見送った。

 

 

 


 さてここは汚いスカーの隠れ家。いつもより荒れているご主人にウィニも近寄りがたいようで、少し離れたところでそっとスカーを見守り続けている。どちらにせよ、一心不乱にホリデー吸引マシーンを改造しているスカーの近くに居ても溶接の火花が飛んできて危ないだけだが。

「完璧の更に上にしてやるんだ、絶対に失敗するもんか、クリスマスをぶち壊して、のっとってやる……」

 憑りつかれたようにぶつぶつ呟きながら、スカーの手は完成していたホリデー吸引マシーンのエンジンを二倍にして吸引力をアップし、収納スペースを三倍にまで増やしていた。

 これ以上改善の余地は無い。今スカーができる事の全てを施したホリデー吸引マシーンは大分凶悪そうな姿になっていたが、フェアリーランドの腕利き発明家達を全員呼び寄せたって作れないほど素晴らしい出来栄えだったのだから。

 完璧に仕上がったマシーンをしげしげ眺めたスカーはようやく満足したようで、ゴーグルとバーナーを放り出すとぴょーんとその場から飛び上がって自分の寝室に戻っていった。昨日は帰ってから一睡もしていなかった。

 ヒビ割れた鏡を見ると、今にも死にそうな顔をした自分が血走った瞳で睨んでくる。目の下の隈はいつもよりうんと濃くて、まるで絵の具でも塗りたくったみたいだ。スカーはそんな酷い自分の顔を両手でぱちんと覆うと、ベッドに倒れこんでしまった。

「やつらのソリが出発するのが夜の九時。その前に工場に乗り込んで行って、根こそぎプレゼントを奪ってやる。そして世界中に知らせてやるんだ、お前らの、大好きな、サンタは、死んだあーっ!」

 様子を見に来たウィニが突然の大声でびっくりしているのにも気づかず、スカーはごろりと仰向けになった。ごつごつした岩の天井が妙に冷たく感じる。小さい頃この天井が嫌いでポスターを貼っていたが、大人になるとポスターが嫌になったので剥がしてしまった。平和な眠りの世界に入る直前に見るのがエルビス・プレスリーの顔だとどうにもしっくりこなくなったのだ。

 ポスターを剥がしてからは一度もこのごつごつ天井を不快に思った事は無かったのに、今はどうだろう。まるでそれさえもスカーを拒絶するように思える。気にしなかった岩の先端が、異様に鋭く目に映る。

「やめろ……やめてくれ……、どうして俺を嫌うんだ……」

 呻くような声でそう言いながら、スカーはシーツを握り締めて体に巻きつけた。外は明るい太陽が照っているのだがここはいつも薄暗い。そんな薄暗闇を眺めていたら、ありもしない物が見え始めた。

 小さい頃通っていた学校のクラスメート達、先生、そして親。浮かんでは消えて、口々にスカーの事を罵っていった。何年も何年も前のことで、スカーはすっかり忘れていたというのに。

『どうして貴方は顔に傷があるの?』
『気持ち悪い!』
『私の持ち物に触らないで!』
『気持ち悪い!』
『気持ち悪い!』
『気持ち悪い!』

 

「やめろおー!」

 スカーはぱちんと耳を両手で塞ぐとシーツに飛び込んだ。そしてガタガタ震えながら違う、違うと壊れた蓄音機のように同じことを呟き続けた。心臓が口から飛び出してしまいそうだし、とても冷たい汗をかいていたのだが、吐き出す息は驚くほど熱い。

 主人の豹変振りに気づいたウィニが駆け寄ってきて、シーツのこんもりした部分に前足を乗せた。か細い声で鳴きながら必死にスカーを宥めようとする。取り乱していたスカーも、ウィニの悲しそうな声を聞いてようやく落ち着き始めたのか、ゆっくり顔を覗かせた。

「ウィニ、ウィニイ、お前だけだ……ああウィニ」

 もじゃもじゃの体を抱き上げるとベッドに連れ込んでしっかり抱きしめる。ウィニは少々迷惑そうではあったが、ひんひんと情けなく泣いている主人を見捨てるほど薄情な犬ではなかった。

 醜い傷跡を伝っていく涙を舐め取って慰めているうち、スカーの泣き声はだんだん小さくなっていった。気がつくと彼は泣きつかれて、暖かなウィニの体を抱きしめたまま眠りについてしまった。

 


 その日のスカー少年は本当に最低な状態だった。朝目が覚めた瞬間から何となく嫌な予感はしていた。夢見が悪くてまだ自分が悪夢の中にいるような気分だったのだ。

 だからそれを消し去りたくて、顔も洗わず一目散にリビングへと向かった。両親の姿を見ればきっと安心する事ができると思った。ほんの少し開いたままの扉の前に立って、ドアノブに手をかけようとした時母親が今まで聞いた事も無いような声で言ったのだ。

「もう駄目よ、あの子を家には置けないわ」

 自分から色という色が全て流れ出てしまったような気分になった。ガツンと頭を殴られるよりよっぽど強い衝撃が小さなスカーを襲う。それ以上動けなくなって、中途半端に浮いた手をそのままにスカーは立ち尽くしてしまった。

「だけれど、他の策はないのかい」
「もう嫌なのよ、貴方はご近所の評判が気にならないの? 私はもう嫌よ、もう嫌なのよ……」

 震える母親の声よりもスカーは震えていた。しかしそれ以上聞くのはいけないと本能が判断したのか、弾かれたように自分の部屋に走りこむと、あまりのショックで泣く事も出来ずにしばらく呆然としていた。

 まだ子犬だったウィニが必死に足元をくるくる回って吼えてくれたのだが、スカーはぼんやりした感じが抜けないで、気がつくと着替えて学校に行く準備を終えていた。

「……スカー?」

 両親が気づいたのは、扉が閉まった音でだった。スカーは鞄を掴むと家を飛び出してしまったのだ。ウィニだけが彼の後をずっと追っていた。

 どうしようもなくスカーは泣きながら学校に向かった。少なくても学校には親友が居た。その子以外はみんなスカーを苛めるのだが、彼さえ居ればスカーはそれで満足だった。

 ウィニと一緒に学校に行くと早速泣き腫らした顔と犬の事をからかわれたが、スカーはだんまりを決め込んでそそくさと親友の少年の所へ向かった。ギルバート少年はいつも通りスカーを向かえ、おはようと微笑んでくれる。

 スカーはそれが堪らなく嬉しくてまたじんわり泣いてしまうと、慌てて涙を拭いながら事の次第を説明した。ギルバートの驚いた顔といったらない。スカーも話している内にどんどん惨めになって、また大声で泣き始めてしまった。

「ショックなのはわかるよ。学校が終わったら俺がおばさんたちにガツンと言ってやる! だから泣くな」
「だって、だってえ! もう僕はいらない子なんだあ!」
「泣くなって、シャンとしろ! 男だろ!」
「泣くなって方が無理なんだ、僕の気持ちも考えてよ!」
「もっと強くなれよ、いつもウジウジしてるお前も悪いんだぞ!」
「酷いよ、ギルバートは僕の親友だと思ってたのに、他のみんなみたいに僕の事嫌な奴だと思ってたなんて! 嘘つき!」
「俺は嘘つきなんかじゃない!」

 この後は酷い有様だった。取っ組み合いの喧嘩になり、最早何に対して怒っているのかも全く判らない。二人ともただ怒りに任せて罵り合っていた。

 それを聞きつけた先生が飛んできて二人が訳を話したのだが、相手は正義感の強いクラスの人気者ギルバート。片や嫌われ者のスカーでは全く対等な判断など望めない。加えて、周りのクラスメイト達が全てスカーが悪いと騒ぎ立てるものだから、先生もじろりとスカーを睨むのだ。

「違う、僕じゃない、僕が悪いんじゃない、違う」

 唯一ウィニがみんなを威嚇するように吠え立てていたのだが、学校に犬を連れてきたことも先生にバレてしまった今となってはお仕置きは確実だ。

 どうしようもなく無力な少年は泣く事しか出来なかった。それが唯一彼に出来ることだ。けれど子供達はとても残酷で非情で容赦が無かった。一体誰が一番最初に声を上げたのか、今となってはスカーには判らない。しかし誰かが言ったのだ。

「うへえ、スカーのやつ泣いてやんの! 気持ち悪い!」
「気持ち悪い!」
「気持ち悪い!」

 あまりのことにスカーは一瞬何も考えられなくなってしまった。呆然とした顔で囃し立てるクラスメイトたちを眺める。一体何がおきているのだろう、なんでこんな事が起きているのだろう。

 この時スカーには驚いたギルバートが小さな声でやめろと言ったのを聞いていなかった。後三秒スカーがそのまま突っ立っていたなら、きっとギルバートは大声を出して喧嘩をしてしまったけれど大切な友人のスカーを庇ったはずだ。けれど、その前にスカーは行動を起こしてしまった。

「悪者スカー、気持ち悪い!」

 バアンと机が吹き飛び、教室中が騒然となった。スカーは歯をむき出して大音声で唸ると、机や椅子を吹っ飛ばしながら暴れて教室を滅茶苦茶にし始めた。

 先生もクラスメイトも悲鳴を上げて逃げ惑い、ギルバートは見た事も無いスカーを前に呆然としていた。今ギラギラした目で叫んでいる小さなスカーは、もう彼の知っているスカー少年ではなかった。

「上等だ、上等だとも!」

 スカーは教卓の上に飛び乗り、ふーふーと歯の間から息を搾り出して叫んだ。戦々恐々とする子供達がスカーをとびきり良い気分にさせる。だから彼はもういじめられっこの自分でいる事を拒否した。

「お前らがそう言うなら、お前らがそう望むなら、ああなってやるとも、俺は悪者に! 極悪スカーに!」

 スカーは高笑いをあげると唯一の味方であるウィニを抱いてぴょーんと飛び上がり、窓ガラスを割って外に逃げていった。親からも見離され、親友も失い、ただ苛められる存在になった今、スカー少年に迷いは一切なかった。

 けれど彼は知らない。阿鼻叫喚の教室の中でギルバートだけがとても淋しそうに、粉々になった窓ガラスの向こうをじっと眺めていたのを。その時彼は、怒りと悲しみで泣きながら走っていたのだから。

 小さなスカーの理解者は小さなウィニだけになってしまった。腕の中でスカーを励ますようにわんわんと鳴いてくれている。しかしおかしい、小さなウィニの鳴き声はどうしてこんなに低く大きいのだろう? まるで成犬のような音声だ。

「あっ!」

 スカーははっとして飛び上がった。そこは相変わらず薄暗い洞窟の中だ。小さなスカー少年はどこにもおらず、子犬のウィニもいなくなっていた。代わりに大きなウィニが寝起きの主人に吠え立て、必死に時計を鼻で示している。

 時計は既に八時半になっていた。後三十分で、二人のサンタクロース代理は出発してしまうではないか。弾かれたように飛び起きたスカーは目にも留まらぬ速さで支度を済ませるとウィニをホリデー吸引マシーンの助手席に座らせ、シートベルトをしてやった。

「畜生、なんたる不覚! 寝てしまうとは情けない、急げ急げ、急ぐんだ!」

 運転席に飛び乗ってエンジンをふかすと、この日のために改造した自動ドアがゆっくり左右に開いて道を作り出した。スカーは悪趣味なゴーグルをかけると思い切りアクセルを踏んで隠れ家から山の中へと飛び出した。

 クリスマスイブの今日は、たとえどんな状態に陥っていようとも町は暖かい明かりに包まれている。その輝く明かりに向かって、スカーは一直線に向かっていった。

 

 

「よーし、終わったぞ!」

 夜九時を目前に控えて、飛行場ではクリスマス部とケビン、そしてバリーじいさんと何でも部の二人が万歳三唱せんばかりに喜んでいた。色々ギリギリまでかかてしまったが、たった今クリスマスの準備がすべて完成したのだ。

 ちょっと古いソリの後ろに詰め込まれた大きな袋の中にはどっさりプレゼントが詰め込まれている。トナカイたちは結局サンタが現れないせいか落ち着かないが、何も問題はなさそうだ。

「ソリをテスト飛行する時間が無いのがちょっと不安だわ」

 ベティがそわそわとソリと二人を交互に見やる。フランクもギルバートも、いまや立派なサンタクロースのスーツを着こんでしっかりした表情をしていた。

「大丈夫だよ、どうにかなるさ」

 明るくそういうフランクは、じっとソリと大袋を見つめていた。念願かなったり、彼は今夢にまで見たサンタクロースなのだ。なんて素敵なんだろう。

 事情を話したバリーじいさんは始終無言だったが、文句を言うでもなく静かにトナカイの世話をしてくれた。サンタの居ない今、見慣れたバリーじいさんのお陰でトナカイたちは大人しいのかもしれない。

 全員は一瞬押し黙って、万感の思いでソリを見つめた。例年とは全く異なったクリスマスとなったが、なにはともあれ完成したのだ。毎年この瞬間の達成感は言葉に出来ない。

「おい」

 不意にバリーじいさんはフランクに小さな笛を差し出した。小指ほどしかない縦笛で、よく犬を呼ぶときに使われるようなものだ。それを受け取ったフランクは、不思議そうにギルバートと小首を傾げた。

「トナカイたちがお前らをちゃんとサンタだと認めるまでその笛を使うと良い。これはどんなに凶暴なトナカイでも言う事を聞かせる事ができる笛だ。俺がホリデーキングから直接貰った。一回吹けば進み、二回吹けば止まる。舵は手綱でしっかりとれ。失くすなよ」

 ぶっきらぼうなバリーじいさんはそれだけ言うと、本当に本当にちょっとだけれど笑った。もしかしたら口を横に伸ばしただけかもしれないが、二人にはそれが彼の笑顔なのだと思えてとても嬉しくなった。

 ぽーんと時計が九時を知らせて、全員はっと我にかえる。二人はいざとばかりにソリに乗り込み、トナカイたちの手綱をフランクが握って大きく深呼吸をした。

 空は満天の星空で、雲ひとつ無い絶好のクリスマス日和だ。フランクとギルバートは一度目配せをすると高らかに鞭を空打ちして笛を吹いた。キーンと耳に残る笛の音が響くや否や、トナカイたちは一斉に嘶き、蹄で大地を蹴って走り出す。

「メリークリスマスみんな! いってきます!」
「気をつけて、サンタクロースたち!」

 皆が大きく手を振るのを見届けると、トナカイたちはゆっくり蹄を空中へ乗せた。徐々にソリは持ち上がり、そしてとうとう二人とプレゼントを乗せたソリは大空へと舞い上がったのだ。

「ようし、スカーもまだ現れていないし、このまま何も無い事を祈ろう」
「まずはヨーロッパからだな。しっかり運転しろよフランク、俺がガイドする」

 冷たい夜風を切っているうち、すぐにヨーロッパが見えてきた。ガンの群れを追い越し、国境近くの小さな村に入るとギルバートが家を指定する。屋根の上にソリを着地させて、袋の中から『アマンダ』と宛名のついた可愛らしい包みを引っ張り出した。

「俺は東に行く、お前は西に行ってくれ」

 二人ともはじめての作業なので勿論プレゼント配布も二人がかりだ。そうでないと夜が明けてしまう。良い子リストを確認しながら、フランクは煙突の中に飛び降りた。思った以上に煙突の中は広く、せっかくのサンタスーツが煤だらけになることも無かった。

 そうっと足音を忍ばせて子供の寝室に向かうと、ベッドには可愛らしい女の子が眠っていた。この子がアマンダなのだろう。そっとプレゼントを枕元に置いてフランクはほくそえんだ。この子が朝起きて枕元を見た時の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。

 しかしゆっくりしている事も出来ないので、再び煙突から出て行こうと踵を返した次の瞬間、足で彼女のぬいぐるみを蹴ってしまい、ぷうと間の抜けた音がする。フランクは飛び上がりそうなのを堪えて振り返った。小さな少女は少し呻いて寝返りをうっただけだ。

 大慌てで家の中から逃げ出すと、煙突をぴょんと飛び上がってソリに戻ってきた。次は隣の家だ。双子のルチルとコニー、そしてその兄弟が更に三人も居る。プレゼントを五つも抱えると、落とさないように用心しながらそっと屋根の上を歩いた。

 村はしんと静まり返っていて、誰も彼もが眠りの世界にいる。一昨日降った雪がまだ少し残っていて、静かな村は一層静けさを増していた。

 フランクが五人の子供の家の屋根に飛び移った時、どこからともなく奇妙な音が聞こえた。重低音とモーターの回転する、まるで車のエンジン音のようだ。不思議そうに周りを眺めたが、近づいてくる音の正体は一向に見えない。

「フランク!」

 丁度三つ向こうの家の煙突から顔を出したギルバートは、フランクを見とめるや否や大声で叫んだ。はっと後ろを振り返ったが遅い。スカーの鋭い蹴りがフランクの腕を捕え、プレゼントはおろかフランク自身も屋根から突き飛ばしてしまった。

 駆けつけたギルバートに何とか起こされたフランクは、痛む腕を摩りながら空を見上げる。掃除機を何倍も凶悪にしたような恐ろしいマシーンに乗ったスカーが歪んだ笑顔で二人を見下ろしていた。ドドドド、とエンジンの音が続いている。

「会いたかったか?」

 スカーは大きな吸い込み口を構えるとスイッチを入れた。ゴーっと凄い音がして風が巻き起こり、フランクの取り落としたプレゼントがひゅんと吸い込まれてしまう。仰天した二人は立ち上がり、自分達も吸い込まれそうになりながら必死に足を踏ん張った。

 トナカイたちが非常事態に騒いでいる。スカーは怯えるトナカイたちに目を向け、ハンドルを操りながら前進した。今度はあのプレゼントが詰め込まれた袋を狙う気なのだ。

 フランクは素早く笛を咥えると、これでもかと言わんばかりに吹き鳴らした。はっとしたトナカイたちは屋根から飛び上がり、ソリと一緒に大空を駆け上がっていった。

「畜生!」

 スカーは声を荒げると吸い込み口を放り出し、運転席に座りなおしてアクセルを踏み込んだ。トナカイたちの速さには驚いたが、スカーの発明品は完璧だ。その間はぐんぐん狭まっていく。

 今度は鋭い笛の音が二回響いた。フランクの笛に忠実に従ったトナカイたちは一斉にぴたりと止まる。けれどスカーは止まる事ができず、ソリの後ろに思いっきり突っ込みそこからぐるんと一回転してソリとトナカイたちの頭上を飛び越え吹っ飛んでいった。

「プレゼントを取り返さないと!」

 フランクは笛を使ってトナカイたちを呼び寄せ、ソリに飛び乗ると空中で頭をふっているスカーに突進した。はっと気づいたスカーはハンドルを切り、横に傾いてそれを避ける。ソリの側面とホリデー吸引マシーンの側面が擦れて火花が散った。

「俺が向こうに飛び移る、ギルバートはスカーの気を引いてくれ」

 ギルバートに手綱を任せたフランクを身を低くした。ソリがぐるりとマシーンの周りを飛んでその下に滑り込む。飛び出してきたソリには既にギルバートしかいなかったのだが、ソリの座席を確認で来たのは一瞬で、スカーはその事に気づかなかった。

 フランクはマシーンの裏にあるパイプにどうにかぶら下がっていた。すぐ横では大きなタイヤがギュルギュルと回転してて、一歩間違えば巻き込まれてしまいそうだ。その上浮上するために四隅にある大きな穴から炎が噴出すので気が気じゃない。

 この場に似合わない鈴の音を響かせてソリが飛び、踵を返そうとする前にスカーが動いた。突然ハンドルをきるとソリの後を追い始めたのだ。

 大声で思わず叫んだがこの状況でスカーがマシーンの裏に気づきはしない。向い風に煽られながら必死にパイプに捕まっていたのだが、体が揺れるたびにタイヤに近づいてはっと息を呑む。タイヤに気をとられていた瞬間、右足の上にあった穴から炎が噴出して右足が飲み込まれた。

「アアー!」
「フランク!」

 振り返ったギルバートはフランクの様子に気づいて仰天し、思いっきり手綱を引いて強制的にトナカイたちを止めた。マシーンもそれに合わせて急停車し、反動でフランクはがくんとゆれてまだ回転していたタイヤに強かこめかみを打ちつけた。熱い、と飛び上がりそうになったが今は両手が離せない。

 ようやく止まってくれたマシーンを腕の力だけでゆっくり移動すると、マシーンの後ろに登って掃除機の袋の糸を引き抜き穴を開けた。ごろりと中に入り込むと、色んな物の中にちょっとくちゃくちゃになったプレゼントが転がっていた。

「どうして俺を止めようとするんだ!」

 袋の外でスカーがそう呼ばわっている。じくじく痛む足でなんとか歩きながら、先ほどタイヤに擦ったこめかみを触ると血が流れていた。

「あの時はお前を止められなかったから、だから今止めるんだ!」

 ギルバートの声が返ってきたのが聞こえる。袋の外で、スカーは明らかにたじろいだ。フランクには何の事だかわからなかったが、二人の過去のことなのだというのは憶測できる。しかしいくら昔の親友と言えどスカーは今クリスマスを台無しにしようとしているのだ。無視するわけにはいかない。

 怒鳴りあっているスカーの後ろへそっと近づき、袋の中にあった何かの破片を拾い上げると少しずつ切り込みを入れた。ラッキーな事に目の前にはスカーの後姿、ギルバートに夢中でフランクには気づいていない。

 フランクは自分が通れるだけの切れ目を入れると、わっと飛び掛ろうとして動きを止めた。座席の後ろを見て驚愕する。腕を縛られ意識を失っている女性が転がっていたのだ。

「エイミー!」

 あまりの事にフランクが叫ぶと、はっと気がついたスカーは咄嗟に振り返り思い切りアクセルを踏み込んだ。衝撃でフランクは後ろに吹っ飛び、ごろごろと袋の中を転がっていく。すれすれでソリとトナカイを避けると、ギルバートが何か叫んだがトナカイたちの嘶きにかき消された。

 フランクはあわや外に放り出されそうになったが、どうにか入ってきた穴の端に捕まってふんばった。バタバタと旗のように体をなびかせ、必死に袋の中に戻ろうとする。その度にスカーはめちゃめちゃな運転をしてフランクを振り落とそうとした。

「よせ、スカー!」

 ギルバートの制止も聞きやしない。必死の思いで袋の中に転がり込む事に成功したフランクは、這いずりながら座席のスカーとエイミー目指して進んだ。

 何時の間にやらフランクの叫び声が聞こえない事に気づいたスカーは、後ろを振り返る。その瞬間、フランクの拳が彼の顔面に叩き込まれ、ハンドルに倒れこんでしまった。ようやく車は暴走を止めたが、スカーは呻きながらもまだ元気である。

 フランクはともかくエイミーに駆け寄り、その肩を抱き起こして何度も揺さぶった。名前を呼んでも反応はなかったが、呼吸もしているし体温もちゃんとある。目ぼしい外傷も無いのでとりあえず無事なようだ。

「この野郎、よくも!」

 はっと顔を上げると同時に、フランクはスカーに蹴り飛ばされて背中をしたたか打ちつけた。そして最悪なことに、スカーはエイミーを抱き上げると座席の下からあのビーダマシンガンを取り出して彼女の横顔に押し付けたのだ。

「妙な真似はするなよ、撃っちまうぞ! ギルバート、お前はソリから降りろ!」

 低い声でスカーはそう脅すと、振り返ってギルバートを睨みつけた。これみよがしにエイミーの頬に銃口を押し付けると、ギルバートが苦虫を噛み潰したような顔でやめろと叫ぶ。気がつくと、スカーの表情から余裕が一切消え、とても焦っているように見えた。

 その時、この騒ぎにようやく意識を取り戻したエイミーがううんと唸って身じろぎしてから目を覚ました。まず初めに目の前のフランクを見る。とても不思議そうな顔をして、眉根を寄せた。

「フランク? 貴方なんでサンタの格好なんか?」
「静かにしろ!」
「きゃっ! スカー!」

 エイミーは顔を真っ白にして叫び声を上げると、理由はどうあれ自分が人質になっているのだと悟り震え出した。目の前のフランクも傷だらけだし、混乱は膨らむ一方だ。

「良いから俺の言うとおりにするんだ! 俺がクリスマスを頂く、他のホリデーも全部だ! そしてホリデーキングになってやるんだ!」

 まるで金切り声のような音声でスカーはそう怒鳴ると、体を半分傾けてギルバートを見た。スカーは興奮のあまり気づいていなかっただろうが、ギルバートは確かに彼が今にも泣きそうな顔をしているのを見た。ギルバートが子供の頃良く見たスカーの顔だ。

 ギルバートは胸が一杯になって、うっと呻くと自分も泣きそうな顔をしてしまった。どんな感情なのかそれは判らなかったが、少なくともスカーを動揺させることにはなった。口をぽかんと開けたスカーはぶるぶる震えだし、とても情けない顔をしたのだ。

「よせ、泣くな、泣くんじゃない、お前は、俺は、違う……」

 茫然自失しているスカーの横で真っ青なエイミーに、フランクは小さく合図して気を惹かせた。今が絶好のチャンスだ。二人は瞬きもせず見つめあい、やがてフランクがゆっくり頷いたのでエイミーも頷き返した。

 少し可哀想に思えたが、四の五の言ってはいられない。フランクは隙を見てウィニを見やると、そのふさふさしたしっぽを思い切り踏みつけた。犬とは思えない物凄い悲鳴があがり、ようやくスカーがはっとする。彼が何か言う前に、エイミーの肘がスカーのみぞおちに叩き込まれた。

 素早い動きでエイミーの腕を掴んだフランクは、袋の切れ目に向かって一心不乱に地を蹴った。が、スカーの復活のほうが早い。鬼のような顔でスカーは銃口を二人の背中に向けた。

「よせー!」

 その時、ソリから飛び出したギルバートがスカーの背後から飛び掛った。パタタタと銃声が聞こえたが、稲妻をまとうビー玉はめちゃくちゃに撃たれただけで誰にもあたりはしない。座席にスカーを引き摺り倒したギルバートは、スカーと取っ組み合い銃を奪おうとした。

 フランクは親友に加勢したかったのだが、気をつけないとビー玉が飛んでくるので下手に近づく事ができない。二人の体が色んなところにぶつかるので、機体は大きく揺れた。ともかく今はエイミーを庇うことで精一杯だ。

「ジャマを、するな! こんちくしょう!」
「これ以上、お前を、悪者に、するもんか!」
「ええい、うるさいうるさい! 俺はもうこれしかないんだ! 今更無理なんだ! 全てから見放された俺に何が残ってる? 嫌われ者は悪者になるしかないんだ!」
「それがずっとお前が考えてた事なのか」

 唸るような声でギルバートがそう言うと、スカーはぎくりと動きを止めた。まただ。彼は今にも泣きそうな顔でスカーを見たのだ。スカーが口をぱくぱくさせていると、ギルバートは突然スカーの上着を捲り上げ胸の糸をしゅっと抜き取ってしまった。

 胸を開くと、相変わらず真っ黒なスカーの心臓が脈打っている。その隅の奇妙な出っ張りを見つけたギルバートは手を突っ込んでそれをつまみあげた。途端にスカーはぎゃあと大きな悲鳴を上げてめちゃめちゃに暴れだす。

「やめろやめろ、それだけはやめてくれ! 俺が俺でなくなっちまう! 嫌だよお!」
「それの何が悪い!」

 ギルバートに一喝されたスカーは、再びぴたりと動かなくなってしまった。こんなに怒っているギルバートも初めてだし、言われた台詞に対しても意味がわかっていない。

「ずっと気になってた、あの時言えなくて、ずっとずっと……」

 ゆっくり深呼吸をすると、ギルバートは一度目を伏せてからきゅっと口端を結び、スカーを見つめた。スカーは呆然とした表情で彼を見上げていたが、かろうじてやめろと口を動かし僅かに首を振っている。

 けれどギルバートはやめなかった。万感の思いを込めて微笑み、奇妙な出っ張りをしっかりつまみなおすとそれを引き抜いたのだ。

「ごめんな、スカー」

 しゅううと空気の抜けていく音がして、出っ張りの抜けてしまった穴から真っ黒などろりとしたものが噴出した。スカーの心臓は徐々に黒さを失い、綺麗なピンク色になっていく。やがて心臓が鮮やかな桃色を取り戻すと、スカーはぐったりと座席に体を預け小さな声で呟いた。

「ああ……胸のつっかえがとれちまった……」
「俺のも今とれたみたいだ。心臓が暖かくなってる」
「どうしてくれるんだ……俺は悪者にもなれなくなっちまったじゃないか。気持ち悪いただのスカーだ」
「気持ち悪いただのスカーが、俺の親友だろう」

 スカーは泣いた顔でギルバートを見上げた。彼は微笑んでいる。こんなに暖かな気持ちは、子供の頃以来だった。スカーは耐え切れず声を上げると、永らくしていなかった素敵な事を体験できた。親友との抱擁だ。

 気がつくと辺りは闇が濃くなっており、そろそろ日付が変わってしまう時分だった。静かな村にスカーの泣き声がわんわん響く。やがてスカーは落ち着きを取り戻すと、鼻をかんでにっこりした。醜い傷もそのままだし、歯だって汚ければ髪もボサボサだけれど、とても幸せそうな笑顔だった。

 ギルバートが立ち上がり手を差し伸べる。スカーは起き上がって、その手を取り立ち上がろうとした。けれど転がっていたビー玉に足をすくわれ、すってんと綺麗に転がる。ギルバートがそれを見てケラケラ笑うはずだった。

 転んだスカーの腕がレバーを下げ、受身を取ろうとした掌がアクセルを叩く。マシーンは突然急上昇してその体を大きく震わせた。

「きゃあ!」
「うわあ!」

 咄嗟に何もつかめなかったフランクとエイミーが、マシーンの外に放り出される。差し出されたギルバートの腕はほんの数センチ及ばず、空を切った。こんなに恐ろしい光景は見た事が無い。ギルバートはゆっくり落下していく二人を見て、自分が死んでしまうような気がした。

 しかし、恐怖と絶望で動けなかったギルバートの横からさっと何かが飛び降りた。スカーだ。二人の後をおってぐんぐん下降していく。

「ああそんな!」

 ギルバートは悲鳴をあげた。スカーは空中で二人をキャッチすることに成功したが、それ以上なにもする事ができなかった。天才のスカーでもこんな状況で脱出するアイディアは浮かばない。だからせめて、とスカーは二人を抱きしめると、くるりと半回転して自分が下になった。

 地面に激突しても、自分がクッションになれば怪我はしても死ぬ事は無いだろう。大切な親友の親友を守れるのなら、それくらい軽い事だ。幼い頃そうだったように、スカーは親友のためなら命も投げ出せる心を取り戻していたのだ。

 ぐんぐんギルバートの慄いた顔が遠ざかっていく。やっと和解出来たのに、こんな最後で申し訳ない。今スカーができる事といえば、彼に対して微笑んでやる事くらいだ。だからスカーは、ギルバートに一番の笑顔を見せてやった。

 後何秒で地面だろう、死ぬなら痛み抜いて死ぬより一瞬が良いな。そんな事を考えているうちに、スカーの背中はぼすんと着地した。……不思議な事に、ほんのちょっとしか痛くない。それに、どうやら自分は死んでいないようだ。

 驚いて目を見開き、ぱちくりと瞬きをする。もう落ちてもいなし、まだ地面には距離がある。じゃあ今背中がくっついているものは、このふかふかしたものは何だろう?

「全く、お前たちときたら! 間に合わなかったらどうなっていた事か!」

 深みのある声が聞こえて、スカーは視線を頭上にやった。大きくせりだした赤い物体。その上を、白いもじゃもじゃしたものが覆っている。それが腹だと気づいた頃、フランクが先ほどと同じ台詞を、だけれど全く違った調子で呟いた。

「ああ、そんな!」

 ポーンとどこかの家で時計が鳴り、とうとうクリスマス当日を迎えた事を全員に知らせてくれた。

 

 


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